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連載

#7 #産む産まないの先へ

人に言いづらい〝産むを巡る物語〟 きれいごとではない心情を発信

色んな「生きた証し」が循環する社会に

西部沙緒里さん(写真は本人提供)
西部沙緒里さん(写真は本人提供)

目次

私がもっと多様な「産む」を巡る選択、生き方を知りたいと思っていた時、出会ったのがウェブメディアの「UMU」でした。そこでは、「産む、産まない、産めない」をテーマに、不妊や流産・死産、特別養子縁組、血がつながらない家族、産まない選択などの様々なストーリーが、ほぼ実名で語られています。印象的だったのは、「普通」とは異なる「産む」にまつわる歩みを経験し、悩み苦しんだはずなのに、それを語るひとり一人はすごくステキな笑顔だったということ。「産む」を巡る生きづらさと、それを超えた先にあるもの。そして、語られ始めた物語は、私たちに何をもたらすのか。「UMU」を運営する西部沙緒里さんに、企画を通して生まれた問いやモヤモヤについて、聞いてみました。

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西部沙緒里(にしべ・さおり)
博報堂を経て2016年に会社「ライフサカス」を創業。「働く女性の健康支援」をメインテーマに、企業や行政、学校向けの研修・講演活動のほか、企業の人事・新規事業開発などのコンサルティング・アドバイザリー事業も展開する。不妊、産む、産まないにまつわるリアルな体験を伝えるWebメディア『UMU(https://umumedia.jp)』を運営。中小機構中小企業アドバイザー、NPO女性医療ネットワーク理事。
 

シリーズ「#産む産まないの先へ」

「産むを巡る選択」に、なぜこんなにも悩むのだろう。もしかしたら同じようなモヤモヤを抱えている人がいるかもしれない。2人目の子どもを妊娠中の私は産んでも終わらないこのモヤモヤに向き合ってみることにした。私と同じ、今を生きる女性たちが何を感じ、何を思い、今歩んでいるのか。ひとり一人の物語から、考えてみたい。産むか産まないかはゴールじゃないなら、そこから先に何があるのか。越えた場所に広がる景色を見るために。

     ◇

中村真理(なかむら・まり)1980年生まれ。35歳で会社を休職。地域NPOインターン、留学などを経て、2019年に第1子、2021年に第2子を出産予定。

ケースを集めようと思った

――ウェブメディア「UMU」を立ち上げた経緯を教えてください。

私自身が当事者になったというのが1番最初のきっかけかなと思います。会社員だった37歳の時に、乳がんに罹患したことで不妊の可能性を指摘され、不妊治療を始めたことで、初めてこのテーマに問題意識が芽生えて。

いつかは当然に産めるんだろうと思っていたのが、いきなり未来が絶たれた感じがしたんです。当時は、みんな普通に産んでいるのに、「なぜ私だけ」という心境で。30数年の人生で一度たりとも真剣に考えたことがなかったのに、どの口がって感じなんですけど、でもその瞬間に大げさでなくて、女性性を全否定されたような気持ちになったんですよね。

それで周りに話し始めてみたら、不妊治療をしていたり、産まないけど誰にも言えなくて悩んでいたり、びっくりするぐらい多様な声がどんどん上がってきて。これだけたくさんの人が、親しい友人にさえ言えずに孤軍奮闘して、葛藤しているという実態を知りました。

それで、ケースを集めようと思った。一番最初はごく個人的な動機で、リアルな経験者の情報を集めて、まず私が安心したいと思ったんです。でもそこから、人に言いづらいテーマであるがゆえ、多くの周りの人たちも人知れず苦しんでたってことも徐々に知った。ほかの人がどんな経験をして、何を選択して、その後どんな人生を歩んでいるのかがお互いに全然見えてこない。正解もないし、特に不妊治療の場合は確実に成果が出る保証もない。

だからこそ、産めても産めなくても産まなくても、いま幸せに生きている人たちのことをもっと知りたいなあと思った。そのロールモデルを探しに行ったっていうのが、メディア立ち上げにつながる一つのジャーニーです。2016年秋からスタートしました。

ウェブメディア「UMU」
ウェブメディア「UMU」 出典:https://umumedia.jp/

命の話を遠ざけてきた社会

――UMUに登場する方は、実名で写真も掲載している人が多い。語ってもらうことへのハードルはなかったですか?

