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連載

#3 #産む産まないの先へ

3回結婚、不妊治療はしなかった「産むのが普通」が縛る自由

「産んでも産まなくても、満足して生きたい」

子どもがいない今の人生が「幸せ」という門田晶子さん。目に見えない「普通」が苦しめるものとは?(写真は本人提供)
子どもがいない今の人生が「幸せ」という門田晶子さん。目に見えない「普通」が苦しめるものとは?(写真は本人提供)

目次

ひとりひとりの産む・産まないの選択を聞くシリーズ「#産む産まないの先へ」に取り組みたいと考えたとき、私の根本にあった問いは「私は何に縛られてきたんだろう」でした。「自分が産みたいかどうか」よりも、「産むのが当たり前」という「普通」のプレッシャーを強く感じていました。子どものいない今の人生が「幸せ」という門田晶子さん(53)に、目に見えない「普通」と産む選択について聞きました。(朝日新聞記者・中村真理)

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シリーズ「#産む産まないの先へ」

「産むを巡る選択」に、なぜこんなにも悩むのだろう。もしかしたら同じようなモヤモヤを抱えている人がいるかもしれない。2人目の子どもを妊娠中の私は産んでも終わらないこのモヤモヤに向き合ってみることにした。私と同じ、今を生きる女性たちが何を感じ、何を思い、今歩んでいるのか。ひとり一人の物語から、考えてみたい。産むか産まないかはゴールじゃないなら、そこから先に何があるのか。越えた場所に広がる景色を見るために。

     ◇

中村真理(なかむら・まり)1980年生まれ。35歳で会社を休職。地域NPOインターン、留学などを経て、2019年に第1子、2021年に第2子を出産予定。

3回の結婚、子どもは「授かるもの」

現在、鹿児島に住む晶子さん。ゆるくウェーブがかかった肩までの髪に、太い黒縁の眼鏡がかわいらしい雰囲気だ。お酒が大好きで、仕事は海外向けのビジネス支援から教育まで幅広い。公私ともに活動的な女性だ。

「子どもは授かり物。私が欲しいから得られるものじゃないと思ってるんです」。そう切り出した晶子さん。自身はクリスチャンとして育ち、子どもは神様から授かる意識が強かったという。「でも、けいけんなクリスチャンの母からは、産め産めってプレッシャーがすごかったんですけどね」と笑った。

3回結婚した晶子さん。1度目は、米国留学中に出会った年上の男性。米国での成人にあたる21歳で結婚した。「まだ大学生だし、アメリカで就職をしてキャリアを積みたいって思っていたので、子どもはずっと後の話だった」

8年の結婚生活を経て離婚。地元テレビ局に勤めていた晶子さんは、ビジュアルを統括するアートディレクターにまで昇進したが、実家の会社を継ぐために36歳の時、21年ぶりに帰国した。

同窓会で出会った男性と2度目の結婚をしたが、どんな家庭を作っていきたいか、など意見が合わないこともあり、3カ月で離婚を決意した。

その3年後に出会ったのが、今の夫だ。42歳で結婚した時、実家の会社で社長になることが決まっていた。創業以来、初めての女性社長。地域でも女性の社長はわずかだ。でも、仕事と家庭の両立ができるかという不安はなかった。

在米時代、勤務先のテレビ局では妊娠してお腹の大きな女性をよく見かけた。キャスターや気象予報士も臨月近くまで働き、視聴者から応援されていた。「妊娠したら、妊婦のまま働くつもりだった。前例がないし、妊娠しても働けるんだって社員に見せられるチャンスになるとワクワクしてた」

飲んでいたピルをやめて、自然妊娠を待ったが、結果的に産むことはなかった。「自分で選べることじゃないし、自然に任せていたらいいと思っていたから今も不満は感じないです」。不妊治療はしなかった。

今は実家の会社の社長業は降り、海外と地域をつなぐ自分の会社を起業。中高生の学校教育や女子大学生のメンタープログラムにも携わるなど忙しい日々だ。「産まないことを選んだわけじゃない。それでも、私に子どもができないならワケあってそういう設定だったんだからいいんじゃないかなと思う。自分の中に子どもがいない=不幸せという概念は全くないんですよね」

在米時代は「妊娠したら、妊婦のまま働くつもりだった。前例がないし、妊娠しても働けるんだって社員に見せられるチャンスとワクワクしてた」という(写真は本人提供)
在米時代は「妊娠したら、妊婦のまま働くつもりだった。前例がないし、妊娠しても働けるんだって社員に見せられるチャンスとワクワクしてた」という(写真は本人提供)

アメリカ社会の「産む」

――「産みたい」という気持ちはあった?

