連載
#10 相席なま田原
「ものすごい力」田原総一朗が激賞、劣等感と向き合うアルビノ当事者
コンプレックスは、パワーにもなる

多くの政治家たちに切り込んできたジャーナリストの田原総一朗さん(86)。withnewsでは月に1回、田原さんもこれまであまり接点がないような「次世代を担う人材」と対談する企画「相席なま田原」を配信しています。今回は肌や髪の色が薄く生まれる遺伝子疾患・アルビノ当事者の神原由佳さん(27)と、見た目にまつわるコンプレックスとの向き合い方について語り合いました。対談の一部をご紹介します。
ジャーナリスト。1934年滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経てフリー。「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)の司会を務める。86歳。
ソーシャルワーカー。1993年生まれ。アルビノ(眼皮膚白皮症)当事者。「ふつう」とは異なる見た目の人々が、就職や結婚など人生の節目で困難を強いられる「見た目問題」やアルビノについて、執筆やテレビ出演、ヒューマンライブラリーなどを通して、発信を続けている。大学院では「見た目問題」当事者の保護者について研究した。withnewsでエッセー企画「アルビノ女子日記」を連載中。日本アルビニズムネットワーク(JAN)スタッフ。
肌や髪の色が薄く生まれる遺伝子疾患。約2万人に一人の割合で生まれる。視覚障害を伴う人もいる。また、日焼けに弱い。
自分の髪と肌を表すクレヨンがなかった
神原さん:人と違うことで「生きづらいな」と、はっきり感じたのは小学生のときですね。学校でいじめられることもなく、友達にも恵まれて、先生も理解があって。人間関係で不満を抱いたり不安になったりすることはなかったんです。
ただ似顔絵の授業は違いました。周りの子達が髪を黒で塗っていくなかで、私だけは黒じゃない。自分の髪の色に近づけようと思って、クレヨンを探すと、白でも黄色でもないんですよね。それと、今は名前が変わってますけど、「肌色」が私の肌の色を表現するには濃いな、なんか違うな、とも感じました。
似顔絵を描くにあたって、自分の顔を直視して、見た目と向き合うことになりました。授業だから、と何とか完成させたけど、それが黒板の上に貼られると、やっぱり自分だけぽつんと浮いているんですよね。
田原さん:それを見て、どんな気持ちになるんですか?
神原さん:浮きたくない、皆と一緒がいい、とかですね。一人ぼっちだなという気持ちもありました。
田原さん:でも友達がいて、いじめに遭わなかったら、悩まなくてもいいじゃないですか。
神原さん:そうなんですよね。でも、クラスにいじめがなかったわけではないので、自分もいじめられる側になってしまうんじゃないかって不安もありました。
田原さん:神原さんは、その悩みをお父さんやお母さんに訴えたことはあるんですか。
神原さん:ないですね。家の中で、ネガティブな話である病気の話をするのはタブーという雰囲気がありました。その話をしなくても家族は成り立っている、と思ったり。
先日、母と昔のことを話す機会があったんですけど、当時は私のことを強い子だと思っていたみたいです。
田原さん:「ふつうの子になりたい」というコンプレックスがなくなった、克服されたのは、何かきっかけがあったんですか?
神原さん:大きなきっかけというのはないんです。大人になって、自分が悩んでいる話をしても、なくならない人間関係ができたことですかね。それで離れていかない人って、私の外見じゃなくて、私のキャラクターとかをすごく大事にしてくれる人たちだと思うんですよね。
田原さん:大事にしてくれる人たちが大学生くらいからできたんですか?
神原さん:その頃から徐々に、ですね。

