連載
#45 #withyouインタビュー
ネガティブでも人生は大丈夫 すみっコぐらし・よこみぞゆりさん諭す
小学生の落書きをまだ持っているよこみぞさん「後で絶対生きてきます」
あなたの街にもよく潜んでいるはずのキャラクター「すみっコぐらし」は、2021年9月で登場から9周年を迎えました。子どもから大人まで人気を集めており、11月5日には「映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ」が公開されました。それぞれに陰のある、一風変わった世界観がなぜ誕生したのか。イラストレーターのよこみぞゆりさんに、込めた思いを聞きました。(元すみっコぐらし学園認定記者・影山遼)
〈よこみぞ・ゆり〉
2011年、サンエックスにデザイナーとして入社。著書に「絵本すみっコぐらし そらいろのまいにち」など。「絵本すみっコぐらし いつでもとなりに」 (ともに主婦と生活社)も制作中。現在はフリーのイラストレーターとして活動中。
Twitter=https://twitter.com/yokomizoyuri
Instagram=https://www.instagram.com/yokomizoyuri/
「たれぱんだ」や「リラックマ」を開発したサンエックス(東京)のデザイナーとして働いてたよこみぞさんは、2012年にすみっコぐらしを世に送り出しました。現在は、すみっコぐらしに関わりつつ、フリーのイラストレーターとして活動しています。
同社にはよこみぞさんのようなデザイナーが在籍し、オリジナルのキャラクター作りや、キャラクターをデザインした文具や雑貨の製造、ライセンスの展開を手がけています。
すみっコぐらしの仲間には、自分に自信がない「ぺんぎん?」、北から逃げてきた「しろくま」、食べ残された「とんかつ」、体形を気にしている「ねこ」、捕まらないようにとかげのふりをしている恐竜「とかげ」など、個性豊かでありながら控えめな面々がそろいます。
もはや「すみっこ」の存在ではないキャラクター。作者のよこみぞさんとは、どんな人なのでしょうか。
――少しネガティブなキャラは、どのようにして生まれたのですか。
アイデアが生まれたのは私が入社した年です。社内ではデザイナーらによるコンペが数カ月に一回あります。追い詰められていた時、大学の授業中に描いたメモのすみの落書きに目がとまりました。今でいう「たぴおか」に似たキャラで、吸いにくいから残されてしまったひねくれものという設定です。
投げやりな感じで、たぴおかに似て中心にいなさそうなキャラを集めて提案したら、まさかの好評。そこから設定を練りながら、今の形に近づいていきました。
――なぜ部屋のすみにいるキャラを集めたのですか。
そもそも自分がそんなに元気でも前向きでもないため、ポジティブなキャラにあまり共感できなかったというのがあります。電車ですみにサッと寄ったり、人見知りですみにいたかったりと、日本にはすみっこを好む人が多いと感じていたのも理由の一つです。
――キャラにはどんな思いを込めましたか。
みんなが前に出るタイプでなくてもいいという思いです。子どもも大人みたいにネガティブな部分があります。「目立ちたくない」だったり、「人前に立ちたくない」だったり。それでも人生は大丈夫です。
私は小学2年生まで、「この問題わかる人」と先生が言ったら、真っ先に「はい」と手を上げるタイプでした。でも3年生になると、クラス替えで新しい環境になったせいか、成長したせいか、「目立つの恥ずかしい」と急に手を上げなくなりました。その時に開花した「すみっこ気質」のまま、大人になったという感じです。
体育が苦手だったのもすみっこ気質の要因の一つかもしれません。子どもの頃は、体育が好きな子が目立つキャラになっていく印象があります。
――どんな学生生活でしたか。
小、中、高校の全てで美術系の部活に入っていて、その時間が一番楽しかったです。小学校の時からキャラ物のゲームやグッズが好きで、アニメを見たりゲームをしたり、絵をまねたりすることにほとんどの時間を使っていた気がします。
