連載
#42 #withyouインタビュー
殴られ、閉じ込められ……セーラー服歌人「生きづらさ」救った短歌
母親の自殺、児童養護施設や里親の元での虐待、そしてホームレス生活を経験した歌人・鳥居さん。「無人島にいるような」独りぼっちの世界で出会ったのが、五七五七七で表現される「短歌」の世界でした。「やっぱり、生きてる方がいい」と言えるようになるまでの日々について、聞かせてもらいました。
連載
#42 #withyouインタビュー
母親の自殺、児童養護施設や里親の元での虐待、そしてホームレス生活を経験した歌人・鳥居さん。「無人島にいるような」独りぼっちの世界で出会ったのが、五七五七七で表現される「短歌」の世界でした。「やっぱり、生きてる方がいい」と言えるようになるまでの日々について、聞かせてもらいました。
母親の自殺、児童養護施設や里親の元での虐待、そしてホームレス生活を経験した歌人・鳥居さん。「無人島にいるような」独りぼっちの世界で出会ったのが、五七五七七で表現される「短歌」の世界でした。「孤独をちょっとだけ和らげることができる」という短歌の魅力、そして「やっぱり、生きてる方がいい」と言えるようになるまでの日々について、聞かせてもらいました。
鳥居さんのメッセージ
――「生きづらい」と思う人たちに短歌を勧めてますね。短歌にはどんな力があると感じてますか
例えば孤独な人がたくさんいて、「孤独なのは自分だけじゃないんだ」って思えると、ちょっと孤独が和らぐと思うんです。私の短歌に、こんな歌があります。
授業中、自分はすごくつらいのに、クラスでは何事もないように授業が進んでいく歌です。いつだったか、中学生の子が「自分の歌かと思いました」ってファンレターをくれたんです。その子が学校でいじめられてるのか、家庭でつらいことがあったのかわからないけど、「あ、自分みたいな人、他にもいるんだ」って思ってくれたのかなって。
アニメを見て元気になるのもいいし、ゲームをして元気になるのもいい。何でもいいんです。でも、孤独に寄り添ってくれる系の短歌もだいぶおすすめだよって思います。
<とりい>
歌人。2歳の時に両親が離婚、その後、母親の自殺や児童養護施設での虐待を経験する。2017年、第1歌集「キリンの子」(KADOKAWA)で「歌壇の芥川賞」とも言われる「現代歌人協会賞」を受賞。自身の経験から、義務教育を満足に受けることができなかった大人がいることを社会に訴えようと、セーラー服姿で活動する。生きづらさを抱える人たちとの短歌会「生きづら短歌会」なども定期的に開いている。
――自作の短歌は持ち寄らないそうですね
「歌会」って本来、批評し合ってランキングを付けるんです。けちょんけちょんに言われたら、私だったら傷つく。だから、好きな短歌を持ってきてもらいます。
ルールは「否定しない」。一つの短歌を何人かでべた褒めすると、なんかその短歌が最初よりよく見えるんです。自分が好きなものを、みんなが褒めてくれたらうれしくないですか?褒め合うって、やっぱり楽しいですよ。
――短歌会や短歌講座が、一つの居場所づくりになっているような気もします
「居場所」って偉そうな気がして、そういう言葉を使うのに抵抗があります。でも、好きなものが一つ増えたり、セーフティーネットとして「最近、こんな嫌なことあったんだよね」ってちょっと愚痴を言える場になったりしたらいいですよね。「自殺を止めたい」っていう思いもあるので、そういうことも兼ねてます。
――どんなことがきっかけだったんですか
施設での生活にストレスがたまって、ノイローゼになったことが原因だと思います。アザができるほど殴られたり、高熱が出たときには「ほかの人にうつる」と倉庫に閉じ込められたり。食事もろくに与えてもらえず、真冬でも半袖半ズボンの学校の体操着しかありませんでした。
――中学校も入学から2カ月ほどで不登校になったと聞きました
施設での虐待が一番の原因ですが、それとは別に、私の家系は高学歴の人が多くて「自分もいい高校・大学に行って、いい就職をしなければいけない。学歴がないと死んでしまう」と本気で思ってたので、小学校での遅れを取り戻そうとテスト前でもないのに不眠不休で猛勉強して、結果、体調を崩してしまって。