自分の母親がすばらしい母だったので、小さい頃はああなりたいって思っていた。母がロールモデル。でも、あそこまではできないかな。産む、産まないを考えるよりは、できたら産もうと思っていた。


――日本で産むことについて、周りからプレッシャーを感じたことはあった?

プレッシャーはもちろんあって、両方の両親に「まだか、まだか」と言われた。でも、産め産めと押し付けられると、反発したくなりますよね。数年してやっと収まったけど、結婚当初は顔を見るたびに「孫は?」と言われるのは気分が悪かったなぁ。


――アメリカにも、「産むのが普通」というプレッシャーはあった?

アメリカはもっと複雑。宗教によっても違って、キリスト教原理主義地域では女性は子どもを育てて家庭に入る、とすごく保守的。倫理的な面から、中絶を認めない州もあって議論になっている。

でも、私が暮らしていたカリフォルニアはリベラルで、自由な選択を重視する人が多かった。女友達は、子どもがいなくても幸せな人がいっぱいいました。「こんなよどんだ世の中に子どもを産むのはどうなのか」という人もいたり。親友も子どもがいないけど、パートナーと仲良くて旅が大好き。親や社会に押されて、という人はそんなにいなかったような気がしますね。

日本で感じた「産むプレッシャー」

――日本にはなぜ産むことへのプレッシャーがあると思う?私を含め、女性側がそれにとらわれているところがあるような気がします。

日本では「普通」が尊いと思われていると感じます。目立ちたくないし、他の人から外れたくない。「普通」が人を守ってくれているように見えるんじゃないかな。そのブランケットにくるまれていれば、苦しい思いや、自分のことでどうしようかと悩むつらさを味わわなくていいという面はあると思う。


――本人にとっても、「普通」でいるのは楽に感じられるということ?

日本で中高生と話した時、「宇宙飛行士になりたいけど、先生に偏差値が足りなくて無理と言われた」と言っていた。「そんなことないよ」って返したけど、気になったのは、もしかしたら自分があきらめる理由を作っているのかもしれないということ。できるとなったら、やらないといけないから。


――産むことも同じ構図だと思いますか?

でも、産むことはスタートで、産み落として終わりじゃないですよね。母親になればアイデンティティも変わるし、産む選択は大きな人生の変化を含む。だからこそ、自分が納得して選ばないと、自分だけじゃなくて子どもにも関わるすごく大きな決断だと思うんです。

「産め産め」という周りや社会のプレッシャーには、「産んで育てなさい」まで含まれていて、女性の人生を変えてしまう事。それなのにそこまで考えずに、「産んだらあなたがどうにかしなさい」というメッセージが聞こえるように感じます。

ロールモデルだった母と。「自分が納得して選ばないと、自分だけじゃなくて子どもにも関わるすごく大きな決断だと思う」(写真は本人提供)
ロールモデルだった母と。「自分が納得して選ばないと、自分だけじゃなくて子どもにも関わるすごく大きな決断だと思う」(写真は本人提供)

私の「普通」と日本の「普通」

――晶子さんは、日本の「普通」にとらわれることないんですか?

私の場合、「普通」から別の世界に行こうと思って高校の時にアメリカへ行ったんです。高校の授業より、自分で読んでいる本の方がずっと面白くて、学び方を自分で選びたいという思いが強かった。

日本の「普通」は私の「普通」じゃないって早くに抜け出すことができたから、逆に楽だったのかな。日本で思うような「普通」になれなくてもいいんだよってことに気づけないと、縛られ続けてしまうのかもしれない。


――「普通」というブランケットを脱いだら、楽になったと感じた?

