連載
#10 LGBTのテンプレ考
LGBTが気持ち悪い人の本音 「ポリコレ棒で葬られるの怖い」
セクシュアルマイノリティの当事者が、メディアに出て苦悩を語ることが増えました。でも、逆はあまり聞きません。つまり「LGBTが理解できない」という人の心の中です。「ただの差別主義者」なのでしょうか。ある男性に話を聞いてみました。(朝日新聞デジタル編集部記者・原田朱美)
先日、私は「LGBTのイメージに関するアンケート」をネット上でやりました。ニュースでよく聞くようになった「LGBT」という言葉について、人々がどんなイメージをもっているのかを知りたかったからです。
寄せられた回答は800件。
SNSで募集したネットアンケートなので、このテーマにそもそも理解のある人が回答することが多いと予想しましたが、「理解できない」と書いた人も少数いました。
そのひとりに、会いました。
Bさん。43歳。
東京都内の会社に勤める男性です。
Bさんのアンケート回答は、こう書いてありました。
<理解不能。気持ち悪い。>
<この手の議論に関わるLGBTの人は非寛容で被害者意識が強いように思う。多様性を主張する割には、マジョリティを啓蒙してやるという選民思想感が鼻持ちならないと感じる。このアンケートにも忖度(そんたく)して書けば良かったのだろうが、本音を書くとこういう結果です。差別主義者と、みなされるかもしれないけども。>
これを読んで、あなたなら、どんな人を想像しますか。
しかめっ面をした、怖そうな人?
人の話を聞かず、持論を一方的に話し続ける人?
斜に構えた、皮肉屋?
私もいろいろ想像しては、少し緊張して、待ち合わせ場所の喫茶店に向かいました。
「いやいやいや、お待たせしてすみません」
スーツ姿のBさんは、人なつっこい笑顔で現れました。
平日の夜、思いのほか混雑した店内で、いまどんな仕事をしているのか、笑顔のまま話してくれました。営業の仕事をしているそうですが、明るくて話のテンポがよくて、盛り上げるのがうまい人だなあ、と、拍子抜けというか、ほっとした自分がいました。
さて。本題です。
Bさんは、「理解不能」とアンケートに書いていましたが、どういうふうに思っているのか、もう少し詳しく教えてください。
「例えばゲイの方について。僕は女性しか好きになったことがないので、男を好きになるというのがどうしても想像できなくて。『だって自分と同じ体をしているんだよ? それで興奮するの?』と」
「いや、頭ではわかっているんです。『同性を好きになる人がいるんだ』と頭では理解していても、心がついていけないんです。そういう衝動って、本能的なものじゃないですか。だから本能的に拒否してしまうんですよね」
変わらず明るい話しぶりなのですが、後半は、悩んでいるようでもあります。
「理解しなければと分かっているのに」と。
Bさんは今まで、セクシュアルマイノリティに会ったことは、ありますか?
「あります、去年。男性の同性愛者だから、ゲイ、ですかね。仕事のクライアントだったんです。LGBTの支援活動をしている人だったので、『ゲイです』ということを明かして来られまして」
会って、どう思いましたか?
「正直に言うと、騒動になったフジテレビの『保毛尾田保毛男』のような人が来ると思っていたんです。僕は、あれのストライクな世代ですし。でもまったくもって普通の人でした。何も知らずに同僚として働いていたら、(ゲイだとは)気付かないでしょうね。いや、ステレオタイプの刷り込みって、あるんですね」
「普通」って難しい言葉ですけど、どういう意味で「普通」だと思ったんですか?