2日ほど学校を休んで、授業について行けない自分を想像して悪夢にうなされ、「人生終わった」と感じてました。
――施設も学校もしんどかった当時、気持ちが落ち着く居場所のようなものは
ありません。強いて言うなら、みんなが眠ってる夜中は安心できました。
――どんな友だちだったんですか
クラスメート全員からいじめられてました。「あの子と話さない方が鳥居ちゃんのためだよ」と、私も加担するよう誘われました。でも、私はそういうことをバカらしいと思ってたので、気にせず話し続けました。
――身近な友だちが亡くなるというのは、とてもつらかったと思います
実感が湧きませんでした。
――初めて短歌を目にしたときのこと、覚えてますか
当時、いろんなものが信用できなくなっていて、何か絶対に自分を裏切らないものが欲しいと思って図書館の古典コーナーに行ったんです。で、何となく短歌集を手に取って読んでみたら、「あ、え、すごい」って。洞窟でお宝発見した気持ちでした。
――印象に残ってるのが、歌人・穂村弘さんのこの短歌だったと聞きました
月並みな表現ですけど、「すごい」とか「おもしろい」っていう感覚でしたね。
私は、お父さんと子どもの歌だと思ってて、2人の動画が浮かぶんです。お父さんは、「『ゆひら』とさわぐ」まで子どもを見てて、それから窓の外を見て「あ、雪か」ってなる。映画とか短編小説みたいなものが、たった1行で表現されてる。すごくないですか?
――短歌のことを考える余裕がないほどの生活だったそうですね
ないですね。昼間は百貨店のソファに座ってウトウト。夜中は危ないので、名古屋の明るい繁華街をひたすら歩き続けてました。でも、ホームレスになってとっても楽でした。いじめや虐待を受けることがなくなって、「こんなに自由なんだ」って思って。落ち着いて短歌を読めるようになったのは、大阪で新しい生活をするようになってからでした。
――なぜ、吉川さんの短歌だったんですか
全然どんな人か知らないけど、「あ、わかる。同じ世界に生きてる」って思ったんです。例えば、こんな歌があります。
カセットテープって使ったことありますか?A面、B面が切り替わるときに「カシャ」って音が鳴る様子が、魚が跳ねたときのようだ、っていう歌です。
私、孤独すぎて、もちろん大阪だってたくさん人はいますけど、心象風景的には1人だったので。そういう無人の孤島に手紙が届いて、「私以外にも生きてる人がいるんだな」って気持ちになりました。
――その吉川さんから、短歌を詠むよう勧められたとか
吉川さん宛てのファンレターに、自己紹介のつもりで「わりと死にたいと日々思いつつ暮らしています」って書いたら、その「おまけ」部分のインパクトが強かったみたいで、「短歌でも作ってみたらどうですか」みたいな返事が来て。それがきっかけです。
――ギリギリで踏ん張ってる若い人たちがたくさんいます。鳥居さんはなぜ、そう思えるようになったんですか。最後に教えてください
やっぱり、生きてる方がいいですよ。
生きてたら、知らなかったことを知ることができます。今まで想像もしなかったような人に会ったり、考えもつかなかったような意見を知ったり。お母さんが生きてた頃、SMAPが解散するなんて想像もしませんでした。
だけど今、想像もつかないような世の中が訪れてその中を生きてる。想像がつかない未来が訪れるから、だから生きてた方がいい。
いいことばかりじゃないです。「明日になったら、きっといいことがある」なんてきれいごとだと思います。でも、想像すらできない未来があるんだから、可能性はある。今がにっちもさっちもいかなくて八方塞がりであったとしても、完全完璧な絶望ではない。望みは絶たれてません。
死にたいと思いながらダラダラと死ぬのを先延ばしにして、何となく死なないまま数日間を過ごしてほしいです。「とりあえず今日だけは死なない」って言ってほしい。そうやって死なないでいてくれたらいいと思います。
生きるのはハードルが高すぎてしんどいから、無理に生きなくてもよくて、死ぬのをやめてくれたらいい。いつもそう願ってます。
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