MENU CLOSE

連載

#1 わたしの中の #健康警察

なぜ手袋やアクリル板が流行? 生きづらい世界を作る #健康警察

あちこちで見かける仕切り板※画像はイメージです。
あちこちで見かける仕切り板※画像はイメージです。

目次

新型コロナ禍のいま、「他人の健康行動」について、ついつい気になっちゃう人、増えているみたいです。「感染症をうつされないよう、身を守るのは当たり前だろ」という声も聞こえてきそうですが、実際の知り合いならまだしも、テレビやSNSの世界にいる「見ず知らずの他人」の行動にまでひとこと言いたくなってしまうというのは、不思議なことでもあります。

テレビではおなじみのアクリル板や、お寿司屋さんがつけるビニール手袋は、誰を何から守っているのでしょうか? 医療ジャーナリストとして10年以上、取材/発信してきた私の中にもある、「他人の行動にひとこともの申したくなってしまう気持ち」。それを自分の中の #健康警察 と名づけて、考えてみることにしました。(医療ジャーナリスト・市川衛)
【PR】指点字と手話で研究者をサポート 学術通訳の「やりがい」とは?

テレビのロケに手袋、アクリル板は必須?

ちょっと前のものですが、気になった記事があったのでシェアさせてください。

  『火曜サプライズ』終了へ「アクリル板持参、自粛警察」コロナ禍で疲弊するロケ番組(週間女性プライム 2020年12月13日)

 テレビのロケ番組を制作しているディレクター(匿名)の言葉として、次のように書かれています。 
「例えばお寿司。カウンターで目の前で握ってもらいますが、やはり素手ですよね。しっかり手を洗っていても、中には人一倍、感染に“注意されている”出演者もいて。申し訳なく思いながらも、大将にビニール手袋の着用をお願いしたところ嫌な顔をされたことがあります(苦笑)。職人さんの仕事を否定された気持ちでしょう」(前出・ディレクター) 
実は筆者もこの1月まで、テレビ局のディレクターとして働いていました。その経験から見ても、このコメントは匿名のものとはいえ「ああ、こういう状況ってありそうだなあ」とうなずけるものです。

なるほど、出演者さんは感染すると仕事に迷惑がかかるし、ディレクターはそんな出演者さんやスタッフの安全も考えないといけないから大変なのねえ……とも思ってしまいそうですが、ちょっと冷静に考えてみると、これっておかしいですよね。新型コロナの感染を防ぐ意味で、手袋は必須のアイテムではありません。むしろ中途半端な使用は、感染のリスクを高めかねません。

例えば手袋をはめて寿司を握った後、カウンターの上をふきんで拭いたりすれば、その手袋は論理上「汚染された」ものとなり、そのまま別のお客さんのお寿司を握れば感染を拡げるリスクとなります。ですので寿司職人さんは普段から、毎回握る前に手を洗ったり消毒をしたりするなど気をつけているわけです。

ところが手袋をつけたまま手洗いをすると、ビニールを介すので手の感覚が鈍り、どうしても洗い残しが起きやすくなります。「じゃあ、毎回使い捨てれば……!!」と思った方、まあまあお待ちください。ここで大事なのは、そもそも大将に「手袋のお願い」をした結果として、出演者の感染リスクが減るわけではなく、もしかすると高まっているかもしれない、ということです。

その手袋は、誰を何から守っている?

じゃあなんで、ディレクターはわざわざ、ロケ先にイヤな思いをさせながら手袋をお願いしなければいけないんでしょう? この記事では、匿名ディレクターのコメントとして「ちょっとしたことでクレームが入ったり、それこそネット上の炎上案件になる」という理由を挙げています。

ここから考えると、手袋はそもそもの目的である「出演者の健康」を「ウイルスの感染」から守るために使われていたわけでは「なさそう」です。視聴者からのクレーム電話に対応して手間が増えたり、ネットのお叱りで番組の評判が落ちたりするの避けるため。つまり、「番組担当者の生活やこころ」を、私たちの中にある「#健康警察」から守るために使われていたと言ってもいいかもしれません。

ここで私たちの生活に目を向けてみると、周囲にそういう例ってゴロゴロしていませんか?