「もっとナヨナヨしていると思っていたんです。(性行為で)女性的な立場の方は、女性っぽいのかな、とか。ゲイだと明かしている人に会ったのは初めてで、興味があって。初めて外国人を見る子どものようなものです。でも、仕事中にそんなことを考えるのは相手に失礼だと思って、やめました」
Bさんは、苦笑します。
とても正直に、見栄をはらずに話してくれていることが、伝わってきます。
ちなみに、すぐに「性的な興味」をもたれてしまうのは、セクシュアルマイノリティの人たちがウンザリすることのひとつだそうです。「普通、他人にそんなこと聞かないでしょう?」と。
Bさんの名誉のために言うと、言葉にして聞いたわけではないそうです。
「僕、保険の代理店をしていたこともあるんですけど、同性パートナーだと保険金の受取人になれないんですよ! 3年前に知って驚きました。そんな不都合は、すぐ解消してあげたらいいと思うんです。ただ、自分自身が同性愛者をどう思うかと聞かれると、『うっ』となる、という……」
「保険金が受け取れないなんて、信じられない」といった表情です。
どうやら、同性愛者を積極的に嫌っているとか、権利を認めたくないといったことでは、なさそうです。
では、どうしてああいう回答になったのでしょう。
「例えば先ほどの『保毛尾田保毛男』がはやったころ、僕は中学生でした。あの時傷ついていた人がいたなんて、当時想像もしていなかった。毎週木曜日の夜9時にあの番組を見て、大笑いして寝て、翌朝同級生と『見た?』と話して」
「当時の僕らは、女子が夏服になったら下着が透けて見えたとか、ほんとしょうもないことで盛り上がるような、純朴なバカでした。そういう思い出って、心の原風景みたいなものなんです」
「後になって『あの時傷ついた人に気付けなかったあなたは罪人です』と言われると、『うち実家の花畑はキレイだなあ』と思っていたら、いきなり戦闘ヘリが飛んできて機銃掃射で荒らされる、みたいな気持ちになるんですよ」
実際に、時代をさかのぼってまで批判している人がいるかは、わかりません。Bさんには、そう思えている、ということのようです。
「当事者にとっては、今までずっと言えなかったことがようやく言える時代になって、フタが開いた状態というか。だからキツい表現をする人がいるんでしょう。でもこの年まで異性愛が当たり前だと思っていたのに、急に『お前は差別主義者だ!自覚せよ!』と糾弾されて、社会的に罪を背負わされたような表現をされると、こちらとしても、つい『何を!?』となってしまうんです」
「LGBTだけではないですが、先に感情がこじれてしまうと、相手の話を聞く気がなくなりますよね。『どうせ責めたてに来たんだろう』と」
Bさんの話し方は、「許せない!」と怒っている様子ではありません。笑いをまじえ、あれこれ工夫しながら、「伝わります?」と確認しながら話しているという感じ。変わらず明るい表情で。
ただ、それに反して、「罪」というのは、とても強い言葉です。当事者の多くは、「苦しいから、やめて」と訴えているつもりなのだと思いますが、なぜ、そこまで強い反発になるのでしょう。
「強迫観念として、ポリティカルコレクトネスに反してしまったら、僕の方が社会的に葬られるというのがあるんですよ」
ポリティカルコレクトネス。
直訳は「政治的な正しさ」です。
正しさを理由に他人を批判する時、言い方や相手によっては、ある種の暴力と受け取られることがあります。それを皮肉って、「ポリコレ棒」という言葉もあります。
「差別意識で、いじめてやろうと思って発言したら、たたかれるのは当然。でも、異性愛が普通だと教わって育ってしまったから、全く悪意のない、うっかり吐いた言葉が『差別だ』と炎上することがある」
「じゃあもう怖いから、何も関わらない方がいいとなってしまう。でもそれじゃあ、苦しんでいる当事者に対する偏見は消えなくて、ますます当事者は苦しみますよね?」
はい。それはたしかに、そうです。
「今の時代、ポリコレ棒で殴られることって、ほぼほぼ死刑宣告じゃないですか。自分の暮らしが破壊される恐怖がある。怖いから、殴る相手に憎悪を向ける。すると相手もまた怒る。負の連鎖ですよね」
Bさんが、アンケートに「鼻持ちならない」と書いたのは、LGBTに対してというより、「ポリコレ棒」に対して、だったのでしょうか。
「僕らより上の世代は『気持ち悪い。人間じゃない』と切り捨ててしまう。僕らより下の世代は、多様な人がいると教えられて育っているから、理解がある。僕は気持ち悪いと思ってしまうけど、それを言うと下の世代からたたかれることも、わかる。僕自身、どう接していいのか、常に自問自答しています」
うーん、と腕を組むBさんを前に、私も「LGBTを理解できない」という意見をどう取り上げるのか、悩みながら話を聞きました。
「アンケートに書いたとおり、忖度(そんたく)して『差別はよくない。みんなで明るい未来をつくろう』と回答すれば、良かったのかもしれない。でも、それじゃあ本当の解決にならないですよね?」
どうすればいいのか、簡単にこたえは出ません。
ただ、「Bさんと会って、話して、よかったな」と思ったのは、たしかです。
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