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連載

#4 #産む産まないの先へ

「凍結受精卵処分してください」8年の不妊治療で向きあった存在意義

見つけた「私にしかできないこと」

8年に及ぶ不妊治療の後に決断した「私は産まない」。存在意義と向き合った中で見つけたものとは?(写真は本人提供)
8年に及ぶ不妊治療の後に決断した「私は産まない」。存在意義と向き合った中で見つけたものとは?(写真は本人提供)

目次

どんなに願ってもかなわないことがある。「産めるのか?」は、自分の「選択」を越えた世界だ。「産めない」にどう向き合うのか。8年に及ぶ不妊治療の後、「私は産まない」という決断をしたボレンズ真由美さん(41)。「あきらめることは敗北じゃない」。願いを手放した先の歩みを聞きました。(朝日新聞記者・中村真理)

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シリーズ「#産む産まないの先へ」

「産むを巡る選択」に、なぜこんなにも悩むのだろう。もしかしたら同じようなモヤモヤを抱えている人がいるかもしれない。2人目の子どもを妊娠中の私は産んでも終わらないこのモヤモヤに向き合ってみることにした。私と同じ、今を生きる女性たちが何を感じ、何を思い、今歩んでいるのか。ひとり一人の物語から、考えてみたい。産むか産まないかはゴールじゃないなら、そこから先に何があるのか。越えた場所に広がる景色を見るために。

     ◇

中村真理(なかむら・まり)1980年生まれ。35歳で会社を休職。地域NPOインターン、留学などを経て、2019年に第1子、2021年に第2子を出産予定。

国際結婚をして、中国へ

オンラインでお話を聞いたシンガポールに住む真由美さん。日英二カ国語を操るイベント司会者で、ナレーションなど声を使う仕事を長く経験してきた。のびやかでリズミカルな声に、原色のトップスが南国の雰囲気。華やかな印象だ。

兵庫県で生まれ育ち、高校卒業後にカナダへ留学。姉も留学するなど、海外へ行くのは自然な流れだったが、カレッジ在学中に経済低迷の影響で学費の仕送りがストップ。帰国して就職し、単位取得のために何度も渡航をしたが卒業はかなわなかった。

23歳の時にカナダ人の夫と出会い、24歳で結婚。夫の仕事のため、結婚式後すぐに中国の広東省へ移った。夫の仕事が軌道に乗るまで、毎月のやりくりに追われる日々。当時はまだ道路の舗装も未整備で、砂ぼこりが舞い上がる道をベビーカーを押して歩くことは想像できなかった。「子どもの安全を考えたら、ここで出産はしたくない」。

周りで結婚、出産を聞くようになった29歳の時、「うちもそろそろ」と避妊薬を止めて妊娠を待ったが、授からなかった。

香港の産婦人科で検査を受けると、「異常なし」。夫婦とも体の状態は太鼓判を押されたが、不妊治療を2年あまり続けても妊娠しなかった。「原因が分かっていたら対策を考えられるけど、2人とも良い状態なのに、なんで?なんで?を続けていた」

32歳でシンガポールへ転居し、治療を再開。より高度な体外受精へと進んだ。採卵後に受精卵を2度移植したが、着床しなかった。

私は何者?

ここで真由美さんは一度、治療をストップしている。

「会社員としてフルタイムで働けず、母にもなれない。アイデンティティークライシスですごく苦痛だった」。治療中は投薬の注射を冷蔵庫で保管し、決まった時間に打ったり、当日に病院へ行く必要があったり、と予定が立てづらい。職場で事情を伝えるにも勇気がいる。正社員の仕事はあきらめた。誰にも話せない。友人から「子どもがいないのに、家で毎日何しているの?」と聞かれては落ち込んだ。

さらにシンガポールの高額の医療費や妊活に費やした費用は200万円近くになり、「何も得られなかったギャンブルみたいだった」と振り返る。

34歳で司会などの仕事を請け負う会社を自ら開業。仕事に打ち込んだ。「働くことに価値を見いだそうとあがいていたんだと思う」

経済的にもめどが立った36歳のタイミングで、日本で治療することを決断。卵子の凍結融解技術が高い日本へ望みを託した。4度渡航し、採卵と2度の移植。結果は着床しなかった。

