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「常夏」と「極寒」の国、夜の学校で机並べた 生徒減る定時制高校
中退や不登校を経験した生徒らも学べる場、定時制高校。昔のイメージと全く違うこの学校、海外出身の生徒たちも多いです。記者が通った福井の定時制高校にいたのは、常夏のフィリピンと極寒の中国出身という対照的な2人。なぜ福井の定時制高校に通うのか聞きました。
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中退や不登校を経験した生徒らも学べる場、定時制高校。昔のイメージと全く違うこの学校、海外出身の生徒たちも多いです。記者が通った福井の定時制高校にいたのは、常夏のフィリピンと極寒の中国出身という対照的な2人。なぜ福井の定時制高校に通うのか聞きました。
中退や不登校を経験した生徒らも学べる場、定時制高校。文部科学省の2018年度学校基本調査によると、全国の定時制高校の生徒数は約8.5万人と、10年前と比べて2万人以上減っています。昔のイメージと全く違うこの学校、海外出身の生徒たちも多いです。記者が取材した福井の定時制高校にいたのは、常夏のフィリピンと極寒の中国出身という対照的な2人。なぜ福井の学校に通うのかを語ってくれました。(朝日新聞デジタル編集部・影山遼)
以前の記事で、全日制の高校を中退してスーパーで働きながら定時制高校の夜間コースに通う22歳の男性を紹介しました。取材は2017年で、男性は当時3年生。他にも5人の同級生たちがいました。
中でも一番のムードメーカー的な存在だったのが、フィリピンで生まれ育ったノブヒロさん(19)=仮名=です。トレードマークは、つばを後ろ向きにしてかぶった帽子。学校の食堂に誰か入ってくるたびに、気軽に「やあ」と声をかける愛されキャラです。授業ぎりぎりに駆け込んでくるその姿を、記者はいつもほほえましく見ていました。
フィリピン中部に位置するボホール島の出身。世界最小級の霊長類「ターシャ」が有名なこの島で育ったノブヒロさんは、打楽器などの音を声で表現する「ボイパ」が得意です。
2014年4月に母親と一緒に来日しました。「日本に行く」。そう母親から聞かされた時は、ただただ驚くしかなかったといいます。
来日後、福井市の県国際交流会館で2カ月間にわたって日本語を学び、その年の7月ごろから、市内の中学校に自転車で通学しました。ただ、日本語を学んだのはたった2カ月。完璧に習得することはできなかったため、ノブヒロさんは「分からない部分も多く、日本語を話すのが少し恥ずかしかった」と振り返ります。
中学時代は着慣れない学生服に違和感を覚えました。ですが、定時制高校では制服が定められていません。夏は半袖半ズボンのジャージーにキャップが定番の姿になっています。
中学卒業後は、勉強をしながらアルバイトをしたいという強い思いがありました。それにぴったりな学校だと友人から教えられ、夜間の定時制への進学を決めたそうです。持ち前の明るさから、入学後、クラスメートと打ち解けるのに時間はかかりませんでした。
入学直後の試験では、2科目で赤点を取ってしまいましたが、教員が漢字にふりがなを振ったり、英語に置き換えたりするなどして学習を支援しました。自身も自宅に帰ってからひらがな、カタカナ、漢字に加えて文例をひたすら練習。以降は一度も赤点を取ったことがありません。「授業の出席日数もぎりぎり大丈夫なところで乗り切る要領の良さもある」と1年生から担任を務めてきた教諭はノブヒロさんを評します。
今は日本語での日常会話に支障はほとんどありません。それでも「中身が漢字ばかりだから」と学校の苦手な授業に日本史をあげます。
高校に入学してからは、バスケットボール部に入りました。小さい頃から路上で鍛えてきたため、バスケの腕前には自信がありました。部活では週3回の練習がありましたが、それでは物足りず、毎日のようにボールを手に。2年生からは試合に出場。そして2016年には県高校定時制通信制新人大会で優勝を果たしました。
ですが、その矢先に右ひざにけが。「バスケは大好きだけど、けがが怖くてやりたくない」と、以降は体育の授業の時間に、自由気ままにバスケを楽しむようにしています。
「フィリピンでは宿題がめちゃくちゃ多かった。定時制高校は自分のペースで勉強できるし、先生も優しい」。大好きな絵を描くことも美術の授業で生かし、パソコンのプログラミングも好き。図書館で借りた本に書いてある漢字を、パソコンを使って入力する練習もしています。
卒業後は、「フィリピンの大学に行く」「日本で仕事をする」の二つの選択肢が頭の中をよぎります。母親の希望はフィリピンで大学に行くこと。より良い生活のために収入がいい仕事に就くには、フィリピンで大学を出てほしいとの思いがあるためだといいます。
一方、日本の大学に進むとなると、学費の負担が大きい。もしフィリピンの大学に進むことになれば、1人で戻ることに。将来の進路については迷い続けていました。
もう1人はとても寒いところから来たシンイーさん(22)=仮名=です。6人の中で唯一の女性で、中国黒竜江省ハルビン出身です。
シンイーさんの話では、冬のハルビンは気温が零下20度よりも下がり、鼻水が凍ることもあるそうです。それに比べれば福井の冬は、それほど厳しくないそう。想像もつきません。
中国で中学校を卒業した後、現地の看護師を養成する学校に3年間通いました。基礎を学び、漢方の医院で看護師として18歳から1年半ほど働きました。
その当時、日本人と再婚することになった母が日本で暮らすことに。母と離れて慣れない一人暮らしをしたためか、体調を崩し…。心配した母が呼び寄せ、2015年4月に来日しました。
「言葉を全く知らず、日本での生活に不安を抱えていました」。当時の心境を日本語で打ち明けます。
今は滑らかに話す日本語も、覚えたのは来日してから。こちらもノブヒロさんと同じく県国際交流会館で学んだものです。定時制高校には来日した年の秋に入学。全日制高校も選択肢として考えましたが、生活のために働きながら学べる環境だったことが、最終的な決め手となりました。
「みんなと仲良くなれるのかな」。最初はおびえていましたが、同級生はすぐに受け入れてくれたそうです。年度途中の入学で足りない単位を補うため、夜間だけでなく午後コースの授業も一部受けています。中国では習うことのなかった家庭科の授業も楽しんでいます。
入学時には、スーパーでアルバイトをしていました。このときは午前6時に起き、総菜売り場で働きました。そして、仕事を終えてから登校し、授業を受けるなかなかハードな日々。病気で一時期アルバイトをやめていましたが、取材当時は弁当を作るバイトをしていました。
シンイーさんは「いつか自分のお店を持ちたい」。将来の夢を実現するため、卒業後は日本の短大に進学するつもりです。
小さな頃は日本に行くことなど想像していなかったという2人。文化も言語も違う日本に苦労しましたが、少人数で個人のペースに合わせて勉強できる定時制に救われたとも言います。どんどん授業を進めざるを得ない全日制でなく、中学卒業後の選択肢にも加えられるのではないでしょうか。次回は、不登校などを経験した定時制や通信制の生徒らが自らの体験を語った催し「生活体験発表会」で印象的だったエピソードを振り返ります。
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