連載
#6 ここは京大吉田寮
ヒッチハイク車11台で青森から帰還 京大「吉田寮」の名物企画とは
「一度きりの出会いが貴重でいとおしい」

京都大学・吉田寮の寮祭名物企画「ヒッチレース」。参加者は目隠しをされてドライバーから「国内のどこか」へ車で飛ばされ、ヒッチハイクを駆使して寮への帰還を目指します。このご時世、ヒッチハイクで乗せてくれる車ってあるの?どうやって帰ってきたの?3年連続3度目の参加者に話を聞きました。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)
〈ヒッチレース参加者インタビュー〉
築112年の京都大学「吉田寮」の寮祭名物「ヒッチレース」。参加した5人に帰還の過程を聞きました。
1913年に建てられ、現存する国内最古の学生寮といわれる京大「吉田寮」。今年は5月24日~6月1日に寮祭が開かれました。
その名物企画がヒッチレースです。55人が参加。寮生は一部で、寮や大学の外からも多くの人がやってきました。
5月24日0時。多数のドライバーたちの車にくじで振り分けられ、参加者たちは分かれて乗車。到着するまで、どこに降ろされるのかは見当がつきません。
さらに運営が推奨するのは手ぶらでの参加。身一つで見知らぬ土地からスタートします。
「レース」といえど帰還の「早さ」を競うわけではありません。帰還の過程の「おもろさ」が注目され、参加者たちは後日寮で開かれる「お土産話会」で聴衆にエピソードを披露します。
大阪市の30代の会社員「ぴぃ」さんは、ヒッチレースは3年連続3度目の参加です。
2023年は青森県の脇ノ沢、2024年は山梨県の河口湖、2025年の今回は静岡県の沼津市に飛ばされました。
そもそも、なぜ会社員として働くのぴぃさんが、この企画に参加しようと思ったのでしょうか。
「7~8年くらい前から、音楽イベントなんかで東京に出かけるときに『ライドシェア』のような感覚でヒッチハイクをやっていました。ネットの掲示板で『ここまで行きたいけどどなたか乗せてくれませんか』と募集をかけて人に乗せてもらうスタイルです」
「ヒッチレースは、2023年の開催3日前に偶然広告を見かけて、『これやりたい!』と参加しました」
乗る前の会話で相手をよく見て、乗った後もナンバーをメモしておくなどの安全対策をしながら毎回レースを楽しんでいます。
今回は、車5台を乗り継いで帰還しました。前回とほぼ同じルートで帰ってきたそうです。
ヒッチレースの思い出として印象に残っているのは、初めて参加したとき、車11台を乗り継いで帰ってきた経験です。
降ろされたのはとある港でした。
近くに止まっていた車が青森ナンバーで「遠くから来てはるなあ」と思ったら、その隣も青森や弘前のナンバープレート。
売店に入ると、並ぶガイドブックには「ようこそ青森へ」の文字。いよいよ自分の現在地を悟りました。
「まさかこんな遠いところに来るとは」と頭は真っ白。
そのあとドライバーから渡されたのはフェリーのチケット。今いる津軽半島から下北半島へ渡る船に乗り、着いたのはむつ市の脇野沢港でした。
津軽半島の先のフェリー乗り場でドライバーから船のチケットを渡されました。船に乗って着いたのが脇野沢でした」
その日の最終フェリーが出たあと港に1人残っている様子を見て不思議に思い、売店のおばあちゃんが声をかけてくれました。経緯を話したところ「女性ひとりでこんなところまで来て何をしているの!」と怒られたそうです。
しかし、企画の趣旨を説明するうちに理解してくれ、いろんな人に電話をかけ始めてくれました。青森県むつ市の市街地へ出かける予定がある人を探したそうですが、なかなか見つかりません。
「『しょうがないわ、あんたを放っておけない。うちが送っていく』って言ってくれて、まずおばあちゃんの家に連れて行ってくれました
おばあちゃんが家の奥から持ってきたのはリュックサック。亡くなった夫がかつて登山に使っていたものだそう。そこにタオルや雨がっぱ、おやつや飲み物を入れてくれました。
そうして、おばあちゃんが車で送ってくれて市街地へ到着。乗せてくれる車を探して腕を伸ばして親指を立てながら歩いていると、「ヒッチハイクですか!俺初めて見た!すげえ!」と小学生にあおられることもありました。
止まってくれたのは高級そうな外車。中から顔をのぞかせたのは金のネックレスをつけて体にタトゥーが入った男性3人組。近くの駅まで送ると言ってくれました。
「いかつかったから乗るの迷ったやけど、20分くらいって言われてそれならいいかなって」
下北駅で降ろしてもらい、「お姉ちゃんな、危ないことあったらすぐ爆竹鳴らしてね。俺らすぐ助けに行くから」と見送ってもらいました。
