コラム
「息子とデート」子育ての〝ささやかな楽しみ〟と〝毒親〟の境界線
所有欲に踏み込む母親の「キュン」
「ママと息子の初めてのお泊まりデート」をうたったホテルの宿泊プランがSNSで批判を浴びた後、中止になりました。でもこのプランに限らず、CMやSNSでも「息子とデート」はいたるところでポジティブに発信されています。一体、何が問題だったのか考えるため、親子関係にモヤモヤを抱えた記者仲間と、6本の記事を配信したところ、何千件ものコメントがつくなど、反響を呼びました。実は、筆者も息子に「キュン」して、「息子とデート」をしていた派です。子育ての〝ささやかな楽しみ〟なのか、〝毒親〟への第一歩なのか。記事の反響とともに振り返ります。
当初、SNSで「息子とデート」をうたった宿泊プランが、「キモい」「毒親」などと「批判」されているのを見て、筆者はひやひやしていました。
2歳半の息子がいて、2人でたまに「デート」していたからです。
デートと言っても、息子と手をつないで歩いて、河川敷で並んで座ってジュースを飲む。「はんぶんこ」とお菓子を分け合って食べる。
ただの「散歩」なのですが、「デート」だと思うと、少し、わくわくしました。
連載には、コメントやメールなどでたくさんの感想をいただきました。その中に、「デート」したかった筆者の気持ちに重なるものがありました。
同様の意見をくださったのは、ワンオペで育児をしたり、ひとり親で子どもを育てたり、毎日必死に子どもと向き合っている方々でした。
そんな声も届きました。筆者の頭にも、子どもが生まれる前から、「息子は恋人」という言葉がありました。
それは、胎児が「男」だと分かった時から、周りの先輩ママや近所の年配者から言われてきたからかもしれません。
「男の子は大変だけど、かわいいよ」
「娘はライバル、息子はいつまでも恋人って感じだよ」
今思うと、大変な子育てを乗り越えるための「先人の知恵」のようなものだったのかもしれませんが、それを子育てあるあるなんだと思い、息子が「ママ、大好き」と言ってくれることに「キュン」として、「デート」や「恋人」という言葉にも、特に違和感を抱くことはありませんでした。
実際、「キュン」も、「デート」も、使う人によって、意味もニュアンスも違うのだろうと思います。
インスタグラムでは「#息子とデート」で検索すると、11万件の投稿がありました。
「#娘とデート」で検索したら、14万件ヒットしました。父と娘のツーショットより、母と娘のツーショットが多いように見えました。
知人には「デートなんて、女同士でも使いますよ」「言葉に過剰に反応しすぎなんじゃないですか」と笑われました。
でも筆者は、依然モヤモヤしていました。”炎上”した宿泊プランと、自分がしていたことは何が違うのか。どこに「線」が引かれるのか、知りたくなりました。
取材中、「母・息子関係のダークサイドと言えば、見ると良いかもよ」と勧められて、映画「MOTHER マザー」を見ました。長澤まさみさん演じる母が息子に抱く執着心、そして母の要望に答えようとする息子。
「怖い。さすがに私はこんなことしない」と、笑い飛ばしたくなりましたが、長澤さん扮する「母」が劇中でつぶやいた言葉が、胸に刺さりました。
「あれはあたしが産んだ子なの。あたしの分身。舐めるようにしてずっと育ててきたの」
インタビューした弁護士の太田啓子さんは、「極端な例」だと前置きした上、30~40代になった「子ども」の離婚裁判などで見てきた母の例を上げました。
「息子が成人になっても、母が絶大な支配を及ぼしているパターンはそんなに珍しくない。『ママの言う通りにすればいいのよ』とか、逆に『ほら、ママの言う通りにしなかったでしょ』とか、刷り込まれすぎていると、その支配を脱却するのに人生のかなりの時間を費やしてしまう」
「MOTHER マザー」も、この離婚裁判も、子どもを「所有」し、虐待する親の極端な例ですが、だれも自分を「毒親」だとは思っていなくて、最初は「愛情」や「しつけ」や「子どものため」だと思っているんじゃないだろうか……。
