連載
#19 #となりの外国人
最初に知った言葉「気持ち悪い」ミャンマー出身の双子、定時制を出て
現在の定時制高校、これまでは福井と秋田のどちらかというと地方の2校を取材してきました。共に感じたのはのんびりとした大学に近い雰囲気。一方、人であふれている都会の東京ではどのような環境があるのでしょうか。ミャンマー出身の双子の卒業生に話を聞いた都内の学校では、外国にルーツを持つ生徒が多数を占め、ほとんどインターナショナルスクールのような状況。双子の話をもとに、東京の事情に迫ります。(朝日新聞デジタル編集部・影山遼)
東京都豊島区に両親と住むアウン・ゾウ・テェ・パインさん(兄)とアウン・ゾウ・テェ・ピエさん(弟)は、ともに21歳の双子です。年に2回は双子だけで旅行する仲良しの兄弟は、2013年に都立小山台高校(品川区)の夜間定時制に入学し、4年間通って17年に卒業しました。今はともに「定住者」として、自由に働ける日本で暮らしています。
2人が日本に来たのは、8歳の時。日本で清掃関係の仕事をしていた父のもとへ、母と兄と訪ねました。日本に一時的に旅行に来たものだと最初は思っていたら、全く違いました。それから一度もミャンマーには帰っていません。
最大都市・ヤンゴンで出会った両親。2人によると、父はラカイン族、母はビルマ族で、父は難民認定を一時受けていました。1988年8月8日(ミャンマーでは「8888」と呼ばれる日)、ミャンマー中で独裁政権に反対する民主化運動が広がりました。この運動が終わった直後、「運動を続けたいなら海外でやって」という母の言葉を受け、父は日本に逃げてきました。2人の生まれるずっと前のことでした。
日本で生きることになった2人がなぜ、定時制高校を選んだのでしょうか。それには、小中学校時代のつらい過去がありました。
2人が入った埼玉の小学校では他に外国人がおらず、友達を作るために必死に日本語を学びました。弟・ピエさんは「相手が何をしゃべっているのかも、教科書に何が書いてあるのかも分からない」という完全に手探りの状態だったと当時を思い返します。
そして、日本で最初に覚えたのは「気持ち悪い」という言葉。周りから言われ過ぎて、自然と覚えてしまいました。
中学校では兄・パインさんがさらなるいじめに遭いました。ここでも同級生から「気持ち悪い」と言われ、机も雑巾ではさまれて運ばれました。気にするあまり「身体表現性障害」という病気に。一方、弟はあまり気にしないタイプ。双子でも感じ方はだいぶ違っていたようです。
日本人ばかりの状況を気にかけた母が、友人に頼んで紹介してもらった小山台高校に見学へ行ったところ、弟が「ひとめぼれ」しました。理由を「日本語学校かなと思うくらい外国人が多いところが良かった」と話します。
思った通り、入学してみると、外国人ばかりのためいじめがありませんでした。「みんな同じ思いを抱えながら日本で生きてきたと思うから」。面倒くさいと退学してしまった生徒も、2人の記憶の限りでは日本人しかいませんでした。
2人は4年間同じクラス。定時制高校では授業がゆっくりと進み、中学時代よりもテストの点数が上がりました。日本での勉強自体は「面白かった」。兄によると、ミャンマーの小学校は(学年によって)語学・英語・算数の3科目だけ。小学校から多様な科目に触れられてきたことは良かったといいます。
そして小山台の定時制でも「働きながら学ぶ」の精神は生きています。兄はケアサービスのアルバイトをしてから学校に通う毎日。卒業後は正社員として介護関係の仕事をしていました。ただ、中学時代の病気が再発。現在は弟と同じコンビニでアルバイトをしています。
弟も高校時代は居酒屋やビジネスホテル、ファミリーレストランでアルバイト。ただし、ファミレス時代は特定の人に怒鳴られたり、首をつかまれたりと耐えられなくてやめてしまいました。社会人になってからも朝6~9時の清掃の仕事から始まり、12~16時にコンビニ、週2回は18~20時にも清掃。土日も朝7~12時と働きづめの毎日を送っています。
2人の夢はいつでも一緒です。現在の夢は、定食をワンコインで食べられるレストランを兄弟で開くことだそう。映像系の大学に行くことも選択肢の一つにあります。そのため、旅行や心霊を中心とした番組を展開するyoutuberとしても活動しています。
弟は言います。「もう日本に慣れてしまってミャンマーは未知の世界。将来はどんな仕事にせよ日本で働きたいです」
兄は「定時制があって良かった」。ですが、東京都教育委員会は2016年2月、都立高校4校の夜間定時制課程の廃止を盛り込んだ計画を決定しました。この中には2人の母校・小山台高校も、時期は未定ですが、含まれています。兄は「なくすと同じ境遇の人たちの居場所はなくなりますよね。残してほしい」と悲しそうに話しました。
都教育委員会の資料によると、夜間の定時制に進学した生徒のうち勤労青少年(かたい言葉ですが、すなわち働いている青年と少年)の割合は、1965年度は88.3% でしたが、半世紀以上経った2018 年度には3.9%まで減っています。
教えている側から見ると、東京の定時制の事情はどうなっているのでしょうか。パインさんとピエさんと同じ時期に小山台高校の定時制にいた角田仁さん(56)は現在、都立一橋高校(千代田区)の定時制にいます。
角田さんによると、小山台高校に赴任したばかりの13年前は外国にルーツのある生徒は数人程度でした。ですが、それから在任した7年間のうちに急激に増え、最終的には15カ国に関係のある50人(2012年)の生徒たちが通うほどに。ルーツは様々で、内訳はアメリカ、インド、カメルーン、韓国、北朝鮮、コロンビア、タイ、中国、ドイツ、ネパール、パキスタン、フランス、フィリピン、ベトナム、ミャンマーでした。
中学校から日本に来た生徒の中には、日本語が得意でない生徒も多くいましたが、定時制は受け入れてきました。問題は、一部を除いて高校に日本語のクラスがないこと。退職した元教員らがボランティアで教えることもありましたが、圧倒的に補習の時間は不足。生活のために寸暇を惜しんで働くため、単位にならない補習には集まりにくいという傾向もあったといいます。
英語などの語学ができれば、AO入試などで大学に行けることもあります。ですが、高校では日本語による授業しかなく、自分の母国語を活用できる授業や機会がほとんどありません。高校では日本語が必修になっているため、他の語学ができても生かせていません。角田さんは「マイノリティーに対する風当たりは強いです。日本語が分からないのに入学させるのはかわいそうなどの迷惑論もいまだに根強くあります」と訴えます。
さらに、卒業後も在学中にしていたアルバイトを続ける例も散見されます。外国に関係することを生かした仕事に就けるよう進路指導をしたいところですが、そこまでは至っていません。
角田さんは今年3月17日、「外国につながる高校生のための進路ガイダンス」を開きました。外国にルーツを持つ高校生約30人が参加。ペルーで生まれ、13歳で日本に来たという登壇者の話に耳を傾けました。
「部活での上下関係に戸惑いましたが、日本の社会に出るのには役立ちました」などの具体的な体験談から、レストラン、段ボール製造、ホテルのウェーターと仕事を転々とした今、「日本とペルーの架け橋になりたい」と旅行会社にたどり着いたという人生。自らの将来を重ねる生徒も多いのか相づちを打ちながら、進路について考える生徒の姿が目立ちました。
小山台高校に関する珍しい取り組みの一つとして、司法書士会と連携した相談会を開いていました。外国にルーツを持つ生徒らからは、難民申請・永住権・帰化などの相談が多く寄せられたといいます。
永住や定住の資格を持たない生徒も多く、就労に制限があったり、進学したくても奨学金を借りることができなかったり、進路に関する選択肢が非常に狭くなっているのが現状のようです。
定時制自体の存続を求める運動も続いています。地方とはまた違った都会の定時制の取材は、まだまだ時間がかかりそうです。
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