連載
#6 #産む産まないの先へ
日本の女性「幸せパターン」少なくない? 子宮頸がんで芽生えた疑問
まず自分の体を知る、選択肢を増やす
29歳で子宮頸(けい)がんが分かって手術をした村田美沙さん。「子どもが産めるのか?」という心配から、女性として生きる意味を考えるようになったといいます。「産む」だけではなく、女性の体とともに生きるとはどういうことなのか。感じたのは、女性の生き方に選択肢が少なすぎるように思える日本の現状でした。元の生活を取り戻すまでの日々から、自分たちにとっての「幸せ」について考えます。(朝日新聞記者・中村真理)
シリーズ「#産む産まないの先へ」
「産むを巡る選択」に、なぜこんなにも悩むのだろう。もしかしたら同じようなモヤモヤを抱えている人がいるかもしれない。2人目の子どもを妊娠中の私は産んでも終わらないこのモヤモヤに向き合ってみることにした。私と同じ、今を生きる女性たちが何を感じ、何を思い、今歩んでいるのか。ひとり一人の物語から、考えてみたい。産むか産まないかはゴールじゃないなら、そこから先に何があるのか。越えた場所に広がる景色を見るために。
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中村真理(なかむら・まり)1980年生まれ。35歳で会社を休職。地域NPOインターン、留学などを経て、2019年に第1子、2021年に第2子を出産予定。
耳元で切りそろえた黒髪とまっすぐの眉。のびのびとした姿が印象的な美沙さん。出会ってすぐにこの企画を持ちかけたところ、話してみたいと言ってくれた。病気の経験やフランスへの旅や出会い。インタビューは気づくと3時間経っていた。
東海地方の海が近い町で育った美沙さん。大学卒業後は洋服の仕事にあこがれて、アパレル商社に事務職として入社。会社は女性服の事業が中心だが、社内は男性社会。女性管理職はわずかで、男女が対等に働ける環境とは思えなかった。
「むかつきモーメントが多かった。でも、女性がそれを当たり前に過ごしているように見える風景がまたつらかった」
周りの女性社員は、20代で結婚、出産したいと話す人が多かった。「一瞬染まりそうになった」けど、自分らしくないと思い直した。働き方やキャリア、結婚や出産。女性としてどう生きるか、モヤモヤした日々が続いた。
転機となったのが、自分の体調不良だった。人間関係のストレスから不眠症になり、冷え性も悪化。会社の有休は通院で消えていった。不眠症になった時、ハーブを勉強するようになり、「もっと好きなことをやってみたい」と26歳で会社を退職。一週間後には、ハーブが暮らしに根付くヨーロッパへ飛んだ。5カ月近く旅をして回った。
最初に訪ねたのがフランス。出会った在仏の日本人や日本文化に関心を持つフランス人女性たちは、相手にはっきり意見を伝え、自分がやりたいことをやっていた。
「こんな美しい強さを感じられる女性たちに囲まれたのは初めてだった」
その縁でシェアオフィスに通うようになり、同世代のアーティストたちと知り合った。日本で周りにいた女性たちと違って見えたのは、結婚に焦りもなく、パートナーがいても結婚前提ではない。楽しそうに仕事に打ち込み、パートナーとともに働くのが当たり前という同世代の女性たちの姿に「見たことない選択肢だった。それはジェンダーやフェミニズムという言葉ではなく、もっと自分の生き方には選択肢があるんだって感じた」。
旅を通じて「こうなりたい」と思える考えや価値観に出会えたことで、ハーブの仕事に挑戦しようと気持ちが固まった。
帰国後はすぐに上京。食のイベントの企画運営に携わりながら、フリーランスとして独立。軌道に乗りつつあったが、翌年に新型コロナでイベントは軒並み中止に。仕事のやり方を模索していた。
そんな中、生理が2週間続いた。不正出血だった。帰省したタイミングで婦人科へ。子宮頸がんの一歩手前の状態と診断された。
もともと生理の量が多く、生理痛のため痛み止めを飲んでいたが、ハーブや精油の知識をもとに、食事などの生活環境を改善して、症状が軽減していた。変化があったのは、不正出血の数カ月前。再び生理が悪化してきたが、忙しくて東京では病院を受診できなかった。子宮頸がんについては、以前は生理痛で受診した病院で、勧められて定期的に検査をしていたが、生理が安定してからは意識することがないまま数年経っていた。