「凍結を続けますか?」。残った凍結受精卵について病院で聞かれた時、「処分してください」と答えた。凍結を続ければ、更新のために毎年日本に戻らないといけない。「もう期待と落胆を繰り返したくない。この受精卵があと数年存在することで、私は前に進めないと思った」。シンガポールにいる夫に電話で「治療をやめたいけど、処分してもいい?」と聞いたら、「いいと思うよ」と返ってきた。

前を向けるようになるのに2年かかった。夫も真由美さんも子どもが大好きで、友人からは「まだなの?」、「2人の子どもができたらかわいいだろうね」と言われ続けてきた。日本から戻った後、「私はあなたを父親にしてあげられない」と離婚を切り出したこともあった。

「正社員でもなく母にもなれない。アイデンティティークライシスですごく苦痛だった」 ※写真はイメージです=Getty Images
「正社員でもなく母にもなれない。アイデンティティークライシスですごく苦痛だった」 ※写真はイメージです=Getty Images

そして、歩き出す

転機となったのが、NLP(神経言語プログラミング)と呼ばれる心理学を学んだことだ。言葉にならない気持ちを受け止めることができるようになり、自分の中に届けたいメッセージがあることに気づいた。

結婚15周年の昨年7月、ポッドキャスト番組「FLOW~産まない産めない女性の幸せな人生計画」をスタート。自らの治療経験を伝え、子どものいない女性たちのライフストーリーを届けている。

今秋から、日本の大学に入学することに決めた。通信制で心理学を学ぶつもりだ。「経済的な事情で卒業できず、学位がないことにずっとコンプレックスがあった。でも、40歳でも遅くないかなと思って」

「環境を言い訳に、できなかったことを振り返るより、いま自分ができることをやりたい」。どんな状況だとしても、自分の気持ちや行動は自分で「選択」できる。真由美さんが決めた新しい生き方の旅はもう始まっている。

家に帰って大泣きした

――8年に及ぶ不妊治療を終える決断。どんな思いでしたか?

凍結受精卵の処分を決めた日は記憶にないくらい。何も感じない無の状態。まひしている感じだった。だからこそ、冷静に病院で手続きできたのだと思う。

でも、家に帰って夫の顔を見たときに初めて、大泣きした。その後も、自宅の6人がけの食卓に夫婦2人分の食事が並ぶのを見ただけで、「大家族の予定だったのに」ってワーって泣いたり。

「グリーフ(喪失体験)だったんだ」って後で気づいた。流産や子どもを亡くした人に起こるって聞いていたけど、不妊治療をやめた私も何かを失ったことに変わりはない。子どもが欲しいという願望を奪われたことは喪失につながっている。


――前を向くのに2年。グリーフを抱えて、どんな風に過ごしていましたか?

自分自身の存在意義に向き合っていました。女性として生まれたのに、母にもなれない。結婚した目的って何?38歳手前で会社員でもない。不妊治療がなければ、めちゃくちゃバリバリ仕事をしていたんだろうな、とか。できたかもしれないことを見て、今ないものに落胆する時期だった。

「不妊治療がなければ、めちゃくちゃバリバリ仕事をしていたんだろうな。できたかもしれないことを見て、今ないものに落胆する時期だった」(写真は本人提供)
「不妊治療がなければ、めちゃくちゃバリバリ仕事をしていたんだろうな。できたかもしれないことを見て、今ないものに落胆する時期だった」(写真は本人提供)

言葉にならない気持ちがあってもいい

――感情を出せる場所はあったんですか?

プロに聞いてもらうのはちゅうちょがあったんです。何を話したくて、何を解決させたいのかもわからない。聞いてもらいたいけど、1年くらいかかったかな。

私は話すことが得意なのに、この気持ちを言語化できなかった。NLPを学び始めてやっと、「言語化できない気持ちもあるんだ」って知った。体で感じる気持ち。言葉にならなくてもいいんだって思えた。

自分にいかに思い込みや固定観念があるか。「子どもを持たないといけない」とか、「女性だから母にならないといけない」とか。自分の「普通」を思考パターンから考え直しました。


――ポッドキャスト番組を始めたきっかけは?

心の浄化です。不妊の本を読んでも成功例ばかり載っていて、「ハッピーエンディング=授かること」。不成功例も必要だと思ったし、じゃあその後はどういう生き方をすればいいの?みんなどうしているの?を知りたかった。自分が開示すれば、他の人も声を上げてくれるかも、と模索する形で始めました。


――ずっと誰にも言えなかった。周りの反響は?

友達もみんなびっくりしていた。最近になって、親にも「私たち子どもはできません」って伝えられた。「可能性がゼロ」と伝えることにずっと罪悪感があったんです。傷つけてしまうんじゃないかって。FLOWを始めて、自分の存在意義が見えてきて、伝えることができた。


――これからどうしていきたいですか?

私も「現在進行形」って伝えたい。これはジャーニーであって、私も成長段階で模索している。成長の達成をみんなで一緒に喜べるコミュニティーでありたいなって思う。自分の存在意義を悩む人にとって、何をするにも絶対に遅くないよって伝えたい。

8年の不妊治療を経験したボレンズ真由美さん。ポッドキャストを始めて「自分の存在意義が見えてきて、伝えることができた」と話した(写真は本人提供)
8年の不妊治療を経験したボレンズ真由美さん。ポッドキャストを始めて「自分の存在意義が見えてきて、伝えることができた」と話した(写真は本人提供)

あきらめることは敗者ではない

――改めて、真由美さんが前に進むきっかけになったのは?

「あきらめちゃいけないの?」って思い始めたことですね。世間は「あきらめるな」、「夢はかなう」ってポジティブなことを言うけど、「あきらめたら敗者なの?」「あきらめちゃいけないって誰が決めたの?」って思うようになって。

どこかで区切りを付けて前に進むことは、弱いとか負けでは全くない。自分ではどうしようもないものに時間とエネルギーを使うより、出来事のとらえ方など自分で選択できることに注力したい。授かるかどうかは決められないけど、自分が人生をどう歩むかは選択できる。

私の人生のテーマは「choice」だと思う。その中で一つだけ選べなかったのが授かること。だけど、それ以外は人のせいにしてはいけないっていう思いが、「じゃあ、こうしよう」につながっていると思います。


――いま、幸せですか?

80%は幸せかな。夫婦でも愛情表現を素直にするし、小さな事にも感謝の気持ちがわく。まだ見ぬ子どもにフォーカスするのをやめて、今ある幸せに目を向けたら気持ちがどんどん変化していった。

残り20%の10%は、子供がいたらと想像したり、他の人のマタニティーフォトに心がザワついたりすることもある。でも逆にもう心の整理がついて、「今自然妊娠したら私はどうするんだろう?」と考えたり。

残り10%は向上心と自分の成長のためにとっておきたい。

「あれはグリーフだったんだ」――取材を終えて

真由美さんの言葉が心に残った。大切な誰かを亡くしたのではなくても、「子どもが欲しい」という自分の心からの願いを奪われた喪失。それは深い悲しみを伴うものなんだ。

友人が流産を経験した後に、「見えていた未来が消えるって、悲しいことなんだ」とブログにつづっていた。数年前に一度読んだきりだった文章が、ふと記憶によみがえった。

「子どもがいない人生は予想していなかった」と言っていた真由美さん。中国で産むのをためらったのは、子どもが育つ環境として安全に思えなかったからだった。不妊治療を終えると決めて失ったのは、子どもを持つ願いだけじゃなく、家族が増えていく未来や子どもを育むと決めた自分の役割も含むのかもしれない。

「失ったことを受け入れる前に、自分が苦しんでいるんだって認めることが大事だと思う」。まゆみさんはそう話してくれた。罪悪感、悔しさ、怒り、恥、そして悲しみ。それを直視するのはつらい。失った現実より前に、嵐のような自分の気持ちにまず耳を傾けること。そのプロセスがあるからこそ、「あきらめたっていいよ」と自分にOKを出せるのではないか。

真由美さんからも他の不妊治療を終える経験をした女性からも、何度か聞いた言葉がある。

「私の存在意義」

私なんのために生まれてきたんだろう?はじめは、自分を責めているようにも聞こえたけど、言葉にできない気持ちを認めることができたとき、真由美さんは今まで見つけられなかった「自分にしかできないこと」、「自分には届けたいメッセージがあること」に気づいた。

自分の一部だった大事な願いを手放さざるを得ないとしても、同じ手の中に、今度は新しい願いを見つけられる。新たな自分の存在意義を見いだすことができる。その再び前を向く強さが、別の誰かの力になると感じた。

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