連載
#5 #産む産まないの先へ
子どもがいる人、いない人を分ける壁「一人でも産みたい」女性の葛藤
〝夢〟をかなえてうれしいのに言えない理由
「60歳になれば、また笑ってお茶が飲めるよ」。子どもがいる、いないで距離ができた女性たちも、60代になれば関係なくなる。そんな言葉を聞いて、思った。60歳まで待たないといけないの? 生理が来にくい身体に悩みながらも、何より子どもが欲しかったというえまさん(仮名、35)。念願だった妊娠中の今、妊娠について周りに話すのを躊躇していると言います(※インタビュー後に出産)。えまさんの言葉から、子どもがいる人いない人の隔たりについて考えます。(朝日新聞記者・中村真理)
シリーズ「#産む産まないの先へ」
「産むを巡る選択」に、なぜこんなにも悩むのだろう。もしかしたら同じようなモヤモヤを抱えている人がいるかもしれない。2人目の子どもを妊娠中の私は産んでも終わらないこのモヤモヤに向き合ってみることにした。私と同じ、今を生きる女性たちが何を感じ、何を思い、今歩んでいるのか。ひとり一人の物語から、考えてみたい。産むか産まないかはゴールじゃないなら、そこから先に何があるのか。越えた場所に広がる景色を見るために。
◇
中村真理(なかむら・まり)1980年生まれ。35歳で会社を休職。地域NPOインターン、留学などを経て、2019年に第1子、2021年に第2子を出産予定。
今回の企画を周りに相談する中で知り合ったえまさん。在宅ワークの合間に、オンラインで話を聞いた。編集者と聞いて、しっかりした女性をイメージしていたけど、話してみると失敗談や話しづらいことも笑いながらざっくばらんで、自身のモヤモヤとともに、答えのない問いを一緒に考えてくれた。
北日本で育ち、大学から上京したえまさん。兄と弟と3人兄弟。周囲とちょっと違ったのは、母が仕事で忙しく、炊事や洗濯、掃除、子どもの世話はすべて父の担当だったこと。
仕事熱心な母は、理系で女性の少ない職場だったが、努力で出産のブランクを乗り越えてキャリアを積んだ。始発で家を出て、終電で帰る毎日。「トイレで寝てから打ち合わせへ行った」と母から聞いて、「めっちゃかっこいい」と思った。
「父が家でご飯を作ってくれるのは自慢だったし、母が仕事バリバリなのもかっこいいなと。寂しいとかはなかった」という。
兄弟の中で一番活発、上京したのもえまさんだけだった。「女の子らしく兄を立てたら」と親戚が口を出しても、「個性だからいい」と父は気にとめなかった。
「男らしさ、女らしさにこだわりがなかった。友達の話とか結構わからなかったな。『お嫁さんがするもの』とされているような仕事も絶対できないって思ってた」
大学卒業後は、編集者の仕事に就いた。
新人の頃は、仕事に追われる日々。同僚の女性と話した時に初めて、生理が半年間来ていないことに気づいた。
産婦人科を受診すると、子宮が普通の半分の大きさしかなく、排卵障害もあるとわかった。その後も毎月、処方してもらったピルを飲まないと生理が来ない。
「私、子どもを産めない人かもと20代はずっと思ってた。とはいえ、キャリアを考えると、子どもを産むタイミングじゃないし」
産みたい。えまさんにとってそれはとても明確だった。
リベラルな考えを持つ母は、結婚制度に懐疑的だった。「結婚なんかしなくていい」と言う一方で、「子どもは視野を広げてくれるから絶対産んだ方がいい」と言い続けた。
「ずっと言われてきたからかな。結婚したいと思ったことはないけど、子どもはずっとすごい欲しかった」
29歳で周囲が次々に結婚してもそんなに気にならなかったが、高齢出産になる「35歳をどう迎えるかは、めちゃくちゃ怖かった」
20代から不妊治療の本を読みあさり、27歳で卵子凍結の説明会に足を運んだ。凍結は見送ったが、「35歳を越えたらやるんだろうと思っていた」。
30歳を越えると、毎年の目標に「子どもが欲しい」と書いた。「何百万かけたとしても不妊治療をするだろうと思っていた。そこまでしてでも欲しいと思っていたし、私にとってどっちでもいい案件では絶対になかった」