「生理の問題かと思っていたから、自分とガンがつながるとは全く考えていなくて、聞いたときは何も考えられない状態だった」
3カ月後に精密検査で、子宮頸がん手前の状態でも重い「高度異形成」で手術が必要と分かった。手術の同意書には、「流産や早産の可能性が高くなる」と書かれていた。
「子どもを産めなくなるかもしれない」。不安が膨らんだ。
東京で働いていた時は、色んな価値観の人に出会った。「産むことに興味がない」という人、結婚していても「産まない」という人。自分自身、環境問題を考えると子どもを産むことに積極的な気持ちになれず、「自分が産まなくても、未来のために教育や子どものサポートに関わることはできる」と考えたことも。「産みたい?産まなくていい?」と気持ちが行ったり来たりしていた。
それでも、手術を前に落ち込んだ。産むかどうか選択できなくなるかもしれない。そして、気づいた。「悩むということは、自分は産みたいんだ」。一人で生きるより、自分がこれから家族を作ってみたい。自分の気持ちが見えてきた。
手術後は今までにない身体の変化と違和感を覚えた。子宮の入り口は縫合できないので、傷口が閉じるのに1カ月半ほどかかる。トイレも怖いし、お風呂も入れない。長く椅子に座れず、横になっても仰向けしかできない。仕事もできなくなった。
「子どもは欲しいけど、これが続いたらセックスなんてできない」。パートナーはできるのか。東京から実家に戻ったが、家族連れや子どもの姿を見ては落ち込んだ。「自分にはできないのかもって、ひとりぼっちな気分になった」
閉じこもりがちな日々が続いたが、子宮頸がんのことは周囲に伝えていた。定期検査がなぜ必要か。知らなかった自分に気づいた。話してみると、子宮頸がんの(手術が必要ない)軽度の異形成を経験した友人が予想以上にいた。SNSでの発信にも反響があった。
手術から4カ月近く経った今夏。病院の診断で「傷口は完治したから大丈夫」と言われた。身体も以前のような感覚が戻り、仕事も本格的に再開した。
子宮頸がんの経験を振り返った時、「使命感」という言葉が美沙さんから何度か出てきた。「女性としての体や健康、産むか産まないか、そしてフェミニズムの問題も視野に入れて、自分事のアクションに変えるきっかけをつくりたいと思うようになった」。
これからは多様な選択肢があることに気づくきっかけを増やせたらと、アートなど様々な方法での表現に挑戦したり、教育にも関わってみたいと考えている。
――子宮頸がんの経験を経て、今一番やってみたいことはどんなことですか?
女性の体の中で起きている物理的なことって、29年生きてきて知らないことが多すぎると感じたんです。自分なりに考えていくと、日本の性教育のせつなさたるやというところに、最終的にいきついてしまう。歴史より、自分の身体の方が重要なのに知らないんだなって。
私たちにとって当たり前になっているところを、当たり前にせずにひもといていきたい。それは多分、私自身が今まで感じていたモヤモヤにつながってるし、解決するアイデアになっていくと思う。
――自分の体をどう知るか。具体的に考えていることはありますか?
この前、久しぶりにフランスの友人と話した。私は手術後に医師と相談して、自分の体のためにピルを飲み始めたけど、フランスだとピルって薬局で買えるし、定期的に婦人科へ検診に行くのも当たり前だと聞いた。自分の体を知り、どう向き合うのか、自分で取捨選択しているんだなって感じたんです。
女性の体そのものだけじゃなく、友人の中にはビーガンやベジタリアンの人もいれば、ゲイやバイセクシュアル、ポリアモリー(複数の人と同時に恋愛関係を持つ恋愛スタイル)の人もいる。食、セクシュアリティ、恋愛のスタイルだって、自分の体のことと直結していると思う。自分の体を知ることが、ジェンダーや人間関係にも結びついていくことなんだと感じた。
パートナーと話し合ってピルを飲むのをやめたと話す友人もいました。そういうコミュニケーションができることがすごいと思った。自分を理解した上で、周りともコミュニケーションができる。たくさんの選択肢の中から自分が選べる環境があり、それをみんなが認めていることが、自分で舵をとれる理由だと思う。
――フランスの状況はとてもうらやましいく思えるが、日本では出産に対してどうしても舵を取りにくいように感じてしまう。どうしてだと思いますか?
