連載
#27 平成家族
官僚の地位捨て彼女の元へ・妻が「週末婚」提案 広がる多様な働き方
平成に入り働き方は多様になり、仕事に求める価値も人それぞれになりつつあります。霞が関の官僚から彼女の住む北海道の市役所職員に転職した男性は「国や東京がすべて」という考え方が変わったと言います。「今は仕事が優先」とパワポのプレゼンで夫を説得したIT企業の女性が選んだのは「週末婚」でした。新しい生き方が働き方にも反映される今、仕事ややりがいや、夫婦生活よりも大事にしたいものとは――。
朝8時15分。札幌市のベッドタウンに位置する北海道江別市に住む北島裕介さん(35)は、職場まで2キロほどの道のりを自転車で出勤します。
「東京での通勤は満員電車だったので、やっと解放されました」
北島さんは3月まで、厚生労働省の係長。直近は広報室に所属し、裁量労働制をめぐる問題でマスコミや国会議員たちの対応をしていました。
現在は江別市役所介護保険課の主事です。社会人採用試験を受けて、4月に転職。
「要は平社員に戻りました」
高校や大学を卒業したばかりの同期とともに、初めての窓口業務にあたっています。
給料も3割ほど下がりましたが、「家賃も安くなったし、自炊を始めたので食費もあまりかからなくなりました。親切な人たちばかりで、生活には満足しています」と笑顔です。
転職のきっかけになったのは、札幌市に住む彼女の存在でした。
札幌市役所に出向していた2014年、同じ市民楽団に入っていた縁で交際をスタート。東京に戻った翌年からは、月に1度は週末に札幌を訪れ、遠距離恋愛を続けていました。
年下でしたが、彼女の誠実な人柄にひかれていった北島さん。
「このまま付き合っていくなら、離ればなれでいない方がいい」
東京に戻って1年半が過ぎた頃、彼女との将来を考えるようになると、自分の働き方についても見つめ直すようになりました。
北島さんが厚労省に入ったのは、祖母の認知症がきっかけです。
「高齢者が健康で長生きできるような、介護予防の枠組みづくりをしたい。そのためには国の行政しかないと思いました」
2008年に入省し、最初の配属で、介護保険の予算部門を担当。2015年4月に施行された生活困窮者自立支援法では、担当係長として法律がしっかりと運用されているかを全国に目配せするなど、順調にキャリアを積んでいました。
「入省当時はずっと仕事をしていることが自分のアイデンティティーと感じる部分があり、何より仕事が大事だと思っていました」と振り返る北島さん。
係長に昇進すると、政策の企画など出来ることが多くなり、有識者や政治家にも自分の提案を説明できる機会が増え、仕事のやりがいはとても感じていました。
一方、札幌市への出向を通じて「国や東京がすべて」という考え方は変わりました。
「生活保護のケースワーカーなどで現場に入り、福祉制度は地域のニーズに応えていくことで成り立っていくものだと改めて感じました。同時に、東京では、何でも都市部に合わせて制度を作り、それを地方に押しつけていたことに気がついたんです」
さらに札幌での生活は、仕事以外の楽しみも見つける機会にもなりました。
「彼女と出会ったこともそうですが、仲間と登山をしたり、スノーボードをしたり。人生は仕事だけではないと少しずつ感じるようになりました」
30代半ばにさしかかって、「今のままで人生の最期を迎えることが幸せなのか」と考えるようになった北島さん。
「仕事あっての私生活という気持ちは変わりませんし、公務員として福祉行政に関わることにも誇りを持っています。ただ、厚労省である必要が本当にあるのか。立ち止まって考えてみた時に、そこまでのこだわりはありませんでした」
「彼女と一緒に過ごしたり、自分のために使える時間を増やしたりする方が幸せにつながると思ったんです」
札幌行きを決意すると、社会人経験者を募集していた江別市の試験を受け、昨年末に内定が決まりました。
「彼女に転職の意志を伝えると、『給料が下がるし、10年間のキャリアも一度捨てることになるのは大丈夫?』と心配されましたが、反対はされませんでした。埼玉で一人暮らしをする父親も『行ってこい』と送り出してくれました」
新天地での生活はまもなく1カ月を迎えます。厚労省の時は当たり前だった残業はほとんどなく、終業後は同僚とフットサルをしたり、担当の介護保険について勉強をしたりして過ごし、週末は彼女との時間を大切にしています。
「縁もゆかりもない土地に行くのはもちろん不安がありましたが、昔とは違って、働く目的さえしっかり持っていれば、公務員であっても、場所にこだわらず仕事ができます。これからは、江別がよりよい街になるよう、自分らしい働き方で関わっていきたいです」
