連載
#6 相席なま田原
仏教は何してくれる?SNS発信する僧侶の本心「た、たのしいこと」
鋭い質問に飛び出た真剣な気持ち
ツイッター上で仏教の魅力を発信し、3万人近いフォロワーを抱える僧侶・松崎智海さん(45)。浄土真宗本願寺派・永明寺(北九州市)の「バズ住職」として、過去に何度もメディアに取り上げられてきました。ところが昨年11月、ジャーナリスト・田原総一朗さんとの対談企画「相席なま田原」に臨んだ際、大きな壁にぶち当たります。「僧侶として、不甲斐(ふがい)なし」。深い後悔の理由とは? 「仏教は、今を生きる人たちに何をしてくれるのか」について、松崎さんにつづってもらいました。
#相席なま田原、浄土真宗本願寺派僧侶・松崎智海さんとの対談盛り上がっています!仏教の意味、伝え方など、熱いトークが繰り広げられています…!https://t.co/v7ToOwwXT4
— withnews (@withnewsjp) November 30, 2020
私は対談中、田原さんから、こんな質問を投げかけられた。
「浄土真宗は、多くの人々が不安を感じる世の中に対して、何をしてくれるのか?」
これには困った。答えるには、相手の宗教的立場を考えなければならないからである。
田原さんは当然、「浄土真宗ではコレコレの、こういう問題についてどのように考え、どう答えるか、こんな感じで教えてください」と親切に寄り添ってはくれない。むしろ、こう語ったのだ。
「浄土真宗は『死んだら浄土に往(い)ける』と、死んだ後のことばかり言うじゃないか。生きている私たちには何の役にも立たない」
浄土真宗の教義には「現生十益(げんしょうじゅうやく)」という、「現世で得ることのできる十種の利益」という教義がある。だが、そんなことは聞いていないだろう。田原さんに「難しくてわからない」と切って捨てられるのも、目に見えている。
だからと言って、「心が安らぎます」なんて、耳障りがいいだけの言葉を言うのは絶対に嫌だ。そんなことをグルグル考えているうちに、田原さんが「だから浄土真宗はインチキだ!」と言い放った。
これには、さすがにカチンときた。宗教者を対談に呼んでおいて、インチキ呼ばわりするとは何事だ! ……と、普通は怒るところだが、そうはならなかったのは田原さんの一言ゆえ。「自分の家も浄土真宗だけれども」と付け加えたのである。
つまり田原さんは、こちら側と同じ立場にあるということだ。これが他派の方や、宗教なんて信じない方であれば、批判される筋合いはない。しかし、ご自身も浄土真宗に関わる立場からの発言であれば、話は別だ。
恐らく、今まで浄土真宗の教えに触れ、期待をしてきたのに、結局求める答えに出会えなかったということだろう。
あえてインチキと言ってみせたのは、浄土真宗がウソをついているという意味ではなく、「正々堂々とごまかさずに答えよ」という、田原さんなりのエールだったのだと思う。
しかし申し訳ないことに、私の口は、パクパクと的を射ない言葉を繰り返すだけだった。そうこうしているうちに、田原さんが助け船を出してくれた。
「じゃあ、あなたは何を伝えたいの」。「た、たのしいってことです……」。私は、そう答えた。なんとも気の利かない返答ではあったが、これは本心からの言葉だった。
「楽しい」ってことを伝えたい。私がいつも注意しているのは、これだ。だから法話でも、ツイッター上でも、なるべくネガティブな発言はせず、堅苦しくない雰囲気をつくっているつもりだ。仏教は楽しい、お寺は楽しい、ひいては「人生は楽しい」と感じてもらえたら、自分のやってきたことの意義はあったと思う。
では、「楽しい」とはいったい何だろう。
人それぞれの楽しみがあるのは当然のことで、「これこそが楽しい」と言い切るのは難しい。しかし、そこを問うのが仏教だ。
世の中には楽しいことがたくさんある。その中で“本当に楽しい”というのは一体何だろうと考える。そして、今ある楽しみが本当の楽しみであるかを見つめていく。
仏教用語に「火宅(かたく)」という言葉がある。苦しみや煩悩にさいなまれて、安らかな心でいられない私たちの世界を、燃えさかる家にたとえたものだ。私たちは、自分の家に火がついていることにも気づかず、安穏と生活しているというのである。
炎は煩悩(迷いの心)。それがメラメラと燃え盛り、自分の人生である家を焼いている。そして家は、いずれ火が回って崩れ落ちるのである。にもかかわらず、何も行動することなく目の前の楽しみに心を奪われている。それが私たちの実相だというのである。
だとすれば、私たちが追い求めている目の前の楽しみとは、本当の楽しみではないということになる。まずすべきは、火がついていると気づき、消すことだ。
仏教の目的は、煩悩の炎を滅した存在、すなわち「仏」になることである。仏教の宗派の違いとは、その仏に成る方法の違いでもある。
私が信仰する浄土真宗は、阿弥陀(あみだ)如来という仏の力によって、仏に成らせて頂く教えだ。この命が尽きたとき、必ず阿弥陀様が浄土に迎え入れてくれ、その浄土で仏と成る。それを信じるのが浄土真宗だ。
田原さんの「浄土真宗は死んだ後のことばかり考えている」という批判は、この点に向けられていた。ちゃんと浄土真宗の教えを知った上で言われている。
しかし、この人生が火宅なのであれば、最終的に火が消されなければ、どんな楽しみも本当の楽しみにはならない。私たちにとって、最後は必ず阿弥陀様がこの火を消して下さるから、火のついた家でも生きていけるのである。
いうなれば阿弥陀如来という仏は、あらゆる炎を消すことのできる「凄腕の消防士」だ。私を見つけて駆けつけ、消防車のサイレンの音で、私は自分の家が燃えていることに気づけた。その安心感の中でこそ、初めて人生をしっかりと味わえるのだと思う。
田原さんの主張は、決して間違っていない。しかし、私たちの人生の終着点に、揺るぎない安心があればこそ、今の人生が輝くのである。
浄土真宗は私たちに何をしてくれるのか? それは、きちんと人生を楽しむための安心を与えることである。
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