母・息子だけではなく、誰にとっても、子どもをケアすることと「所有欲」は隣り合わせで、その境界線はとてもあいまいに見えてしまいます。
「デート」や「キュン」の言葉を使った時の自分を振り返りました。
日常の中で「特別感」を出すため、軽い気持ちで使っていたーー。でも、「デート」だと思うことで、見落としていたことがあるかもしれません。
太田さんは、デートという言葉を子どもに対して使ったときににじむ「絶対的な所有感」を危惧しました。そして「深く考えず、言い習わしてきた言葉を折々に見直す必要があるんじゃないでしょうか」と指摘しました。
社会学者・品田知美さんは「言葉の使い方って大事」と指摘しました。「デート」という言葉は、母からすれば「フラット」かもしれませんが、「息子は断れないあるいは、忖度(そんたく)せざるをえない状況ならば、その時点でフラットじゃありません」。
言葉は使う当人が意図していなくても、古くからのストーリーを、無意識に価値観に植え付けていくと言います。
品田さんの言葉で印象的だったのは、「(子どもを)自分の付属物、アクセサリーにしない、自分の楽しみのために使ってはいけない、ということでしょうか」「『デート』や『しつけ』といった性愛やペットに対してなど別の文脈で使う言葉を、子どもに対して使わないようにしています」という、「境界線」を踏み越えないための意識の持ち方でした。
ジャーナリストの中野円佳さんが今回のプランを受けて、危機感を持ったのは、親の意識だけではなく、マーケティング側が「親を感動させるために、子どもを使う」演出を打ち出し、「後押し」してしまうことでした。
「親を感動させるために子どもを”使う”」ことに通じる演出は、このホテルのプランだけではなく、例えば教育現場などで行われる「二分の一成人式」で親への感謝の気持ちを子どもに伝えさせるところがあるなど、様々な親子を取り巻く環境に見られると言います。
子どもをめぐるビジネスでは、親が喜んでお金を払うために、親にとっていかにうれしく、便利かというメッセージが、一見ほほえましく見えるように盛り込まれているのかもしれません。
そうしたなかでは、「必然的に、子どもの視点を見落としやすくなります」と中野さんは言いました。
子育ては大変で、小さな楽しみ、小さなご褒美で、何とか乗り切る時があります。子どもの振る舞いに「感動」したり「キュン」したりすることが、あとちょっと頑張る「糧」にもなります。
でも、それに依存して、無意識にエスカレートをしていった先に、子どもを「所有」したり「支配」したりする行為が地続きであることを忘れてはいけないと思いました。
世の中には、何気なく目にした商品や、悪意のない周囲の人たちからも、「ほほえましい」表現で、「子どもを自分のために使っても良い」と勘違いしそうになるメッセージが発せられている。だからこそ、踏みとどまるべき境界を意識しないと、私はけっこう簡単に、愛情の「キュン」から、所有欲にじむ「キュン」に足を踏み入れてしまうかもしれない、そして誰かに誤った発信をしてしまっていたかもしれないと、危機感を持ちました。
連載の反響の中には「これ以上、親を追い詰めないでほしい」という叫びもありました。
「平日も土日も一人で子育てしているところに、こんなサポートをしてくれるリゾートがあったら、行きたい」。ホテルのプランを知った、男女3人を育てる知人は話しました。
孤独と、周囲からのプレッシャーの中、一人では乗り切れない子育て中の親に対して、社会が与えている影響はとても大きいです。
いずれ、巣立って行く子どもたちが、どんなメッセージを受け取って、どんな大人になるのかーー。
子育て中の親だけでなく、「元子ども」であるすべての人にも考えてもらいたいと、連載を続けてきました。筆者自身も考え続けていきたいと思っています。
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