人材会社エン・ジャパンが昨年8月に転職サイトに登録する約8700人に「仕事に求めること」を複数回答で聞いたところ、全体でのトップ3は「自分の能力を生かせること」(46%)、「人間関係の良い職場環境で働くこと」(46%)、「プライベートを大切に働けること」(44%)で、いずれも4割を超えました。
年代別に見ると、40代以上では「自分の能力を生かせること」が5割を超え最多に。20代、30代は「プライベートを大切に働けること」が最多で、20代では58%に上り、30代よりも10ポイント多くなりました。
若い世代ほど、仕事一色という人は減り、プライベートのバランスを大切にしている傾向があります。
企業の人材育成に詳しい立教大の中原淳教授は、「一つの会社に長く勤務し、年功序列で賃金が上がるというモデルが崩れたことで、一つの山を登り続けるというキャリアから、あるとき下山したり、再び登山をしたり、とキャリアのあり方が変わってきている」 と指摘。
ものを作れば売れるという時代が終わり、発想やアイデアが重要視される時代に入ったことで、長時間労働が良しとされていたこれまでの価値観が変わり、それが働き方にも影響していると言います。
仕事や家庭で、何を優先するかは時間の経過によっても変わります。ライフステージごとに家族のあり方を柔軟に変えながら、「本当に大事なこと」を追求する人もいます。
IT大手のサイバーエージェントで、大企業のインターネット広告を手がける次世代ブランド戦略室・西日本管轄の室長、竹内ひのさん(35)は、仕事を優先し、「週末婚」というスタイルを選択しました。
平日は仕事で東京や大阪を飛び回り、ホテルに宿泊。週末は夫と暮らす名古屋で過ごすという生活を、約4年間続けています。
当初「女性は家庭に入るもの」という考えを持っていた夫には、交際していた頃から「結婚したら、仕事は辞めるよね?」と言われていました。
しかし、「比重はどうであれ、仕事は続けたい」と思っていた竹内さん。プライベートに重きを置きながら、営業としての仕事をこなしていました。
「自分の人生を自分で選択できる、ということが私にとって重要でした。仕事を続けていれば、人生の選択肢を広げることができる」
名古屋で働いていた2013年、大阪に現在の部署の前身となるチームが発足するのを機に、異動の打診がありました。
「やりたいです」
夫に相談する前に、返事をしていました。
名古屋で知り合った夫は家業を継ぎ、転居ができない職業です。通えない距離ではない、と1年ほど新幹線で通勤する生活を送りました。
とはいえ、朝7時に家を出て、夜12時に帰宅。同僚に比べて時間の融通が利かず、体力的にも厳しさを感じた竹内さんは、夫に「週末婚」を提案することにします。
部署のミッション、現状の課題、これからのビジョンーー業種の異なる夫にも理解してもらえるよう、4枚のパワーポイントにまとめました。
「私が提案して、夫が決定する。相手をリスペクトする気持ちを持って伝えました」
竹内さんが仕事に打ち込む姿を見てきた夫は、背中を押してくれたといいます。
ただし、週末の家事は竹内さんがする、というルールを決めました。平日にバリバリ働いた後、生活拠点である名古屋に移動して家事……負担が大きいかと思いきや、「まったく苦じゃありません」と竹内さん。
「家電などで省力化できるところはどんどんしていますし、働かないでって言われるよりよっぽど良いです」
「家に帰らなくて、本当に大丈夫?」「旦那さん、かわいそうだね」。周囲から心配の声をかけられることもあります。
「良かれと思って言ってくれているのはわかりますが、気にしません。2人がこれで成立しているのであれば、それはひとつの家族のあり方なので」
「本当に大事にしたいことだけをお互い尊重していれば、うまくいくと思っています。派生する要望はたくさんあるかもしれませんが、本当にやりたいことに比べれば、たいしたことじゃない」
今後、いつ、どこに赴任するかはわかりません。ライフステージの変化を経て、自分の中での優先順位が変わることだってあり得ます。
「そうなったらそうなったで、家族の形を変えていけばいいだけです。今はそれができています」
この記事は朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。家族のあり方が多様に広がる中、新しい価値観と古い制度の狭間にある現実を描く「平成家族」。今回は「働く」をテーマに、4月28日から公開しています。
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