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「妥協しない」日本から学んだ インドネシア人デザイナーが思うこと

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日本で学んだ「妥協のなさ」を武器に、世界で戦っているインドネシア人のファッションデザイナーがいます。日本への留学で人生が変わり、その後も、異素材を丁寧に編み上げた作品を「二つの国の絆」と表現するなど、両国に関わる作品を生み出し続けています。そんな彼女がいまの日本を見て「少し寂しい」ことがあると言います。思いを聞きました。
東京駅前の「大丸」3階の一角に、ずらりと並んだバッグやスカーフ。
ひもを編み上げる「マクラメ」とラタン(籐)のカゴバッグや、アンティーク家具の生地を再利用したバッグ。
7月15日までの限定ストアですが、立ち止まった女性客は「見たことがないような色合いや形で気になりました」と手に取っていました。
手がけたのはインドネシア人デザイナーのニラ・バハルディンさん。もともとはオートクチュールで、著名人やアーティストのドレスを多く手がけてきました。
昨年、銀座で、日本で初めてのポップアップショップを開催。そのときにバッグ類が好評だったため、改めて日本用のコレクションをデザインしました。
イメージしたのは「インドネシアと日本の絆」。「マクラメの糸は、私たちの文化をつなぐ『絆』を、そしてインドネシアのラタンは、両国の関係が持つ『しなやかな強さ』を表しました」
幼い頃から、伝統行事のたびに、家族の服をデザインしていたというニラさん。父が日本人と仕事をしていたことから、1990年代に東京にある服飾専門学校・杉野学園ドレスメーカー学院に留学しました。
週末も休まず課題を仕上げる日々。「でも、先生は遠くからでも見た瞬間に『だめ。直して』って」
その時期に、少しのゆがみも許さない、日本人の「妥協のなさ」が、身についたと言います。
日本人デザイナーのもとで修行を積み、ニューヨークでの勉強を経て、インドネシアに帰国し、自分のブランド「NILA BAHARUDDIN(ニラ・バハルディン)」を立ち上げました。
今はインドネシア人の職人に「ほどいて。やり直し」と指示する立場。「みんな徐々に自信がついて、品質はどんどん上がっていきました」
インドネシアでは、日本で着想を得たものをモチーフにデザインすることもあります。
たとえば〝花火〟や〝池の鯉〟。あるときは台風シーズンで、道端に捨てられていた傘をヒントにしたものも。度重なる震災にも負けず、復興していく力強さを表したデザインもありました。
反対に日本では、故郷インドネシアの伝統をモチーフに作品を展開します。
「私の夢は、インドネシアの職人たちの手仕事が、世界の舞台で認められて、称えられる未来をつくること。いつか、日本の生地をインドネシアの作品に取り入れることも楽しみにしています。国を越えて、人と人をつなぐ物語を、これからも紡いでいきたい」
「東京はとても変わりましたね」
毎年のように日本に来るニラさんですが、90年代に住んでいた当時と比べて、変わりゆく町の様子に驚かされています。東京でも、当時は外国人と出会うのは、学校で留学生に会う程度だったという記憶ですが、「今はどこにでもいます」。
当時は町歩きも「漢字が分からないとお手上げ」で、駅の数や建物の形を覚えて、表参道や渋谷に通っていたそうです。
日本の景色は国際化していく一方で、ニラさんは「インドネシアではだんだんと日本の名前を聞かなくなっているんです」と話します。
ファッションも家電製品も、アジアのほかの国々の技術が高まる中、相対的に「日本」の存在感は小さくなっていると言い、「それが悲しいの、私は」と悔しそうに言います。
「今だって、日本人からたくさんのことを習っている」というニラさんは、いつもワクワクさせてくれる日本に、期待をします。
「どうか自分のコンフォートゾーンにとどまらないでほしい。日本人にもどんどん世界に出て行ってほしいです」
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