スーパーマーケットでレジの店員さんがはめているビニール手袋。ファミリーレストランの、広く距離がとられた席と席の間に置かれた、高さ50センチくらいの仕切り板。

例えばこちら、厚生労働大臣の田村憲久さんの去年9月の記者会見の様子です。左右にアクリル板が置かれていますが、肝心の正面に板がありません。(1月以降の記者会見では正面にもアクリル板が設置されるようになりました。)
田村憲久厚生労働相=2020年9月18日、東京・霞が関の厚生労働省、田中瞳子撮影
田村憲久厚生労働相=2020年9月18日、東京・霞が関の厚生労働省、田中瞳子撮影
厚労省に確認したところ、正面の記者さんとの距離は約2mとれているので、必ずしもアクリル板がなくても大丈夫だったそうです。それは合理的な考えです。ではなぜ、左右にアクリル板を置いているのでしょうか?

そもそもアクリル板などの仕切りは論理上、発話者やくしゃみをした人の直線上にある人を飛沫から守るためのものです。ですから、会話しない方向に置いても、そこには飛沫が来ないわけですから、あまり意義はありません。そして会見中以外の状況で飛沫を防ぐなら、マスクをしたほうが効果的です。こう考えていくと、このアクリル板は「感染予防」の意味ではあまり効果がなさそうです。

しかしこれは邪推かもしれないと思いつつ、この会見を仕切る担当者さんのお立場になって考えてみます。「会見に来る記者さんの健康」はもちろんですが、「大臣の評判」も守りたい。そうすると、カメラの先の #健康警察 の目線は気になります。私が同じ立場だったら「置いても害はないわけだし、ちょっとでも対策している感じを伝える『お守り』として、横にアクリル板を置いておいたほうが良いんじゃないか?」と考えてしまいそうな気がします。

#健康警察 が「生きづらい世界」を作り出す?

でもどうなんでしょう。こうやって「誰かの目線を気にして、評判を守るために過剰な対策をとる」考えが進む先にあるのは、アクリル板とビニール手袋に囲まれた生活です。

外出するたびに携帯型アクリル板を持つのがオトナの嗜みとなり、どれだけ距離が離れていようと「人と同席するときは間にアクリル板を置くのがマナー」なんて教えられるようになった世界を想像すると、ちょっと生きづらいなと感じてしまいます。

いや、もちろんこれだけ新型コロナが感染を拡げる中で、十分な感染対策を心がけるのは大事です。でもこんな、みんながピリピリしている時期だからこそ個人的に大事にしなきゃなと思っているのは、生活の中で何か対策を考えるときに、それは「誰を何から守っているのか?」そしてそれは「本当に役立つのか?」と問いかけること。

とはいえ、それは勇気がいることです。私自身、屋外で近接した場所に誰もいない状況でマスクをつけても意義は少ないと知っていますが、他人からの目線が気になってつけた経験も少なくありません。「つけても害はないし、それで評判が悪くなったら怖いよね?」という気持ちって誰にでもあるものだと思うんです。

だからこそ、まずは筆者自身、次のことに気をつけようと思います(宣言)。

他人の行動を見かけて、何かしらモヤモヤを感じた時。SNSに書き込んだりする前に、「私の中の #健康警察 は、実はあまり合理的でないことを要求し、誰かの生活を息苦しくさせることにつながっていないか?」と振り返るクセをつける。小さな目標ですが、まずはできることから。

とかいって明日、SNSに「けしからん!」って書き込んでいる私を見つけたら、それこそ「けしからん」とお叱りください。だんだんと精進していきます。

連載 わたしの中の #健康警察

その他の連載コンテンツ その他の連載コンテンツ

全連載一覧から探す。 全連載一覧から探す。

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます