SNSで知り合いが「ぎっくり腰で動けない」なんて投稿をしていたら、ついつい「ムリしないでね、お大事に」と書き込みたくなります。でも最近の研究を調べていくと、それが実は「“誤ったアドバイス”かも!」ということに気がつきました。
何気ない一言ではありますが、そこには日進月歩の「医療の常識」といかに向き合うか、という大事な視点も隠れていそう。ちょっとフカボリして考えてみます(医療ジャーナリスト・市川衛)
先日、SNSのタイムラインで「今朝から急に腰が痛んで、つらい」という投稿を目にしました。これはお気の毒だと思い、泣き顔マークでリアクションをつけたあと「それは大変……お大事にしてください」と書き込もうとした瞬間、急な違和感が。あれ? なんかモヤモヤする……。なんでだろう……。
違和感の原因を探るべく、いったんSNSを閉じて、言葉の意味を辞書で調べてみることにしました。デジタル大辞泉によれば、「大事」という言葉には、次のような意味が含まれるそうです。
<価値あるものとして、大切に扱うさま。「―な品」「親を―にする」「どうぞ、お―に」>(出典:デジタル大辞泉)
さらに「大事を取る」と調べると、次のように書かれていました。
<軽々しく物事をしない。用心し、自重する。「―・って仕事を休む」>(出典:デジタル大辞泉)
ここから、「お大事に」という言葉には「(腰を)価値あるものとして、大切に扱ってね」、さらには「軽々しく物事をせず、用心して、自重してね」というニュアンスを相手に伝える可能性があることがわかります。
どうやら、私の違和感はそこに源泉があるようです。というのもここ10~20年ほどで、腰痛(および痛み)対策の原則は「安静」からその逆、「できるだけ動く」へと大きく変わってきているからです。
ぎっくり腰といえば、「魔女の一撃」とも呼ばれる、きつ〜い痛み。
「ある朝、ベッドから起き上がったときに不意に襲われ、起き上がりかけたその姿勢から体を動かすことができなくなった」というような経験をお持ちの方も、いるのではないでしょうか。
その対策として勧められていたのが、とにかく「安静」にすること。ベッドの上に横になり、できるだけ動かないことが症状を悪化させず、改善に向かう第一歩だと考えられていたのです。
ところが最近では、状況は変わっています。いま全国のお医者さんが、腰痛を診療する際に参考にする手引き(ガイドライン)には、こんな記述があります。
“急性腰痛では、安静より活動性維持のほうが疼痛軽減と身体機能回復の観点で優っている。また、病欠の期間も、活動性維持のほうが短い”
(『腰痛診療ガイドライン2019 改訂第2版』南江堂)
専門用語が多く、ちょっと難しい文章ですので“翻訳”してみると、以下のような意味です。
ぎっくり腰のような急な腰の痛みを感じたときの対策として––
①「安静にする」のではなく「できるだけ普段のように動く」よう心がける方が、痛みが軽くなったり、元のように動けたりするようになりやすい。
②「痛みのために働けない」などの期間も、その方が短くなる。
それにしても、なんで安静に「しない」方が腰痛の治りがよくなるのでしょうか。
自然に考えると、痛みがあるときはそこを動かさない方が、治りはよくなりそうです。ただ一方で「動かさないでいること」にはデメリットもあることが、研究の進展によってわかってきました。
例えば、筋肉の衰えです。
普通に歩いたり立ったりするだけでも、私たちの体は重力に対抗して姿勢を保つために筋肉を働かせています。そのため、重力がなくなると筋肉はすぐに衰えてしまいます(昔のフィルムで、帰還した宇宙飛行士がロケットから降りた後、立てずに多くの人に抱えられている映像を見た方もいらっしゃるかと思います)。
ベッドの上でじっとしていると、それに似たことが起きます。
腰は筋肉によって支えられているので、筋肉が衰えると痛みが起きやすくなります。また血液の流れも悪くなるので、痛みを感じさせる物質が留まりやすくもなります。
さらに痛みを恐れて安静にしていると、「またあの痛みが起きたら」という恐怖心が強まり、動くことが怖くなったり、より痛みを強く感じやすくなったりすることもわかってきました。
こうした研究の蓄積のなかで、「もしかすると、急な腰痛が起きても動いた方がいいのではないか?」という仮説が生まれ、実際に調べてみると、それが実証された、という経緯です。
そこで現在では、ぎっくり腰になったときには安静にするのではなく、早めに痛み止めの薬などを使った上で、できる範囲で普段と変わらない生活をするよう心がけることが推奨されるようになっています。
(注)なお「無理」は禁物です。ぎっくり腰のすぐ後に激しい運動をしたり、重いものを持ち上げたりすることは症状を悪化させるリスクになります。また、それぞれの人に適切な治療はその人の状況によって異なり、安静が必要なケースが全くないわけではありません。既にかかりつけの医師による治療や指導を受けている場合は、そちらをお守りください。
ここで、冒頭の「お大事に」という言葉を振り返って考えてみます。確認したように、この言葉には「今は用心して、自重してね」というニュアンスが含まれています。そこからイメージされるのは、「安静」という行動です。
もちろん、そのコメントを書き込もうとした私としては、いわば挨拶文の一つのような意識でこの言葉を選んでいます。でも研究で「とにかく安静」はデメリットの方が大きいケースが多そうだとわかっているのですから、よくよく考えると、私は誤ったアドバイスにつながることを伝えようとしていたのかもしれません。
と、ここまで読んで「一つの言葉にそこまで考えるのは、やりすぎ」と思われた方も多いと思います。「言葉狩りか!」と感じられたかもしれません。そう思われた方がいらしたらお詫びします。
ただ筆者も言葉を使った仕事をしている一人として、「何となく使った一言」が他者に対して与える影響というのは無視すべきでない力を持っていると常々、感じています。SNSで書き込んだ投稿へのコメントに大量の「お大事に」が並んだのを見たら、書き込まれたご本人は、「やっぱ大事を取って寝ておこう……」という気持ちになってしまうかもしれません。
その他の分野と同じように、医療の常識も日進月歩で変わっています。たった2〜30年前には当然だった「痛みには安静」という考え方は、現在では、多くの場合はふさわしくないことがわかってきました。
だからと言って、痛みを訴えている人に「ガマンして動きなさい!」と伝えるのも違いますよね。「じゃあ、どうすればいいの?」と聞かれれば、「そ、それはケースバイケースで違うので、相手の今の状況に合った言葉がけをするしかないですよね……」という返答しか浮かびません。
「なんだよ! ダメじゃん!」とがっかりされたかもしれません。でも、そういうものだと思うのです。
たとえ何の気なしのSNSのコメントであれ、親から子への言葉がけであれ、相手に何かのメッセージを伝えることは、伝えられた人の感情や行動に何らかの影響を与えてしまう。だからこそ、いま伝えようとしているその言葉がどんな意味を持っているのか、思考停止せずに考えてみることが大事なのではないでしょうか。
この連載のテーマである #健康警察 。 私たちの中にある、「他人の行動に一言もの申したくなってしまう気持ち」。それは、痛みなどを訴える知り合いのために「何か力になりたい」という心優しき“おせっかい”の精神から出ているケースも少なくないと思います。
だからこそ、その言葉を口に出したりSNSにコメントしたりする前に、それが相手にとって本当に役に立つものなのかどうか、ちょっと立ち止まって考えてみたり、調べてみたりする。そういう姿勢を心がけることが「大事」なのかもと、自分自身への反省も込めて考えました。