34歳の誕生日を迎えた時に思った。「いよいよやばい」。一人でも産みたいと、精子バンクを調べ始めた。まもなく彼氏ができ、つきあって2カ月で「子どもが欲しい」と打ち明けた。
「女性として身体がぼろぼろ」ですぐに妊娠はできないだろうということ、時間がないから不妊治療になるべく早く取りかかりたいこと。不妊治療のための貯金があることも伝えた。
「あなたは何もしなくていい。基本的に私が全部やります」
産婦人科で検査し、卵管閉塞が治ると、予想外にすぐに妊娠。でも、妊娠検査薬の結果を見ても、素直には喜べなかった。子宮外妊娠じゃないか?流産の可能性があるのではないか?…「自分に自信が持てなくて、ずっと悪い想像ばかりしていた」
入籍はせず、選択的シングルマザーで育てる、と説得した彼は「おー、良かったじゃん」と喜んでくれた。名字を変えるのに抵抗があるから、籍は入れないと思う。今も一緒には暮らしていない。彼とは何度も話しているし、理解してくれていると思う。
でも、妊娠して気づいたのは「一人で産もうなんておこがましかったな」ということだ。つわりの時はまともに動けなくて彼に頼らざるを得なかったし、一人で産むのが怖くて出産への立ち会いもお願いしている。友達にも入院や産後の手伝いを頼んだ。「私、誰かと一緒に子育てすることを期待してたんだな」
ただ、出産の相談ができるのはその友達だけだ。バツ1の彼女は、「キャリアを止めてまで子どもを産みたくない」と意志がはっきりしている。「彼女は私と違って、自分に子どもがいなくても子どもがいる人に自然に接することができる」から、安心して話せる。
別の仲が良い友人は、子どもが欲しくて悩んでいるのを知っているだけに、言葉やタイミング、方法にかなり気を遣って妊娠を伝えた。でも、それ以上の話はしづらいし、妊娠したことを言えない友達の方が多い。「私の場合、長い間不妊治療をする前提でいたから、治療をする人の気持ちが自分の中に染みついている。不妊で悩む人が聞いたらどう思うかと考えてしまって言えない」
マタニティマークはつけていない。すでに出産した人か、確実に子どもが欲しくないと分かっている友人にしか相談しない。「10年後、45歳くらいになったら話せる日が来るんだろうなって思う。たとえ自分に子どもができなかったとしても、他の何かが絶対手に入っていると思うから。自分を肯定できる45歳になる自信があるし、そのためにがんばるんだろうなって思う」
――結婚願望が全然ないんですか?
母がフェミニストで、別にお父さんと仲が悪いとかではないけど、こんな結婚制度おかしいってずっと言ってて。名字を変えないといけないことや上下関係ができることとか。そういう教育をずっと受けてきたから、私には結婚しなきゃっていう脳みそがないんだと思います。
――でも、子どもは欲しかった?
母が「子どもはめちゃくちゃ可愛い。あなたの視野を広げてくれるから、絶対産んだ方がいい」って小学生ぐらいからずっと言ってました。
――産みたいと思ったのは、お母さんの影響が大きかったですか?
理由を聞かれるとそうかなと思うけど、私の場合子どもは明確に欲しいけど、パートナーが欲しいわけじゃない。普通とちょっと違う。結婚については名字を変えることや、収入を足して割ったら減るかもとか、デメリットを合理的に考えるのに、子どもは別だと思う自分がいる。だから、自分のエゴなのかなとか、産みたい理由って何だろうってずっと考えているけど、全然わからなくて。
――産みたいのは、合理的な理由じゃないんですね。
なんか年を重ねていくことへの恐怖がすごくて。それは、おばさんになるのが怖いとかじゃなく、自分は何か成長できているんだろうか?というのが、すごく怖かった。去年に比べて何か進んでるのか?ってなった時に、子どもがいるって明確に一年、年を重ねる意味があるんじゃないかって思って、子どもがいる友達がうらやましかった。私の一年とあの子の一年は全然違うって。
――今も妊娠を友達に言いづらい。そこには、どんな気持ちがありますか?