今から約5年前の当時、もちろん「全く無かった」とは思いません。何より、運営する私たち自身もこのテーマの渦中にいて、自分の中に葛藤や傷を抱えていました。なのであえて、最初はこの人なら語る準備ができているかもしれない、という方に、勇気を出してお願いしにいきました。

同時に、腫れ物に触る感じではなく、晴れ晴れとこのテーマを語れる世界にしたいというビジョンが当初からありました。別に悪いことをしてるわけじゃないはずなのに、なんで孤独に悶々と悩んでいなきゃいけないんだろうっていう感覚はすごくあって。不妊治療をしようがしまいが産もうが産まなかろうが、本来はその人の人生の選択。なのに、肩身の狭さを感じてしまうとか、罪悪感で自分を責め続けるような話じゃないはずって思っていました。


――晴れ晴れってすごくいいですね。逆に、「肩身が狭い」、「罪悪感で自分を責めてしまう」といった「産む」の生きづらさはなぜ生まれると思いますか?

要因はひとつじゃなく、複合的だと思うんですけど、一番深いところで言うと「命の話を遠ざけてきた社会」が影響しているんじゃないかなって個人的には思っています。生とか死とか生殖を、真正面から考える、議論することをできるだけ避けたい社会。グレーゾーンとかタブーとして扱う価値観がもたらしてきた、負の側面の一つだと思うんです。

昭和のはじめぐらいまでは、多世代がひとつ屋根の下にいて、家で出産したり死を迎えたりってことが一般に広く行われていたはずです。そのテーマを扱わなくても、当然に体感として知っていたんだと思う。一方で現代は、命が生まれることも失われる瞬間も、病院で基本行われてるんですよね。

そうやって生も死も外部化して社会から実感が切り離されていくと結局人は、より思考停止状態になっていくと思う。命や生殖のことは、本来だったら若い時から男女ともに備えるべきテーマなのに、実際は考えないままに身体的な適齢期を過ぎ、ギリギリのタイミングで初めて気づくことが多いですよね。

この文化的社会的な背景が、「産む」にまつわる生きづらさを生み出す、根底にある要因の一つと感じます。その土台の上に、様々な社会規範、固定観念、周囲の目、家族や夫からの期待とか、色んなものがミルフィーユのように多層に積み重なっている構造なんじゃないでしょうか。

「不妊治療をしようが産んでも産まなくても、その人が抱えて生きていけばいい話。なのに、世間様に向けて恥ずかしい感じで、隠れて生きなきゃいけない話じゃないって思ってた」
「不妊治療をしようが産んでも産まなくても、その人が抱えて生きていけばいい話。なのに、世間様に向けて恥ずかしい感じで、隠れて生きなきゃいけない話じゃないって思ってた」

当然、私は産むっていうふうに思っている

――インタビューの中で、「産めない」ことで、自分の存在意義を失うように感じるという話も出ていた。どうしてそう感じるようになると思いますか?

以前に「生殖物語」について、132名に意識調査をしました。(https://umumedia.jp/2020/06/24/seishoku/

生殖物語とは、生殖心理学における専門用語で、男女ともに、幼少期からも含めた個人が刷り込みとして持っている無意識下の家族像の理想やイメージのことだと言われています。調査をしてみると、「当然に子供はいるもの」という生殖物語を持っている人が大半だった。もはや幼少から、私たちは当然に将来子供を持つっていうふうに、潜在意識下で思って育ってきているようなんです。

一方、現代において、妊娠出産に困難を抱えることも、「産めない」ことも、決して宝くじほどの希少な確率ではない。不妊一つ取ってもカップルの5.5組に1組の世界だし、社会構造からいっても多様な選択やアウトカムが生まれることはもう明白です。

それでも、この生殖物語の影響を色濃く受けている私たちは、まさに当時の私もそうだったように「当然に子供は持てる(産める)」、「その時が来ればコウノトリが連れてきてくれる」という感覚から、なかなか逃れられない。この結果として、「産めない」ことが、人としての存在意義の問題に直結してしまうのではないかと考えています。


――生殖物語の形成には、文化や社会的な要素の影響も強いのでしょうか?

そのように考えられています。なぜ幼少期から形成されるかというと、一つは、子供の時の遊びだそうです。例えばシルバニアファミリー、ちびまる子ちゃんやサザエさんでも、「お父さんがいて、お母さんがいて、お兄ちゃんがいて、私がいて」と言ったような「型」を繰り返し見たり、体験したりする中で刷り込まれる。

そういう幼少期に触れる家族像に、例えば同性婚でお父さんが2人いる家庭は一般に考えにくいですよね。人々は「当たり前」や「普通」とされる社会規範を知らず知らずにインプットして大人になる、ということが類推できると思います。


――私の中にもまさにその典型的な家族の型があった気がします。そうした理想の家族像はあるけど、先ほどの「命を遠ざける社会」の中では「産む」を考える機会は少ない。私自身、産む年齢ギリギリに突如として「産む」の問題に直面した、というとまどいがありました。

