連載
#1 #産む産まないの先へ
シリーズ「#産む産まないの先へ」ちょっと長めの企画説明
産む?産まない?
そんな問いを考えることもなく、気づくとギリギリの年齢になっていた。
私はたぶん、世に生きる女性たちの中でも、「産む」から遠い方にいたのだと今は思う。
中村真理(なかむら・まり)1980年生まれ。35歳で会社を休職。地域NPOインターン、留学などを経て、2019年に第1子、2021年に第2子を出産予定。
10歳の時にいとこが産まれたのが、人生で初めて聞いた出産報告だった気がする。ただ、離れて住んでいたこともあり、小さないとこに会う機会は少なかった。それ以降、赤ちゃんや小さい子ども、妊婦さんに接した記憶はほぼない。
大人になって出産を聞いたのは、27歳前後。学生時代の親友が「生まれました」と病室から赤ちゃんとの写真とともに報告してくれたことを覚えている。喜ばしいという気持ちとともに、「こういうとき、おめでとう以外なんて言ったら良いんだろう……」と、しばし残業中に会社で考え込んでいた。
それから30代にかけて、周りの出産報告が相次ぐようになり、「おめでとう!出産、大変だったね。赤ちゃんかわいいね」と祝福の言葉も慣れてきたが、実際は赤ちゃんや子どもを見る機会はほぼなく、友人たちに何が起きているのかリアルに想像するのは難しかった。
それより会社や両親、友人たちに急かされる結婚の方が私には悩ましい問題だった。
それが、あるとき一変した。
「私、いつまで産めますか?」
同じく独身の友人が、「私読んだから、貸してあげる」と渡してくれた本のタイトルを見て、ヒヤッとした。まもなく35歳という頃だった。
高齢になると出産がどんどん難しくなる、ということがグラフとともに詳細に解説され、ページをめくるたびに気分が落ち込んだ。(本は「私、いつまで産めますか?~卵子のプロと考えるウミドキと凍結保存~」香川則子著)
産むことは遠い世界だったが、「産めないかもよ」と言われると一気に危機感が増した。産めないかも?産まないとどんな人生になるの?一生後悔するんじゃないか?「産む」にリアリティはないのに、焦燥感はわいてくる。
生まれて初めて産婦人科を訪れて、検査をしてもらった。婚活をしてみた。卵子凍結のことを調べてみた。そうこうしている間に、友人だけでなく後輩も次々に結婚、出産していく。「このしまりかけのシャッターに滑り込まないと、人生終わりだ」。たとえるなら、そんな感覚になっていた気がする。
段々、友人の子どもの話やお祝いの報告を聞くことが憂鬱になり、芸能人の出産ニュースも年齢を見て自分と比べたりしていた。「何歳?」と聞かれるのが怖かった。「○歳なのに、結婚も出産もしていないんです(スミマセン・・・)」と勝手に恥ずかしいような、申し訳ないような気持ちになったりしていた。
そんな私も、色々失敗を経て、39歳で結婚、出産をすることになる。
1人目を出産してから思ったこと。それは、「え、生きやすい…」ということだ。
もちろん育児は基本的に重労働だし、ワンオペ育児や保活、男性の育休取得問題…と女性の負担が大きいなど産んでから感じる社会の問題もたくさんある。
でも、誰にも「なんで?」とか「これからどうするの?」とか聞かれない。「大丈夫だよ」と慰められることもない。「これでいいんだろうか」と自己嫌悪に陥ることもない。大げさに聞こえるかもしれないけど、大多数の仲間に入れてもらえたような感覚だった。
それなのに、「産んだからいい」と思えない自分がいる。ふと自分一人で孤独な人生を歩んでいるような怖さを味わっていた時を思い出す。産んでいない自分を否定していた気持ちを思い出す。
この非対称に感じる世界は何なんだろう?「産まなかったらどうなるの?」と恐れて翻弄されまくった私の30代、あんなに悩む必要あったんだろうか?そして結局、私は何と闘っていたんだろう?
産んでも、モヤモヤは心の中でくすぶっていた。
このモヤモヤは私だけなんだろうか?もしかしたら同じようなモヤモヤを抱えている人がいるかもしれない。産んでも終わらないこのモヤモヤに向き合ってみたい。私と同じ、今を生きる女性たちが何を感じ、何を思い、歩んでいるのか。5人の女性をたずねて、ひとり一人の人生を聞きながら、考えてみた。
産むか産まないかはゴールじゃない。産みたくても産めない人もいる。それなら、そこから先に何があるのか。越えた場所に広がる景色を見るために。