連載
#9 LGBTのテンプレ考
「理解されることは、あきらめている」 あるゲイ男性の静かな絶望
この数年、ニュースでよく「LGBT」という言葉を聞きます。セクシュアルマイノリティを「差別してはいけない」というメッセージがあちこちで流れるなか、「理解されることは、あきらめている」と話すゲイの男性に出会いました。メディアで見る「LGBTブーム」とは一線を画す、「冷めた当事者」の思いを聞きました。(朝日新聞デジタル編集部記者・原田朱美)
都内で派遣社員として働くAさん(33)。
仕事が終わった平日の夜に、喫茶店で会いました。
「理解とか差別解消とか、あきらめている部分が強いんですよね」
Aさんは、ゆっくり考えながら、口を開きます。
物静かなたたずまいで、視線を落としながら、淡々と。
「なんでしょうね。小学生、中学生の頃からの偏見や攻撃の積み重ねです。『ホモ』『オカマ』みたいな。子どもって残酷じゃないですか。そういう体験を原動力にして世の中を変えようとする人は、NPO活動とかになるんでしょうけど、もう、疲れているから」
Aさんは、ふっと笑いました。
冷笑、シニカル、自虐、厭世(えんせい)。
どの言葉とも違う気がしました。
動かない水面のように、静かな静かな、絶望。
「取材を受けるにあたって、周り(のゲイの人たち)にも聞いてみたんですけど、『普通の人間として扱ってほしい』とも『結婚できない不都合を解消したい』とも、思っていないんですよね。ありていに言うと、『放っておいてほしい』でした」
私は今まで、何度かセクシュアルマイノリティの取材をしたことがあります。ゲイ男性に会う度に「メディアに出て活動するのは、ごく一部。多くのゲイは、冷めた目で見ている」と、釘を刺されます。
そういう人たちは、同性パートナーシップ証明も、レインボーパレードも、喜んでいない、と。差別的だと批判を浴びたフジテレビの「保毛尾田保毛男」騒動さえ、「注目を集めること自体が、迷惑」。
「取材を受けることも、『やめなよ』って言われました。『お前もそっち側にいくのか』って」
「そっち」とは、あきらめず、「理解促進を」と言う人たち。
メディアに出るのは、たしかに「そっち」の人が多いです。
「当事者のなかで、『じゃあ闘ってやろう』という人は、少ないと思いますよ。僕は周囲には比較的オープンにしている方ですけど、穏やかな差別をしてくる人はずっといるし」
穏やかな差別とは、たとえば、仲良くもないのにセックスのことをあれこれ聞かれたり、男性から「俺のことを好きになるなよ」と言われたりすること。どちらも、異性を愛する人には、うかつに言わない言葉です。言うと相手に怒られます。なのに、同性愛者には、言ってしまう。
「そういう偏見って、小さな自己否定を重ねられているのと同じなので。積み重なっていくと、そこに屈してしまうじゃないけど、もうあきらめてしまう」
ある友人の例を話してくれました。
Aさんがゲイであることを知っていて、いろんな話をする仲の良い男性の友人です。
先日、その友人の家に泊まりに行くことになり、こう言われました。
「泊まる部屋は一緒だけど……。俺は、ゴメンね。それはナシで」
Aさんは、最初からずっと「友人」のつもりでした。セックスがしたくて、遊びにいくわけではないし、仲良くしていたわけではない。そもそも男なら誰でも良いわけではない。自分がゲイだというだけで、「狙っている」と勘違いされたこと、それも「いろんな話を聞いてくれた人」だったことが、ショックだったそうです。
「うーん……。全部を理解してもらうのって、無理なんだなって。育ってきた環境が違いすぎて、もうどこまでいっても、言葉で理解してもらうのは限界があるなあって思っちゃって」
夜の喫茶店。
テーブルをはさみ、私の1メートル先で話すAさんの顔には、怒りも悲しみもありません。ただ淡々と、話してくれます。
「とはいえ、僕も揺れてはいるんです。わかってほしいという気持ちと、あきらめている気持ちと」
そうでしょう。
でなければ、取材を受けてくれなかったはず。
Aさんは、決して「人生すべてが投げやりになっている人」ではありません。
「僕のアイデンティティのすべてを『ゲイであること』が覆ってしまうのは嫌です。自分を構成する要素はもっとたくさんあるのに」
神奈川県出身とか、文章を書くのが好きとか、「Aさん」という人は、いろんな要素でできています。でも、声をあげ、活動をはじめたとたん、周囲は「ゲイのAさん」としか扱わなくなるでしょう。
「フラットな存在でありたいんです。そう思いすぎることがまた、とらわれているということなのかもしれませんが」
そもそもAさんは、「声をあげる」ことについて、どう思っているのでしょう。
苦しさを訴えることは、とても大事なことです。私たちメディアも、その声を報じてきました。一方で、声をあげることが「正しい」という圧力を感じるでしょうか。
「自分の場合は、『声をあげるべきだ』という価値観の人がまわりにいなかったので、特に……。ちょっと違うかもしれませんが、セクハラでも『どうせ言っても無理』とあきらめている女性っていますよね。言っても無駄だし、余計面倒なことになってしまうから、結局黙っているのが一番良い、という。損得勘定ですよね」
Aさんは、最近話題になったテレビドラマの話もしてくれました。
「結婚」をめぐり、悩んだりぶつかったりするゲイのカップルが、出てきます。
過剰にデフォルメした「おネエ」ではなく、ごく普通の青年として描かれています。
「でも、当事者の思いをすくいとっているようで、ちょっと違うというか。僕らは抱えている闇が深すぎて。同性婚とか表面的なものでは解決しなくて……。例えば同性婚が認められたとして、『男女の結婚』と『同性婚』は別物なんだろうな、と思うんです。『カニ』と『カニかま』みたいな。LGBT団体は『カニかまでも進歩。もらいたい』と言うだろうけど、僕は『カニかまじゃん! 結局普通じゃないじゃん!』と思っちゃう」
当事者の間でも、いろんな意見があります。
私はたくさんのゲイの人たちに会ってきましたが、それぞれ意見が違います。
マジョリティは「めんどうくさいなあ」と言うかもしれませんが、もともと「男性のことが好きな男性」が共通点というだけで、性格も生活環境も、すべてバラバラな人たちです。
「僕はまだ、これくらいで止まっていますけど、絶望が進化した人は、ゲイを嫌いはじめるんですよ。自分がゲイであることを棚に上げて、2丁目に出入りする人とかを、まるで自分が一般人であるようなスタンスで『嫌いだ』と。本当は同性愛者だから、ゲイコミュニティに行きたいのに、心をつぶされすぎて、ゲイに冷たい視線を送る。そういうアンビバレントなものを抱えるゲイに何人も会ったことがあります」
そういう人たちは、なかなかメディアには、出ません。
「もしかしたら、『あきらめている』と言いながら、何周も何周も何周もまわって、深層では、『男女』『普通』にあこがれて、渇望しているのかもしれません。でも絶対にひっくり返せない。そこに絶望している」
抱える絶望は、ふたつ。
分かってもらえない世間に。
「普通」に生まれなかった自分に。
「うん、それはもう、一生、死ぬまで続くと思います」
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