自分は子どもができにくいと思ってきたから、友人から妊娠の報告を聞くと嫌な気持ちになっていたんです。嫌な気持ちになる方もおかしいんですけど。絶対におめでたいことなのに、素直におめでとうと言えない自分がいた。だから同じことを他の人にもしたくない。
不妊治療をしている後輩とか友達は、治療をしているっていうことは愚痴ってくれるけど、その後、妊娠したとか出産したとかって連絡がこない。何でだろうって思ってたけど、自分が妊娠して「あ、多分言いづらいな」と思った。
――どう思われるか、気遣いあって言えないということ?
考えすぎだって言われます。妊娠について気軽に話している友達もいる。でもね、そんな簡単にできないからって思っちゃうんですよ。
ある人には生まれ持ったもので、お金や時間があったって手に入らない。でも、ある人にとっては努力しなくても簡単に手に入る。この分断ってやっぱり難しくて、意識だけじゃなくて、体の問題だからなのかな。あと、子どもが欲しいと言っても、そのパートナーとの愛の結晶が欲しいのと、私みたいに単純に本当に子どもが欲しいのもまた違うんだなって思うんですよね。人によって産むことの意味が、全然違うと言うか。
――女性の間で「産む」を巡る話題を話しづらい分断についてどう思いますか?
自分が(子どもが)できなかったとしても、卵子凍結や、精子バンクなど、自分に対してちゃんと努力したと思えたら、10年後、(妊活が終わっているだろうと考えている)45歳を過ぎたらまた話せる日が来るんだろうなって思います。だから、妊娠してから話しづらくなった友達とも、45歳を過ぎた時にこれまでのような良い関係を続けられるんだろうなって。
――人によって欲しいものも欲しいレベルもが違う。
そうなんです。それにちゃんと正直になれる人って結構少なくて。キャリアを止めてまで子どもは欲しくないと言っている私の友達のような、こんな外圧に負けない人って超少数派だと思いますよね。
相手が見ている世界を想像してみる――取材を終えて
えまさんが妊娠を切り出すのに躊躇する気持ちは、私自身の状況にも重なった。
私は39歳で出産するまで、「自分は結婚できず、子どもを授かることはないのではないか」という不安がぬぐえずにいた。周りの出産報告に喜べない自分がいたし、自分の人生の価値は仕事しかないのかと絶望的に感じたこともあった。
出産を経ると、今度は「子どもがいる側」と思われることに違和感を感じたり、そうでない人を傷つけたくないという気持ちが生まれたりした。今回の企画で自己紹介を書く時、「産んだからいいじゃんと思われたくない」と思う自分が正直いた。
私もまた、「産む側」と「産まない側」という分断された世界観の中にいて、それを壊せていないのだと気づいた。
私たちは、同じ状況、同じ痛みを味わった人同士としかつながれないのだろうか?
乗り越えるヒントは、子どもがいない人の言葉にあるかもしれない。
子どもがいない人たちのコミュニティを主催する女性は、「(子どもがいる、いない)どっちの人生もいいよね、と尊重しあうムードになれば変わると思う。反対の立場でも、苦悩を理解しあうことができるようになれば」と話してくれた。
子どもがいない女性の中には、周囲から子どもがいることを是とする価値観を押しつけられ、生き方を否定されたような痛みを持つ人が少なくないという。それでも、「40代半ばくらいから、ゆっくりゆっくりと変わっていくケースが多い。色んな価値観や生き方を知り、その人次第だよね、とたどり着く」
同じようにゆっくりゆっくり、隔てた壁にも変化が起きているのかもしれない。
このコミュニティには、「子どもがいるけど、応援したい」という人からの問い合わせが増えてきているという。今回の企画を相談した子どもがいない友人の一人は、「親にならなくても、周りで支えるチームとして子育てに関わりたい」という気持ちを話してくれた。
私の中に、「産む・産まない」という枠を作っているのは、私自身なんだと改めて感じた。時間はかかるかもしれないけれど、まずは相手の気持ち、相手が見ている世界を想像しながら、耳を傾けることから始めたい。少しずつでも、壁を壊して風通しがよくなったその先に、相手も自分も生きやすい場所が作れるかもしれない。
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