連載
#6 平成家族
「主婦の友」の盛衰から見る専業主婦論 「家庭か仕事か」3度論争も
雑誌で初めて「主婦」を名に冠し、この言葉を世に広めたとされる月刊誌「主婦の友」。戦後のピークは161万部を発行しましたが、2008年に廃刊しました。その盛衰は、女性のライフスタイルの変化も投影しています。過去に3度あった「論争」も交え、主婦のあり方をめぐる議論を紹介します。(朝日新聞記者・本間沙織)
1917(大正6)年に創刊。都市化が進む一方で、家庭を守る良妻賢母が理想的な女性像とされた時代。衣食住や教育、病気の手当など生活全般を網羅した婦人誌が次々と登場した。中でも「中流の下の層」を狙った主婦の友は、創刊から3年で1番の部数を誇る婦人誌になり、43年の発行部数は164万部に達した。
「会社員の夫と専業主婦、子ども2人」が日本社会のモデルとなった高度経済成長期の64年には「結婚したら 主婦の友」をキャッチフレーズにした。生活の実用情報を求める主婦に重用され、戦後のピークは88年で、161万部を発行した。
だが、働く女性が増えてニーズも多様化すると、テーマや読者層を絞った雑誌に人気を奪われた。93年までに他の婦人誌が休刊。「主婦の友」は同年、読者の体験談をもとに暮らしの知恵を紹介する情報誌へ衣替えした。一時は盛り返すが、部数減に歯止めがかからず、2008年に91年の歴史に幕を閉じた。
1950年代~70年代にかけて「主婦」をめぐる論争が3度にわたって繰り広げられた。
評論家の石垣綾子は55年、雑誌「婦人公論」で「主婦という第二の職業に、女が飽き足らなくなったのは、当然のことではなかろうか」と指摘した。
女性も家庭と仕事の両立を目指すべきだという主張に対し、「家庭は人間の信頼や愛情の場。経済的自立だけが幸福ではない」(福田恆存)、「職業を持つ持たないは個人の選択。家庭婦人の役割も評価し、職業婦人もともに連帯して社会を改革していくべきだ」(平塚らいてう)といった反論も出た。
60年には、家事の経済価値をどう位置づけるかが、経済学者らによって議論された。
高度経済成長が始まるころで、農業や自営業が中心の社会から、企業に雇用されるサラリーマンを中心とした社会に、産業構造が大きく転換する時期だった。
女性運動が広まってきた72年には、生産労働に巻き込まれない主婦にこそ価値があると位置づける意見が議論された。
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