MENU CLOSE

エンタメ

NHK『超・ニッポンのお笑い100年』なぜMCに爆笑問題・中川家

「痛快だった」あの頃のバラエティー

爆笑問題(左)と中川家=2022年、2019年撮影
爆笑問題(左)と中川家=2022年、2019年撮影 出典: 朝日新聞社

目次

今月11日、日本の放送開始100年を記念した『超・ニッポンのお笑い100年~芸人たちの放送開拓史~』(NHK総合)が放送された。こうした歴史を振り返るバラエティーのMCはビートたけしのイメージが強いが、爆笑問題と中川家の2組が担当。その狙いと、出演者のエピソードから想起した時代性や使用楽曲が示唆する意図を考える。(ライター・鈴木旭)

【PR】幅広い「見えない」に対応 日常生活の不便を減らすために

アーカイブ映像で振り返るお笑い史

過去の番組映像や証言からお笑い史と芸人の軌跡を振り返る『超・ニッポンのお笑い100年』は、まさに現在に至るまでを追った鏡のような番組でもあった。

MCは爆笑問題と中川家。ひな壇には千原兄弟・千原ジュニア、小籔千豊、フットボールアワー・後藤輝基、バカリズム、友近、ウエストランド・井口浩之、ヒコロヒー、霜降り明星・せいやが座る。番組は「漫才」「コント」「バラエティー」のパートに分かれた構成で、次々と貴重映像が放出されていった。

まずは、しゃべくり漫才を開拓した横山エンタツ・花菱アチャコをはじめ、夢路いとし・喜味こいし、リーガル千太・万吉、中田ダイマル・ラケット、内海桂子・好江、人生幸朗・生恵幸子など放送の歴史を彩ったレジェンドたちの映像が流れる。

1980年初頭の〝漫才ブーム〟に話題が移ると、70代の今も現役で舞台に立つザ・ぼんちが番組に登場。ふたりの人気が爆発した『THE MANZAI』(フジテレビ系)の影響力の大きさを振り返りつつ、50代中盤から後輩たちに感化されてぼんちおさむの奔放なキャラクターを押し出す漫才になったエピソードなどを語り、番組を盛り上げた。

コントのパートは、『夢であいましょう』(NHK総合)や『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)、『てなもんや三度笠』(朝日放送/TBS系)と往年の番組紹介からスタート。渥美清、ハナ肇とクレージーキャッツの植木等、藤田まことらが銀幕スターへと駆け上がっていく中、「アドリブ主義」のコント55号と「台本主義」のザ・ドリフターズはテレビで人気を二分する。

この2組の視聴率争いは「土8戦争」(両番組とも土曜夜8時の放送から)とも称され、1960年代後半から1990年代中盤まで出演者や番組を変えて尾を引くことになる。

ドリフの『8時だョ!全員集合』(TBS系)が裏番組の『コント55号の世界は笑う』(フジテレビ系)を一蹴すれば、今度は同局で萩本が『欽ちゃんのドンとやってみよう!』を立ち上げて半年で視聴率を抜き去る。

1981年からは次世代のビートたけし、明石家さんまらが出演する『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)が人気となり、ついに1985年に『全員集合』は終了するが……といった視聴率合戦にスタジオが沸いた。

最後は、スタジオの芸人たちが『人志松本のすべらない話』『森田一義アワー 笑っていいとも!』(ともにフジテレビ系)、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)、『虎の門』(テレビ朝日系)といったバラエティーにまつわるトークを展開。その後、爆笑問題が共演者たちの前で番組のテーマに沿った漫才を披露し、照れくさそうな姿を見せてラストを迎えた。

「しゃべくり漫才」の祖といわれる横山エンタツ(左)と花菱アチャコ。大阪弁での会話がラジオを通じて全国に広まった
「しゃべくり漫才」の祖といわれる横山エンタツ(左)と花菱アチャコ。大阪弁での会話がラジオを通じて全国に広まった 出典: 朝日新聞社

ビートたけしから爆笑問題、中川家へ

これまでお笑い史を振り返る番組というと、ビートたけしが司会を務めるイメージが強かった。

番組内でも流れていた『たけしのこれがホントのニッポン芸能史』(NHK BSプレミアム)をはじめ、たびたび自身の番組で幅広い芸人たちとトークを繰り広げており、『平成教育委員会』(フジテレビ系)や『たけしのニッポンのミカタ!』(テレビ東京系)といった教養バラエティーの顔でもあったからだ。

