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コラム

仏教は何してくれる?SNS発信する僧侶の本心「た、たのしいこと」

鋭い質問に飛び出た真剣な気持ち

ジャーナリストの田原総一朗さん(左)との対談に臨んだ、僧侶の松崎智海さん。「仏教は生きている人に何をしてくれるのか」という、鋭い質問に出した答えとは……
ジャーナリストの田原総一朗さん(左)との対談に臨んだ、僧侶の松崎智海さん。「仏教は生きている人に何をしてくれるのか」という、鋭い質問に出した答えとは…… 出典: 松崎智海さん提供

目次

ツイッター上で仏教の魅力を発信し、3万人近いフォロワーを抱える僧侶・松崎智海さん(45)。浄土真宗本願寺派・永明寺(北九州市)の「バズ住職」として、過去に何度もメディアに取り上げられてきました。ところが昨年11月、ジャーナリスト・田原総一朗さんとの対談企画「相席なま田原」に臨んだ際、大きな壁にぶち当たります。「僧侶として、不甲斐(ふがい)なし」。深い後悔の理由とは? 「仏教は、今を生きる人たちに何をしてくれるのか」について、松崎さんにつづってもらいました。

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「生きている私たちには何の役にも立たない」

私は対談中、田原さんから、こんな質問を投げかけられた。

「浄土真宗は、多くの人々が不安を感じる世の中に対して、何をしてくれるのか?」

これには困った。答えるには、相手の宗教的立場を考えなければならないからである。

田原さんは当然、「浄土真宗ではコレコレの、こういう問題についてどのように考え、どう答えるか、こんな感じで教えてください」と親切に寄り添ってはくれない。むしろ、こう語ったのだ。

「浄土真宗は『死んだら浄土に往(い)ける』と、死んだ後のことばかり言うじゃないか。生きている私たちには何の役にも立たない」

浄土真宗の教義には「現生十益(げんしょうじゅうやく)」という、「現世で得ることのできる十種の利益」という教義がある。だが、そんなことは聞いていないだろう。田原さんに「難しくてわからない」と切って捨てられるのも、目に見えている。

だからと言って、「心が安らぎます」なんて、耳障りがいいだけの言葉を言うのは絶対に嫌だ。そんなことをグルグル考えているうちに、田原さんが「だから浄土真宗はインチキだ!」と言い放った。

これには、さすがにカチンときた。宗教者を対談に呼んでおいて、インチキ呼ばわりするとは何事だ! ……と、普通は怒るところだが、そうはならなかったのは田原さんの一言ゆえ。「自分の家も浄土真宗だけれども」と付け加えたのである。

つまり田原さんは、こちら側と同じ立場にあるということだ。これが他派の方や、宗教なんて信じない方であれば、批判される筋合いはない。しかし、ご自身も浄土真宗に関わる立場からの発言であれば、話は別だ。

恐らく、今まで浄土真宗の教えに触れ、期待をしてきたのに、結局求める答えに出会えなかったということだろう。

あえてインチキと言ってみせたのは、浄土真宗がウソをついているという意味ではなく、「正々堂々とごまかさずに答えよ」という、田原さんなりのエールだったのだと思う。

「楽しい」ってことを伝えたい

しかし申し訳ないことに、私の口は、パクパクと的を射ない言葉を繰り返すだけだった。そうこうしているうちに、田原さんが助け船を出してくれた。

「じゃあ、あなたは何を伝えたいの」。「た、たのしいってことです……」。私は、そう答えた。なんとも気の利かない返答ではあったが、これは本心からの言葉だった。

「楽しい」ってことを伝えたい。私がいつも注意しているのは、これだ。だから法話でも、ツイッター上でも、なるべくネガティブな発言はせず、堅苦しくない雰囲気をつくっているつもりだ。仏教は楽しい、お寺は楽しい、ひいては「人生は楽しい」と感じてもらえたら、自分のやってきたことの意義はあったと思う。

では、「楽しい」とはいったい何だろう。

人それぞれの楽しみがあるのは当然のことで、「これこそが楽しい」と言い切るのは難しい。しかし、そこを問うのが仏教だ。

世の中には楽しいことがたくさんある。その中で“本当に楽しい”というのは一体何だろうと考える。そして、今ある楽しみが本当の楽しみであるかを見つめていく。

仏教用語に「火宅(かたく)」という言葉がある。苦しみや煩悩にさいなまれて、安らかな心でいられない私たちの世界を、燃えさかる家にたとえたものだ。私たちは、自分の家に火がついていることにも気づかず、安穏と生活しているというのである。

炎は煩悩(迷いの心)。それがメラメラと燃え盛り、自分の人生である家を焼いている。そして家は、いずれ火が回って崩れ落ちるのである。にもかかわらず、何も行動することなく目の前の楽しみに心を奪われている。それが私たちの実相だというのである。

だとすれば、私たちが追い求めている目の前の楽しみとは、本当の楽しみではないということになる。まずすべきは、火がついていると気づき、消すことだ。

阿弥陀如来は「凄腕の消防士」

仏教の目的は、煩悩の炎を滅した存在、すなわち「仏」になることである。仏教の宗派の違いとは、その仏に成る方法の違いでもある。

私が信仰する浄土真宗は、阿弥陀(あみだ)如来という仏の力によって、仏に成らせて頂く教えだ。この命が尽きたとき、必ず阿弥陀様が浄土に迎え入れてくれ、その浄土で仏と成る。それを信じるのが浄土真宗だ。

田原さんの「浄土真宗は死んだ後のことばかり考えている」という批判は、この点に向けられていた。ちゃんと浄土真宗の教えを知った上で言われている。

しかし、この人生が火宅なのであれば、最終的に火が消されなければ、どんな楽しみも本当の楽しみにはならない。私たちにとって、最後は必ず阿弥陀様がこの火を消して下さるから、火のついた家でも生きていけるのである。

いうなれば阿弥陀如来という仏は、あらゆる炎を消すことのできる「凄腕の消防士」だ。私を見つけて駆けつけ、消防車のサイレンの音で、私は自分の家が燃えていることに気づけた。その安心感の中でこそ、初めて人生をしっかりと味わえるのだと思う。

田原さんの主張は、決して間違っていない。しかし、私たちの人生の終着点に、揺るぎない安心があればこそ、今の人生が輝くのである。

浄土真宗は私たちに何をしてくれるのか? それは、きちんと人生を楽しむための安心を与えることである。

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松崎智海(まつざき・ちかい)
1975年、北九州市生まれ。私立高校教諭を経て、浄土真宗本願寺派・永明寺(えいみょうじ)住職。「お寺を普段使いしてほしい」との思いから、2016年にツイッター上で情報発信を開始。時事的な話題を織り交ぜつつ、仏教の魅力を伝える軽妙なつぶやきが人気を呼ぶ。アカウント(@matsuzakichikai)のフォロワー数は2万5千人超。寺の公式YouTubeチャンネルも運用中。
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