日本では、キャリアを優先するか、産むかの2択しかないように感じてしまう気がする。でも、キャリアの問題さえ解決すればいいかというと、そういうわけではないような。本当は、もっと個人個人の問題なんじゃないかな。
ポリアモリーの友人と話して感じたのは、彼女は女性としてどうしたら自分が楽しく過ごせるのか、というところでピルや体のケア、食を選択しているということ。自分の気持ちをどうやったらコントロールできるか、自分で答えを持っているように見えた。
産む産まないで悩んだり焦ったり、私たち女性が大変だって考えちゃう時って、もしかしたら数少ない生き方の選択肢の中で悩んでいる可能性もあるのかなと思う。
――私自身、少ない選択肢で悩んでいたと思う。日本ではなぜ選択肢が少なく感じるんだろう?
日本でもファッションや食の選択、性的指向などでは、発信している人の多様性が感じられるようになって、一つの型にはまらなくてもいいと気づくきっかけは増えていると思う。でも、パートナーシップや家族とか「幸せの象徴」というところまではいっていないんじゃないかな。例えば、広告も男女で子どもがいる幸せな家庭像がまだまだ多い。今ある「幸せの象徴」以外の幸せのパターンを知るきっかけが少ないことが理由の一つじゃないかと思います。
――その「幸せの象徴」から外れるのはなぜ怖いんだろう?
イメージに支配される理由って、たぶん孤独もあると思う。例えば、産まないという選択をした時に、じゃあずっとその後の人生を1人で過ごすのか、もしくはパートナーと2人で過ごすか、という二つのパターンで終わってしまうように見える。
でも、例えば産むかどうか選択も、食や住む場所、恋愛の仕方、仕事、色んな選択を考えるうちの一つと考えると支配的な感情ではないかもしれない。女性としての自分の体だって、産むかどうか以外の選択がたくさんあるんじゃないかな。
そういうことを知るのが本当に大切だって知った。知るって自分に何も起こってはいないけど、知っているだけで救われること、めちゃくちゃよくありますしね。子宮頸がんやピルのことをこれからも発信していきたいです。
――女性としてこれから、どう生きていきたいですか?
もっとフランクに真剣に、自分の女性という体と付き合う生き方をしたい。どうしたら自分の体とポジティブにつきあっていけるかを感じながら生きていきたい。私にとっても、これから選択していくことがまだまだたくさんあると思っているんです。
振り返って感じるのは、私自身も支配から脱したところに、いまいるのかな、ということ。ここからが本当のスタートだと思う。自分はもうすぐ30歳というタイミングだったけど、それが例えば60歳の時にそのタイミングになっても私は別にいいと思う。年齢は関係ない気がしています。
自分を知って選択肢を増やす――取材を終えて
「産む産まないで、女性が大変だって考えちゃう時って、もしかしたらそれ以外の自分の現状をちゃんと選択してない可能性もあるのかな?」
美沙さんが投げかけた言葉が、ドスンと重みを持って届いた。美沙さんのフランス人の友人たちの話は、自分自身を取り巻く様々な選択肢の存在を見せてくれた。食、ピル、セックス、パートナーシップ、性自認…。どうしたら自分が楽しく、健やかでいられるのか。そのために選べることが実はたくさんある。
「女性としての体=生理もしくは産むかどうか、以上」という単純さでしかとらえられていなかった自分のせつなさたるや。自分に謝りたいくらいだ。
「結婚して子どもを産む=普通の幸せ」に振り回されたのは、自分で自分を知らなかったからかもしれない。
「支配される理由って、孤独じゃないのかな」。美沙さんの「孤独」という言葉が、自分が探していた何かにピタッとはまった気がした。あぁ、そうか、私は孤独が怖くて逃げ回っていたのかもしれない。
いまや日本の一人暮らし世帯は3割を超えている。首都圏に住む私の両親は隣近所との接点はほとんどないし、親戚も近くにはいない。自分の例だけとってみても、家族の数が減り、地域社会が機能しなくなるエリアが増える中で、夫婦と子どもという幸せの典型的な家族が、孤独から守ってくれるとは限らないし、「普通の幸せ」なんて今の日本ではもしかしたらあまりに狭いカテゴリーなんじゃないか。
もっともっと「普通」以外の、色んな形の幸せパターンを見たいし、作りたい。美沙さんと話して、そう思った。その出発点は、体も含めて、まず「自分」を知ることなのかもしれない。「個」としての自分の輪郭をつかむこと。自分の幸せは何かを知っていること。そして、それを相手に伝え、ひとり一人違う選択を認め合う。その先に、幸せパターンを超えた色んな形が見えてくるんじゃないかと感じた。
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