そうかもしれませんね。命と切り離されて、生死や生殖について、思考停止またはタブー視して、ギリギリまで考えない社会がデフォルトになっている。ここに、現代女性としてのキャリアアップや自己実現が加わり、より「考えない」が加速する。

かたや、生殖物語という「型」による家族観は、水面下で綿々と形成されていく。それが、もう先延ばしにできなくなったタイミングで突然、重大事として頭をもたげてくる。例えるなら数十年も体内に埋め込まれていたタイマーが、突如として大音量で鳴り始める、といった感覚にも近いかもしれません。

だから、存在意義に関わるほどのレベルで翻弄される人がたくさんいるんじゃないかって思います。理想的には、若いうちから生殖の知識を持ち、産む産まないの意思決定や対話の時間が十分取られて、その成熟した先に家族があるはずが、現実はなかなかそうはいかない。

そうして、途中のプロセスや時間軸が曖昧なままに、内面に形成された生殖物語による「家族観」に突然振り回されることになり、そっちのイメージばかりがリアルになってしまう。

結果、自分がどう生き、何を選びたいか吟味する心の準備もないままに、あるべき「普通」の家族イメージを達成することが人生のミッションであるかのような、錯覚が起きてしまうんじゃないでしょうか。

産む産まないが思い通りにいかないと、抱いていたその先の家族のイメージも完成しない。本来個々の生殖物語は刷り込みであり、筋書き通りのタイミングで人生を実現している人なんてほとんどいないのに、それが叶わないことですごく裏切られた気持ちや、存在意義に関わるようなクライシスに陥ってしまうんだと思います。
「産むとか、生殖の意識っていうところをすっ飛ばして、家族の話になってるんですよね、日本の社会って」 ※画像はイメージです=Getty Images
「産むとか、生殖の意識っていうところをすっ飛ばして、家族の話になってるんですよね、日本の社会って」 ※画像はイメージです=Getty Images

決してきれいごとではない

――その、社会のステレオタイプから作られる「普通」から降りることは難しいと思いますか?

私たちって、目標を立てて計画通りに進みなさいと教えられて育つんですけど、いざその道筋を外れた時のリカバリーって教わらない。想定通りに行かなかった時に、別の道があるとか、どれを選んでも全然「負け」でも「失敗」でもないと思える学習経験をせずに、大人になっていく。その影響もあるんじゃないかなと思って。

幸せって、本来絶対的なものじゃなくて、相対的なもの。生殖物語だって、最初の物語通りに進まないのが本来はデフォルトですよね。現実の人生と違うのが当たり前だし、本来叶えられなくていいものだし、さらに言えば「何度でも書き換えできる」もの。でも結局、計画通り・想定内がよしとされてきた経験則にも影響され、オルタナティブの選択肢が描けず、想定通りにいったときの自分の幸せだけが絶対化されてしまうのかもしれません。

本来なら、プラン通りにならないのが普通のことだし、そこを書き変えていく過程でより深い学びを得ていくことも、人生のレッスン。この社会でそう捉え直すことがより自然になれば、より多様な選択を選んでいける人が増え、多様な正解を認められる、励ませる人もともに増えていくかもしれないですよね。


――もう一つ、気になっていたのが、女性同士で「産む」を語りづらい雰囲気があること。子供のいる・いないでコミュニティが分断されがちで、年をとるまでつながれないというのは、もったいない気がします。

オフィシャルな回答から言うと、子供がいようがいなかろうが、不妊治療経験があろうがなかろうが、それぞれの痛みがあって、引き受けている社会的責任があって、諦めとか苦しみとかがある。そこに思いを馳せられる社会をつくっていく、想像力を醸成していくことが間違いなく1つのヒントだと思ってるんです。

例えば、子供を持ってる人は持たない人よりも楽しみが多いとか、逆に子供がいない女性はいる女性よりも自由とか。一側面では当てはまる部分があるかもしれないけど、それで引き受けているものがそれぞれありますよねっていうのが絶対的事実だと思うし、それぞれの苦しみ、悩み、諦めがあって、労い合えたらいいよね、という目線でお互いを見られる人が1人でも増えてくれたらいい。そういう社会が、溝を減らしていける可能性があるのかなって。


――「オフィシャルな回答」ということは、個人の意見として他にも言いたいこともありますか?