順当に考えれば、とんねるず、ダウンタウンあたりの世代がその席に座るのが妥当だろう。しかし、2組に限って言えばNHKのイメージがあまりないうえ、昨今の個々の問題もあってのことか、過去の映像や顔写真さえ紹介されなかった。だからこそ、違和感が出ないよう彼らの世代以降の芸人にスポットを当てなかったのではないか。

『人志松本のすべらない話』の話題になっても、『人志松本の』を削ったタイトルとサイコロの写真が表示されるのみでトーク中に名前も出ていない。そのほか、『THE MANZAI』の紹介では象徴的な存在であるツービートや島田紳助・松本竜介の映像が流れないなど、視聴者への配慮を含めた諸々の事情があっただろうことが想像される。

これに対し、爆笑問題と中川家は至って健全だ。『新春生放送!東西笑いの殿堂』(NHK総合)で長らく東西のキャプテンを担当し、どちらもベテランの現役漫才師として広く知られ、スキャンダルもない。太田光はビートたけしや立川談志らとのつながりもあり、教養バラエティーの印象も強い。今回の番組は、そんなバランス調整を感じさせた。

一方で、テレビとお笑いの変遷を感じさせるシーンも少なくなかった。

太平シローのものまねを見て、幼少期の友近が「そこのものまねするんだ!」とワクワクしていた話。似顔絵を描いた出演者の親指だけで生放送番組を成立させた『虎の門』の企画にバカリズムが衝撃を受けた話。ウエストランド・井口が『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)で爆笑問題を見て現在の所属事務所・タイタンを知った話などは、各々の芸風の違いとジャンルの細分化を思わせる。

また、中川家・剛が語った「漫才ブームの人は劇場に出ない」というエピソードからは活気のあったテレビ時代が目に浮かぶし、「爆チュー問題」(『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)のコーナーから誕生した爆笑問題のコントおよび番組)がモラルを鑑みて『ドリフ大爆笑』(同系)の「バカ兄弟」の設定を「ネズミ」に変えて始まったエピソードは、制約が厳しくなり始めた2000年前後の空気を連想させた。

お笑い番組の司会をいくつも務めてきたビートたけし=2017年、川村直子撮影
お笑い番組の司会をいくつも務めてきたビートたけし=2017年、川村直子撮影 出典: 朝日新聞社

番組のOP・ED曲の意味とは

何よりもハッとさせられたのは、番組のオープニングとエンディングの曲だ。ロッシーニ作曲の「歌劇『ウィリアム・テル』序曲第4部『スイス軍隊の行進(終曲)』」から始まり、EPOがシュガー・ベイブの楽曲をカバーした『DOWN TOWN』で終わる。

これは『ひょうきん族』を踏襲したものであり、バカリズムが番組内で「あれ(『ひょうきん族』)の影響で、自分のコントライブは必ず短いコントあって、オープニングあって、コントあって。で、最後エンドロールを短くても必ず入れる」と語っていたエピソードに反応したものでもある。

いくつもある『ひょうきん族』のエンディング曲の中で、「ダウンタウンが劇場で使用する出囃子」ゆえにEPOを選んだと受け取った視聴者もいるようだが、実際はわからない。

番組が放送された翌日(12日深夜)の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)の中で、爆笑問題のふたりが「さすが寺坂(直毅)くん」と称賛していた通り、信頼する放送作家の提案による粋な演出で、シンプルにセンスで選曲した可能性も高い。ただ、よく配慮された番組なだけに、何らかの意味を見出そうとする視聴者の気持ちも理解できる。

個人的には爆笑問題・太田が番組を振り返り、「テレビがもう弱くなってるからって言って、もしかしたらこういう(筆者注:過去に放送していた一世を風靡するような)バラエティーはもうできないんじゃないかっていう『危機感』と『いいな』って思いながら見てました」と語っていたことが気になった。

長期的な経済の低迷、メディアの多様化、SNSの声で信用を失いやすいなど、複合的な理由から、テレビ自体が危うさを感じる時代になったのは間違いない。そんな中NHKは、1980年代にもっともテレビを明るくし、現在もっとも緊迫するフジテレビに暗にエールを送ったのではないか。

少なくとも痛快だった頃のバラエティーを思い出し、心躍った視聴者は筆者だけではないはずだ。

関連記事

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます