連載
#10 平成家族
「結婚と出産って、別のこと」 産め圧力から解放されて見えた風景
「お子さんは?」「おめでたは?」。子を持たない、持てない夫婦やシングル女性たちは、出産に対する様々な圧力を感じています。平成に入り、ワーキングマザーを気遣う職場が増える中、急な残業や出張を引き受けることに複雑な思いを抱えたり、周りの出産にうらやましさを感じたり。今も割り切れない思いを抱える人がいる一方、出産へのこだわりに区切りをつけ「違った風景が見えるようになった」という女性もいます。(朝日新聞記者・伊藤綾、田渕紫織)
千葉県に住む女性(29)は東京ディズニーシーでのアルバイトから帰る深夜、スマートフォンでブログやSNSを巡りながら、浮かんでくる広告から反射的に目をそらす。出会いを求める男女が飲食店をはしごする「街コン」の開催告知だ。共催に自治体名があることもあり、「一緒に暮らす相手を見つけるというより、『結婚して子どもを産んで税金を納めてね』という声が聞こえるようで……」と、もやもやする。
大学を卒業してから、6年以上ディズニーシーで働いている。子ども連れの家族に毎日接し、「赤ちゃんが泣くのなんて、雨が降って地面がぬれるのと同じぐらい当たり前なこと」と受け止める。
一方、子どもがいる友人から聞く話や、通勤中のスマホで読むニュースによると、母親が働き続けるのにはいくつも壁があり、子連れは迷惑がられるらしい。こうしたギャップに不思議さを感じる。
3カ月前、結婚相談所に入会した。母から知人の所長を紹介され、興味本位で入った。「馬が合う人とパートナーシップを組んだら、世知辛い世の中も渡っていけるかも」と考え、月に1度、お見合いをする。
でも、ネット広告で目に入る大手のきらきらした婚活サイトは、「結婚が人生のゴールのように描き、不安をあおっている」と感じ、遠ざけている。その延長線上に、出産へのあおりもあるような気がしているからだ。
「結婚と出産って本来、別のことじゃないのかな」
東京都の会社員女性(39)の職場では、約20人の同僚のうち3割ほどは子どもがいる「ワーキングマザー」だ。急な仕事や出張は未婚の自分も含め、子どもがいない人が対応することが多い。
最近の社内は、妊娠や出産、育児を巡るハラスメントの問題に敏感だ。仕事を割り振る上司は「子育ては大変だね」と気を使う。
仕事は多忙で、子育てとの両立は難しいと思う。自分だって、病気になったり親の介護が必要になったりするかもしれない。「しんどい時はお互い様」と思うから、助けられることはしたい。でも、もやもやすることもある。
熟年離婚した両親の姿を見て幸せな結婚のイメージを描けず、結婚願望はなかった。ただ、2011年に東日本大震災が起きると、一人でいることに不安が生じた。鏡を見れば肌の衰えを感じ、20代の頃とは体力も違う。「子どもを産むには年齢的なリミットがある」という思いもある。だから4カ月前、結婚相談所に登録した。
しかし、職場で「私にとってもプライベートな時間は貴重」とは言えない。紹介される男性とのお見合いやデートに時間をあてたいが、忙しくてなかなか時間を割けない。「子育ての大変さは、子どもがいない人にはわからない」と言われたら、返す言葉がない。残業をしながら複雑な思いを抱える夜も、不満は言わず、やり過ごしている。
埼玉県の50代の会社員女性はかつて、「30歳までには結婚して普通に子どもを産む」と思っていた。だが、海外へのあこがれから就職した貿易会社で、20代は残業続き。知人の紹介で出会った夫と結婚したときは、40歳になっていた。
年齢的に「子どもありきの結婚ではない」と確認し合っていたが、「1人くらいは、いてもいいかな」が本音だった。結婚と同時に仕事を辞めると、社会から取り残されているような気がして、「母親になりたい」という思いがいっそう募った。
「お子さんは?」と聞かれると、心が波立つ。手元に届く家族写真入りの年賀状が、幸せ自慢のように思えた。
結婚3年目に妊娠がわかった。だが、間もなく異常が見つかり、あきらめざるを得なかった。「母親になるのとは、別の生き方をしなさい、と言われているのかな」。これから出産して育てられるのかという不安から、解放された気もした。
40代半ばに仕事を再開し、ペットを飼い始めた。インターネットを通じて、子どもがいない人たちと交流するようにもなり、少しずつ気持ちが切り替わっていった。
今でも楽しそうに出かける母と娘の姿を見ると、うらやましく思う。幼児虐待のニュースに接すると、「うちに生まれてきてくれたら、あんな思いはさせなかったのに。世の中、不公平だ」と憤る。
ただ、最近は「親身に相談し合える人が、身近にどれだけいるかが大切」と考えるようになり、親戚とも意識的に交流を深めている。子どもを通じた近所づきあいがない分、一人暮らしの高齢者を見守る活動など、互いを支え合う道を自分から模索していきたいと思っている。「いずれは自分もお世話になるかもしれないから」
東京都に住む57歳の女性は、25歳で結婚したとき、「子どもは男の子と女の子、1人ずつがいいかな」と漠然と考えていた。
結婚2年目。妊娠の兆候はなく、心配した実母に勧められて不妊治療のためクリニックに通い始めた。最初は渋っていた夫も数年後に病院に行くと、夫婦ともに子どもができにくいことがわかった。
「おめでたは、まだ?」
お正月やお盆に夫の実家に行くと、義母からそう言われるのはいつものこと。幼なじみが子どもを産むと、うれしさと同時に寂しい気持ちもあった。友人たちとの集まりからは距離を置いた。
「会えば自然と子どもの話題になる。疎外感を味わいたくない」
休みながらも不妊治療は8年に及んだ。通院、検査、薬の副作用のような症状……。体と心への負担が続く。純粋に子どもが欲しいのか、「世間体」というプレッシャーの下で頑張っているのか、わからなくなった。子どもが欲しいという気持ちがしぼんでいき、35歳で治療に区切りをつけた。「どうしてあきらめるの?」と言う人もおり、家に閉じこもりがちになった。
40代後半になると、子育てが落ち着いた友人たちと再び交流するようになる。「子どもがいないと肩身が狭いかな」と思って敬遠していた高校の同窓会にも行くと、子どもがいない人も、子どもを亡くした人もいた。「もうすぐ孫が生まれるんだ」。そんな話も「自分が体験できなかったこと」として興味をもって聞ける。
「努力しても思い通りにならないことは誰にでもある。『夫婦2人に子ども2人』という家族の姿だけを描いていた頃の自分とは違った風景が、見えるようになったんじゃないかな」
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