夕方5時ごろ、小学生くらいの女の子を乗せた女性が声をかけてくれます。「この先繁華街もないし、うち泊まっていく?」
家は恐山のふもと。「女性の娘さんに『恐山行ったことある?』って聞いたら、『子どもと行くと向こうの世界に連れていかれるからって、行けないの』と話していました。なんだか不思議な気持ちになりました」
夜には家族会議さながら、みんなで集まって翌日どこまで送るかを考えてくれました。「こっちのほうがトラックが通る」「でもこっちの方が行く方向に近い」
白熱した議論の結果、翌朝は八戸まで送ってもらいました。寝ている間に家族は「京都大学まで」と書いたボードを作ってくれていました。
八戸漁港の館鼻(たてはな)岸壁朝市で降ろしてもらい、いろんな店の人に声をかけていくと、ある女性が「八戸インターまでなら」と乗せてくれることになりました。
「その人は『うちには娘がいるけど、かわいがって育てたら臆病というか箱入り娘になってしまった。女の子でもヒッチハイクしてるあなたを見て話をしてみたくなった』って言ってくれました」
八戸インターチェンジで次の車を探します。
「トラック乗りのお兄ちゃんが『茨城県のトラックターミナルで降ろしてあげるからそこで次見つけなって』って言ってくれました」
「お兄ちゃんは霊感があるらしくて、『君には霊がついていないから乗せた』って。昔友達と車に乗っているときに「かわいい女の子がヒッチハイクしてるから乗せよう」ってことになったけど、その子の後ろに霊がくっついててやめさせたことがあるらしいです」
順調に茨城県へ到着し、「東京方面」と書いたボードを持って車を探します。
乗せてくれたのは同じくトラックの運転手。「東京までは行かないけど、人生で一度はヒッチハイクの子を乗せてみたかったんよ」と栃木のサービスエリアまで乗せてくれました。
トラックから私用の車に乗り換えるために会社に寄るからと、一度コンビニで降ろされます。
うろうろしながら店の外で待ってたら、店から出てきた人が「もしかしてヒッチハイクですか?」と声をかけてくれて、飲み物1本無料のサービス券がついたレシートをくれました。
その後車を乗り換えた運転手が迎えに来てくれて、サービスエリアで下車。時刻は深夜12時ごろ。
「ここで野宿かなあと思っていたら、男性が『渋谷まで乗って行きますか』って声をかけてくれて、深夜2時あたりに渋谷に着きました」
段ボールを集めて敷いて路上で就寝。夜が明けると月曜の朝で、ぞろぞろと歩く通勤の人たちが通り過ぎていきます。
「東京でヒッチハイクするなら、東名高速道路のインターがある用賀のマクドナルドが聖地と言われてるんですよ。でも10キロくらい距離があったので『用賀まで』とボードを持ちながら歩いてました」
「三軒茶屋あたりできれいな車に乗った人が『俺ら用賀まで行くよ』って乗せてくれました。男性2人で片方の方が(もう一人をさして)『この人芸能人なんですよ』って。有名な映画にも出てる人でした」
用賀ではなかなか車がつかまりませんでしたが、「目が合った路線バスの運転手が『グッ』って親指立てて向けてくれておもしろかったです」。
乗せてくれる人を探して立ってると、いろんな人から声をかけられます。「ヒッチハイクなら向こうの角のほうがいいよ」「もっと開けてるほう行ったほうがいいよ」とアドバイスが飛んできます。
そうこうするうち、車が1台止まってくれました。
「海老名サービスエリア(神奈川)まで乗せてあげるよと言ったお兄さんでした。『僕も昔用賀からヒッチハイク始めたんです』っておっしゃってました」
海老名では、「むきむきのお兄さんが『刈谷(愛知)くらいまでなら』と声をかけてくれました」。
車には「大和魂」「天皇万歳」の文字。金髪の女性が乗っていました。
「すごくいい人たちでした。『20年前に結婚してすぐ子どもが産まれたから新婚旅行に行かずじまいで、やっと子どもの手が離れたから今日が初めての2人での旅行、新婚旅行なんです。そこでお姉さんと出会ったのも何かの縁です』って言ってくれました」
「刈谷からは娘さん3人くらいを連れたお姉さんが乗せてくれて、京都の市街地で降ろしてもらいました」
合計11台を乗り継いで青森から帰還。ぴぃさんは、この初参加の経験が楽しくて、以来3年連続で参加するほどやみつきになっています。
ヒッチハイクの魅力を聞きました。
「人が好きで、人と会って話をするのが好きなんです。乗せてもらってから相手がどんな人でなんで乗せてくれたのかを、ちょっとずつお話しながら聞いていくのが楽しいです」
「そのとき一度限りの出会いでまた会える日が来るか分からないからこそ、そんな時間が貴重でいとおしいなって感じます」
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