どちらの人生を生きることになったにせよ、不可逆じゃないですか?この選択って。だから、個人の赤裸々な感情としては、別の人生を選べるなら選びたかったなとか、羨ましいって言いたくなることも、正直あります。

逆に、不妊治療当時に子どもが欲しくてたまらなかった時代は、街でマタニティマークを見るたびに心がかき乱されていたことも事実で。そういう自分を反省しながらも、やっぱり人間ってそういうもんだとも思ってます。私みたいな活動をしている人間でも抱えてるぐらいだから、みんな大小は心の中に思うことはあるんじゃないかな。だから、溝を埋めていく作業は決してきれいごとではないなとは思います。

それを受け入れて、ネガティブな感情も含め、吐き出せるような場所が増えていくといいんでしょうね。持っているものやステータスの違いで切り分けるんじゃなくて、多様な人がそれぞれのネガティブな感情や抱えてる葛藤を吐き出せる場所が増えていくと、自分も受け止めてもらえるし、相手もよく受けいれられるようになる。

そういう場所や機会が社会により多く実装されていくといいと思いますし、UMUでも、不妊治療経験の有無や子供の有る無しに限定しない多様な人が、多様な経験を持ち寄り、対話できるオンラインコミュニティを立ち上げたいと、準備を進めているところです。

社会や政治がここ数年で興味を持ち始めた

――ロールモデルを探すところから始まった多様な「産む」のあり方。現在、変化を感じることはありますか?

ツイッターやインスタも含めて、匿名で発言してくれる方々がめちゃくちゃ増えたという時代の流れを感じます。実名でも著名人も含めて、このテーマの葛藤やプロセス、結果を発言してくれる方が増えたなって印象はすごくある。

今が変わり目なんじゃないかなと思っています。当事者がサイレントなうちは気づかれないし、孤独に抱え込んでいくしかない。でも徐々に可視化されていくことで、議題としてテーブルに上がって来たんだと思う。

不妊治療がそうですけど、社会や政治がここ数年で興味を持ち始めた。声を上げてくれたことが分岐点となり、現実のルールや仕組みが変わるっていうところまできた。生殖にまつわる生きづらさや働きづらさをオープンに語り合えたり、サポートしあえる社会の実現は、そんなに遠くないのかなっていう可能性を感じ始めています。

そして、不妊や産む産まないの話に限らず、誰もがいつかは何かの生きづらさの当事者になるし、その一つ一つが特別視されない社会を作っていけたらと願っています。

しんどい渦中にいたとしても、社会や会社がそれを支え、また真ん中へ戻ってこられる。そういうチームや会社や環境をどう整えられるか。そして、色んな生きた証しが、次の人の勇気になり、経験値やノウハウとして循環されていく。そういう連鎖を、もっともっと起こしていきたいと考えています。

すっぽり切り離された「命の話」――取材を終えて

「命の話を遠ざけてきた社会」。西部さんは「産む産まない」を巡る生きづらさの根っこには、「命」がすっぽり切り離された社会があるんじゃないか、と話した。「命」は、普段の暮らしでは耳慣れない言葉だけど、5人の女性の産むを巡るストーリーを聞いた後の私には、「あぁ、そうか」とすんなり心に届いた。

「産む」にはたくさんの視点がある。産むか産まないかだけじゃない。不妊、流産や死産の経験、養子縁組や里親制度など血がつながらない家族、子どもを願うLGBTQの人たちもいる。すべての人に、その人にしかない「産む」を巡る物語がある。そして、そのすべての土台には「命が生まれる」ことがある。それこそ私がずっと見失っていたことなんだと思った。

思えば、私は「産む」を社会の枠でとらえて、モヤモヤしていた。そうして、自分という生(命)を狭い枠に無理やりはめこもうとして窮屈に感じていたけど、今回話を聞かせてくれた5人の物語が見せてくれたのは、まさに自分の生を枠から取り出して、再び息を吹き込んでいく、そんなプロセスだったように感じる。

何がなくても、そのままで満たされている存在。そうして生まれてきた私たちが、社会と自分が生み出した「普通」と思えるイメージ通りにいかなくて葛藤して、痛みやあきらめを経験しながら、今の自分にとっての幸せに書き換えていく。私は最初、「あんなに悩む必要あったんだろうか?」という憤りを感じていたけど、それはもしかしたら自分の生を取り戻すのに、必要な作業だったのかもしれないと思えた。

そして、生きづらさから自分の足で立ち上がる、そんな人たちの物語が聞こえてくる社会の先に、私たちは昔とは違った形で「命」を取り戻せるのかもしれない。私の「産む」を巡るモヤモヤから始まった旅。どこへたどり着くのか自信もなく、頼りなげに始まったけれど、5人が聞かせてくれた物語と旅の途中でたくさんの人たちと話して出会った問いととともに、産む産まないの先に今までとは違う光が見える気がした。

それぞれが胸に抱えている「産む産まないの先」について。これからも考え続けていきたい。

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