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連載

#2 #産む産まないの先へ

母になりたかった私 不妊治療の末、離婚 二児授かり解けた呪縛

「産むことはゴールじゃなかった」

出産後のはるさん。母になってから気づいたのは「産むことはゴールではない」ということだったという
出産後のはるさん。母になってから気づいたのは「産むことはゴールではない」ということだったという

目次

「母になりたい」と聞くと、いつも不思議でした。「子どもが好きだから」「自然にそう思っていた」という答えに納得しつつ「なんで母になりたいんだろう?」という問いが消えない自分がいました。モヤモヤの正体を探すため、不妊治療を経験した後、二児の母になったはるさん(仮名、41)に話を聞きました。母になることを当たり前のように考えていたというはるさんが、母になってから気づいたのは「産むことはゴールではない」ということ。ずっと人生の理想像だった母親と、出産を通し「人間」として向き合うことができたといいます。はるさんの言葉から、「母になる」について考えます。(朝日新聞記者・中村真理)

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シリーズ「#産む産まないの先へ」

「産むを巡る選択」に、なぜこんなにも悩むのだろう。もしかしたら同じようなモヤモヤを抱えている人がいるかもしれない。2人目の子どもを妊娠中の私は産んでも終わらないこのモヤモヤに向き合ってみることにした。私と同じ、今を生きる女性たちが何を感じ、何を思い、今歩んでいるのか。ひとり一人の物語から、考えてみたい。産むか産まないかはゴールじゃないなら、そこから先に何があるのか。越えた場所に広がる景色を見るために。

     ◇

中村真理(なかむら・まり)1980年生まれ。35歳で会社を休職。地域NPOインターン、留学などを経て、2019年に第1子、2021年に第2子を出産予定。

不妊治療の末、離婚。それでも、母になりたかった

出産後、専業主婦から未経験で起業、キャリアコンサルタントとして働くはるさん。長い髪に、お化粧もネイルも整って見た目はまさに仕事のできる女性だ。今はたくさんの女性の夢を応援するはるさんだけど、実はずっと「母になるのが一番の目標だった」という。

「うーーーーーん」。今回の企画案を見せると、はるさんは頭を抱えてしまった。ドキドキする長い沈黙の後、切り出した。「実は周りにもあまり話していないことがあるんです」

東海地方で同郷の男性と結婚し、出産。不妊治療も経て現在2人の子育て中のはるさんだが、その前に一度結婚していたという。

「すぐに子どもがほしかったけどできなくて。2年かな、不妊治療に通っていました」。職場結婚で、退職。当時の夫の実家近くで介護も手伝いながら、治療に通う日々。結局、夫側の不妊がわかった。

「悩んで悩んで、もしかしたら(結婚を続けるのは)難しいのかなって」。はるさんの背中を押したのは、「子どもがほしい」というはるさんの気持ちを知っていた夫の両親だった。夫の両親や夫から支援を受けて一人暮らしを始め、新しい仕事が軌道にのったタイミングで、離婚届を提出。涙が止まらず、役所の窓口で「本当に受け取っていいんですか?」と聞かれたほどだった。当時の気持ちは、「よく覚えていないんですよね。ただ、もっと努力できたのかなってすっきりしない思いはあった」

言葉につまりながら、当時のことを話してくれたはるさん。つらい決断を支えたのは、それでも「母になりたい」という強い思いだった。

長い沈黙の後、切り出した。「実は周りにもあまり話していないことがあるんです」 ※画像はイメージです=Getty Images
長い沈黙の後、切り出した。「実は周りにもあまり話していないことがあるんです」 ※画像はイメージです=Getty Images

「母になる」の原点

関西の自然豊かな地域で生まれ育ったはるさん。兄と両親の4人家族で、田植えの時期は親戚総出で手伝い、祖父と山で栗やマツタケを採るなど「日本昔話に出てくるような」子ども時代だった。

「器用じゃないけど、努力の人。優等生タイプでした」。逆上がりを放課後に1人で練習するなど、努力の成果で勉強も運動もいつも一番だった。「がんばれば結果が出るので、努力がつらいということは今もないです」。はるさんからは「達成感」という言葉が繰り返し出てくる。

常に大きかったのが、母の存在だ。仕事をしながら、朝は同居の祖父母と家族のためにご飯とパン用の朝食を用意し、昼休みは家に戻って夕飯準備。帰宅後は食卓いっぱいに食事を並べた。「母としても社会人としてもスーパーウーマン。本当に頑張り屋だった」

一番をとり続けたのも、母のためだった。「母が褒められたり、うれしそうにしたりしているのがうれしくて。そうあり続けないといけないとプレッシャーも感じていた」。母に「私はなれなかったから、同じ夢でうれしい」と言われ、学校の先生を目指して大学は教育学部に進学した。

はるさんにとって、「母になる」は子どもの頃から一番の目標だった。「結婚したいか?ではなく、私がお母さんになったら?と思い描いていた」

そして、母になった

出産後、はるさんは産後うつのような状態になったという。

「あれだけほしくてできてうれしくて。でも常に不安と戦って、達成されない子育ての日々が苦しかった。子どもはかわいかったけど、旦那さんと合わなくて」

ストレスによって声が出なくなったり、子どもを連れて家出したりしたこともあった。「私にとって、どんな相手と結婚するかより、どうしたら母になれるかが一番だった。でも子育てが始まると、顔を合わせる時間が長くなって、夫婦関係が悪くなった。『私が幸せにしてあげる』『家庭は女性がつくるもの』と思っていたけど、前向きに受け止めてもらえない。苦しかった」