実習先で知った、色々な生きづらさ
神原さん:学部時代も「見た目問題」のことを卒業論文で調べたんですけど、当事者のことを調べていくと、結構親御さんの関わり方が大きいなと感じたんですね。お子さんの見た目の症状を隠したいという親御さんがいる。一方で、うちみたいに、「生まれてきた姿を隠す必要はない」と思う親御さんもいる。考え方が大きく分かれている気がしました。
ソーシャルワーカーとして働いていくなかで、その背景も理解したいと思い、進学しました。
田原さん:なんでソーシャルワーカーになろうと思ったんですか?
神原さん:高校生の頃から、電車でリクルートスーツに黒髪の就活生とすれ違ったり、大学生の頃に髪の色を理由にアルバイトを不採用にされたりする中で、一般企業での就職は難しいかなと考えるようになりました。
大学3年生から実習に出るんですよ。私は総合病院で実習をしました。そこにいる患者さんと関わっていく中で、コンプレックスとか生きづらさとかは、誰もが持っていると知りました。そして、生きづらさがある自分にも、できることがあるんじゃないかなと感じました。
田原さん:神原さんが今働いている福祉施設は、どうやって見つけたんですか?
神原さん:そこも実習先の一つだったんです。その後に「グループホームのアルバイトを探しているからやってみないか」と大学の先生に言われて。面白そうだなと思って、大学院生のときにアルバイトしました。
数人の利用者の方の生活を支えていく中で、密に関わるのは面白かったです。精神障害のある方のソーシャルワークをするのもいいなと思いました。
田原さん:そこのソーシャルワーカーっていうのは、主にどういう人を診ているんですか?
神原さん:主には(妄想や幻覚を伴う)統合失調症の方が多いですね。作業所や障害者枠で働いている方もいて、日常生活を送れる方たちです。
田原さん:どうすると、その人たちとコミュニケーションが取れるんですか?
神原さん:障害がある利用者とソーシャルワーカーっていう線引きを、強く意識しないことですね。対等でありたいと思っています。「あれで正しかったかな」「あの対応でよかったのかな」みたいなのは、よく思うし、意識して思うようにしています。
田原さん:神原さんはそういう人たちとのコミュニケーションが上手っていうか、本気になってやってらっしゃるんだよね。きっと。

「コンプレックスがあって良かった」
田原さん:僕はコンプレックスの塊みたいな人間なんですよ。大学を卒業したら、ジャーナリストになりたかった。朝日新聞など、報道機関の面接を次から次へと受けましたが、全部落ちました。
そして小さな映画会社に入って、その後、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に入りました。今では立派な、面白い番組をつくるテレビ局ですが、当時は三流テレビと言われていたところです。面接に全部落ち、三流テレビに入った。だからコンプレックスの塊でした。
神原さん:田原さん、今はコンプレックスっておありですか?
田原さん:今でもあります。負け惜しみもあるんですが、東京12チャンネルに入ったこと、42歳でクビになったこと、それらは今から思えばよかったと思っています。だからこそ、86歳の今、現役でやっていられていますし。
今から思うとコンプレックスは悪くないし、むしろ僕のエネルギーになっているという気がします。
神原さん:ありがとうございます。
見た目に悩む次世代を生きやすくしたい
神原さん:私自身、見た目についてのコンプレックスっていうのは、段々と薄れてきてはいるんです。でも「自分がコンプレックスじゃないからもういいや」とは考えていません。
アルビノもそうですけど、これからも見た目に症状のある子は生まれてくるし、そのことで悩む、もっと若い子たちもいると思います。次の世代の人たちが生きやすい文化や社会をつくっていくのが、今の私の役目なのかなと思っています。
田原さん:そういう悩みを持った人たちが、生きやすい社会になるにはどうしたらいいんだろう。今の日本社会を見ていると、今の日本人は自信を失っているんだと思うんですね。
その中で、神原さんみたいに、「ふつうになりたい」というコンプレックスを持って、そこから立ち直ったことはすごい大きいですよ。こういう人がいるってことは、本当に多くの人にとってすごい力になるし、影響力があると、僕はみています。
【#相席なま田原】
— withnews (@withnewsjp) February 22, 2021
本日19時から放送します!
今回のゲストは、遺伝子疾患「アルビノ」当事者の神原由佳さん @y_kambara 。
「ふつう」と異なる見た目により感じてきたという、生きづらさの根っこに、ジャーナリスト・田原総一朗さん @namatahara が切り込みます。 https://t.co/FidIqzob4e