実は、アメリカでは選択肢が広がりすぎてつらかった(笑)。校則の厳しい女子寮生活から急に共学の私服になったり。「自分にとって何がベストか?」「私どうしたいんだろう?」って。幸せな悲鳴ですけどね。


――どうしたら、みんなが思う「普通」に縛られずに生きられると思いますか?

最近、人生の選択肢は問い詰めると、教育につながっていくように思うんです。女性の人生の選択肢も、小さい頃から「自分が選んだら可能になる」という経験を積み重ねていないと、社会が与える「普通」に寄り添うしかできなくなると思う。小さい頃は何でもできる可能性を持っているのに、それってその子にとって悲劇ですよね。


――改めて、晶子さんに産むことへ執着がなかったのは、なぜだと思う?

「産まないと幸せじゃない」と言って、縛られる人をたくさん見てきた。逆に自分はそれがなくても幸せだよな、と再確認したんだと思う。「子どもがいないとなぜ不幸なんだろう?」って思った時に自分の中にある気持ちに気づけた気がします。


――晶子さんにとっての幸せって何ですか?

私の幸せは、選択肢があって選べる自由。今自分勝手に暮らしていけるのが最高の幸せかなと思っていて。

産んでも産まなくても、自分の人生に満足できる方法を考えたいという姿勢でここまできた。今は産めないし、それで不満もない。でも、もし産むことになっていたら、もがいてそれなりにおもしろみを見つけていたと思います。

どうにかなると思って生きているんです。私の人生は行き当たりばったりだから。

「普通」の強さに向き合う――取材を終えて

「『普通』って、人を守ってくれるように見えるんですよね」

晶子さんの言葉に、思わず首をぶんぶんと振っていた。そうだ、私は「これでいいんだよ」「間違ってないよ」って守られたかったんだ。「普通」でいれば、理由を聞かれることも、「それで大丈夫?」とか心配されることもない。だってみんなと同じだから。「普通」にしばられると窮屈だけど、でも「楽」なんだ。まさに「ブランケットにくるまれている」ように。

同級生だけじゃなく、後輩まで次々に結婚、出産していくのを見て、焦りまくっていた30代前半。私は「子どものいる家庭=普通の幸せ」の図しか見えなくなって、そこにすがりつきたくなっていた。「プロポーズされない理由」やら「35歳の壁」やら聞きかじっては動揺し、自分らしくない服を着て婚活をしてみたり、妊活や不妊治療の本を読みあさったり。「普通」のレールに乗って生きてきたから、外れたらどうなるんだろうと不安だったんだと思う。

晶子さんは10代で、自分にとっての「普通」と社会の「普通」が違うと日本を飛び出した。ブランケットをとったら、風が冷たく感じるかもしれないけど、自由に歩きやすくなる。「産め産め」プレッシャーにぶれることなく、自分の幸せに納得して生きている強さは、ブランケットを外した世界を知っているからなのかもしれない。

私の場合、ブランケットにしがみついていたら、心がつらくなって、動けなくなった。そうなって初めて、「自分」をなくしてしまっていた、と気づいた。時間はかかったけど、「子どもがいる家庭=普通の幸せ」という思い込みをいったん脇に置いて、「私、本当はどう生きたいんだっけ?」と足元を見て、小さな一歩から始めることにした。

それにしても、なんで、「普通」ってこんなに力が強いんだろう?

「どうにかなると思って生きているからね~」。晶子さんが最後に笑いながら言っていた言葉を聞いて、「あ、これかも」と思った。

そう、人生って案外どうにかなる。35歳で新卒から勤めてきた会社を休職をした。ブランケットを外してみたら、凍えそうになったり、後悔しかけたりもした。それでも生きてはいけるし、代わりに思いもよらないステキなものに出会えた。今も「普通」に後ろ髪をひかれることがあるけど、「自分はそれでも生きていけるんだ」っていう信頼を少しずつ確かめている最中だ。それが、世界中の誰でもなく、自分にしかできないことなんだろう。

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