1年前から別居を始めて、ようやく良い距離感が見えてきたという。

そして、母との関係にも変化が起きていた。

はるさんが大学進学で家を出る前に、母にお小遣いでマッサージ器具をプレゼントしたら、「こんな無駄遣いしないで」と言われたことがあった。「愛情をくしゃっとされた気持ちで、大泣きした」

妊娠して里帰りしていた時、送り迎えの車中で、当時の気持ちを初めて伝えた。母から「すごく反省してる」って言われ、「当時の母が経済的にも余裕がなかったんだって思いやることができた」

「子どもができて初めて、同じ立場で話せた。母と娘より、女同士になった気がする」

母との関係を振り返って、改めて強く思うことがある。「私のこと好きなのかな? 母の希望に応えているからかわいいのかな? という気持ちがずっとあったけど、20代で離婚した時も今の結婚でうまくいかないときもすべて受け止めてくれた。何があっても愛してくれるんだと」

「私にとって、どんな相手と結婚するかより、どうしたら母になれるかが一番だった」 ※画像はイメージです=Getty Images
「私にとって、どんな相手と結婚するかより、どうしたら母になれるかが一番だった」 ※画像はイメージです=Getty Images

何と戦っていたんだろう?

――実際に母になって、はるさんにとって、改めて母になるとはどういうことだと思いますか?
なって気づいたのは、自分の母のようにはなれないということ。母になった瞬間にみんなスーパーウーマンになれると思ったら、自分は何も変わらない。
でも、なれないとあきらめた方が楽になったんですよね。赤ちゃんを抱いた母はみんな幸せと思ってたけど、自分は腱鞘炎(けんしょうえん)になってサポーター巻いてって、理想と現実は違いすぎた。最初は葛藤したけど、自分の中で母が人間になった気がします。子どもから見たら母という立場なだけで、一人の人間なんだって。
結局、全部自分の中にあるものと戦っていたのかな、と今は思う。自分が作った理想や思い込みに、苦しんだり喜んだり葛藤したり。それが人生歩んでいくと、段々と解き明かされていく気がする。幸せだって、結局それを設定するのも評価するのも自分なんだなって。

――はるさんの人生にとって、産むはゴールだった?

母になっていない時は、ゴールでした。「母」になれば、あとは流れるようにうまくいくって思っていたから。でも、なってみて、そこから新しい人生が始まった気がする。リスタート。ずっと「母になる人生」だったのが、「私の人生」が始まったって今は思える。

「思っていたような母にはなれない」、と分かって初めて肩の荷が下りた。どこに住む?仕事を通じて何を達成したい?子どもとの関係は?……全部自分が決めることなんですよね。今、母と意見が合わないことが怖くなくなった。「母は母、私は私」。母も子どももダメな私でも愛してくれる。私は私のままでいいと思えるようになったんです。

でも今思うのは、産んでも産まなくても、そのままですばらしいし、そこを評価しているのは結局、自分なんだって。産もうが産むまいが関係ないって思う。

「産む」の根っこにある気持ち――取材を終えて

私はもともと、「母になりたい」という気持ちが強くなかった。

私の母は自由な人で、いわゆる良妻賢母の「母」ではない。祖母の世代の話やテレビなどから「母=自分のことを後回しにして子どもや家族を優先する」というイメージがあり、避けたいと思っていた。

なので、子どもの頃は、友達が「大きくなったら結婚して、お母さんになりたい」と話すのを遠いことのように聞いていた。

それが、女性として産む年齢のリミットが近づいてきた時、「産む」ことに答えが出ない状態が、中ぶらりんのように感じた。「母になるってどういうことなんだろう?」。改めてこの問いにぶつかることになった。

はるさんは、出産後、女性として自分らしい生き方を模索してきた人だ。子育ての負担と社会とのつながりを持てない不満が爆発して、未経験の専業主婦から起業し、事業を軌道に乗せた。私が持つ固定観念の「母」とは違うはるさんだからこそ、母について、そしてその前後の変化を聞いてみたいと思った。

まず驚いたのは、今仕事ばりばりのはるさんが「ずっと母になることにあこがれていた」ということ。そして、「思い描いていた母になれない」と分かってからの方が生きるのが楽になった、ということ。

人生最大の夢をかなえてみたら、理想とは全然違った。それをむしろ前向きにとらえていた。自分自身にふたをしていた「母になることへの執着」が外れた瞬間だった。

「結局、全部自分の中にあるものと戦っていたのかな」という言葉を聞いたとき、私自身の中にもある「しこり」のようなものが溶けていくのを感じた。

「こうでないといけない」「こうできない私はダメだ」と自分を苦しめる正しさは、自分が生み出した物に過ぎない。そして、それに気づき、乗り越えていけるのは自分しかいない。

勝手に恐ろしく感じていた〝正しさ〟という怪獣は、結局、実体がなくて、でもそれを作り出していた自分の中にある「認めてほしい」「愛されたい」という気持ちはいとおしいものなんだ、と気づかされた。

みんな、どう生きるのが正解かなんて分からない中で模索している。「母になりたい」もその一つ。

自分の中に「結婚、出産が当たり前とされる社会で産む人は悩まなくていいな」という勝手な思い込みがあったけど、そうじゃない。

「ずっと母になる(ための)人生だった。子どもを産んで、私の本当の人生が始まった」とはるさんは言った。

「母になる」ことを過剰に受け止めてしまっている自分がいるとしたら、それは、「産む」以外に理由があるのではないか。それを覆い隠すほど、「産む」「母になる」ことの存在感が強いのかもしれない。根っこにある自分の本当に気持ちに気づくこと、それが誰でもない自分にとって大切なんじゃないか、と思えた。

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