ポケモン、デジモン、たまごっち、ファービー、アフロ犬など、同世代がハマっていたものが大好きで、シールや消しゴム、カラーペンなどを集めました。
キャラを作って友達と見せ合うこともありました。手芸も好きで、ぬいぐるみを手作りすることも。逆につらかったのは、好き嫌いが激しかったので給食。あと体育、特に水泳です。
小学4年生の時にはやっていたのが「たれぱんだ」で、初めて店で見かけた時のことは今でも鮮明に覚えています。不思議なパンダがずらずら並んでいる柄のバッグを見つけて、「何これ、ヘンテコ」と。帰った後もなぜか忘れられず、数日後に買いに行きました。
その後も、知れば知るほど緻密で斬新な世界観にハマっていきました。それくらい、今までにない衝撃的なキャラクターだったのだと思います。今でこそ脱力系、ゆるい、シュールなキャラクターはたくさんありますが、たれぱんだはその系統のキャラの全ての始まりでした。
ついていたタグに「サンエックス」とあって、子ども心に「この会社ならやっていけそう」と思ったのを覚えています。中学校で家に初めてパソコンが来て、すぐにサンエックスについて調べました。
――なぜ「やっていけそう」と思ったのでしょう。
描くことが好きだったので、何か絵の仕事をしたいとは思っていましたが、人間を描くのは全く好きでなかったです。人間以外の動物などの可愛い絵で仕事になるものって何だろう、と考えた時に、グッズになるキャラクターを作れれば仕事にできるのではないかと思いました。
当時は詳しく分かりませんでしたが、多分この会社に入ればそういう仕事ができるのかもしれない、とぼんやり考えていました。
――好きな仕事に就くために努力したことはありますか。
中学校では勉強も頑張りましたが、夢に向かってキャラをたくさん生み出しました。絵が好きな友達と「交換絵日記」を回して、モチベーションを保っていました。
中学の職場体験学習では、イラストを仕事にしている人に会ってみたいと、イラストレーターの連絡先を探して仕事場の様子を見せてもらいました。この時にもらったアドバイスが、その後のキャラ作りにも影響を与えています。
例えば、自分が描いたキャラについて「この子はどんな性格をしているの」と聞かれたのですが、見た目しか考えていなかったので答えることができませんでした。「どんな性格かを考えるようにすると、絵が生き生きしてくるよ」と言われて、ハッとしたのを覚えています。ありがたい体験でした。
高校ではリラックマに出会い、サンエックスへの憧れがさらに強まりました。美大に進んでからもキャラ作りに自主的に励んでいました。
――実際に入社してみて、どう感じましたか。
入る前は、作っているキャラクターのように優しい会社を思い描いていましたが、社会は厳しいかも、と心配もしていました。入ってみたらやはり優しい会社でした。すみっコぐらしを出した当時は売れる自信がなかったんですが、先輩が一緒に手伝ってくれて、「売れなかったとしても、この人たちと一緒に頑張れた思い出だけで良かった」と思ったくらいです。
今もキャラを生み出すことがずっと楽しい。その楽しさが買う人にも伝わるのではないでしょうか。すみっコは、自分が子どもの時に出会っていれば絶対に好きになっていた自信があります。
――子どもたちに伝えたいことは。
「大人になったらサンエックスに入ってキャラを作りたい」という手紙をもらいます。そういう子には、今の落書き帳を大切にとっておいてほしいと伝えたいです。本当に大事。私も小学生の時の落書きをいまだに持っています。その時のものはポケモンまみれですけどね。とにかく、後で絶対何かに生きてきます。
(この記事は、2019年8月1日配信の朝日新聞デジタルと2019年9月2日付の朝日小学生新聞、2019年9月7日付の朝日新聞朝刊の記事を再構成したものです)
影山遼〈かげやま・りょう〉
すみっコぐらし学園で「すみっコ仕事人」を連載。普段は、朝日新聞コンテンツ編成本部の地域ディレクター
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