連載
#8 凸凹夫婦のハッタツ日記
妻は倒れた…ADHD夫の“世話”離れて暮らして見つけた「最優先事項」
何を考えているか、どんな状況かお互いにわかるので、寂しい気持ちはない。
こだわりが強いASD(自閉スペクトラム症)の妻。抜けもれが激しいADHD(注意欠如・多動症)の夫。西出弥加(さやか)さん(31)・光(ひかる)さん(25)夫妻は共に発達障害です。まるで「妻が先生、夫が生徒」のような関係で、凸凹を補っているという2人。同居していたこともありますが、今は東京と愛知で離れて暮らしています。なぜそんな選択をしたのでしょうか。妻・弥加さんの視点でつづります。
旦那と私は離れた場所に暮らしている。互いに過ごしやすい環境で毎日連絡を取っているし、荷物を送りあったり、文通したり、まるで遠くにいても想いあえる織姫とひこ星のようで、私はとても心地がいい。織姫とひこ星は1年に1度しか会えないけれど、私たちは1ヶ月か2ヶ月に1度、会いたくなったら自由に会う。離れていても何を考えているのか、どんな状況なのかお互いにわかるので、寂しい気持ちもない。
私はルーティンをこなすことが苦手で、朝に起きたり夜に起きたり睡眠時間もバラバラなので、今は自由に暮らしている。旦那へはLINEやメールで連絡しているが、基本的に仮眠をとってはデスクに向かう繰り返しで仕事ばかりの日常だ。毎日自転車で15キロほど走って作業場に移動していて、交通手段も気分で選んでいる。
旦那と一緒に暮らしていたときは、私が生活費を全て出していた。しかし、旦那は怠けていたわけではなく一生懸命働こうとしていた。掃除や洗濯、料理を全て私がしていたが、旦那が押し付けてきたわけではなく、戸惑っているような、できなくなっているような雰囲気だった。
どこまでやれば暮らしていける最低限に到達するのか、本人も分からなかったのかもしれない。
仕事で一気に大金を稼がないといけないとか、家事はホコリ一つ落ちていたらダメだとか、現状から程遠い理想に近づこうとスタートダッシュするが、届かなくて落ち込んで、何もできなくなっているように見えた。
抜けやトラブルがたくさん発生する部屋で、1人で家事と稼ぎを2人分やるのは、2倍ではなく4倍くらいの負荷になる。一応最初はこなせていたが、私のキャパシティを超えてしまい倒れそうになった。しかし旦那は私を困らせようとしているわけではない。私は旦那を大事な子どもだと思い、頑張ろうとした。世の中の奥さんやお母さんたちは皆できている気がするので、心の中で自分を毎日責めた。
旦那は「稼ぐこと」や「家事をする」ことがどういうことなのか分からない。前述したように最低限暮らしていけるような地点までいくのに、どうしたらいいかの「モデル」を知らないようだった。
ここで私は毎日旦那と3時間、話をした。まず「生き方のモデル」を2人で考えた。
毎日お金の計算をし、何時間働けるのか、1ヶ月にどのくらい稼ぐと貯金ができるのか、どんな仕事が合っているのか、会社員がいいのかフリーランスがいいのか、半年以上、毎日同じことを繰り返し話した。
その結果、少しずつ自分に合った方法で働けるようになってきた。毎朝通勤のために電車に乗らず自由な時間でシフトを組めること、毎日同じ人と顔を合わさない仕事がいいこと、など色々とつかめてきた。1回でわからなくてもいい。何度も同じ道を反復し、先に進まず同じ景色を見ていることに焦りを感じるかもしれないが、確実に筋肉はついているものだ。とにかく焦らずに同じ話を何度もした。
「量と質」という言葉があるが、最初から質を高くしようとしても私はうまくいかない。量をこなすうちに、どうやったら質が高くなるかわかってくる。質とは、量を基盤に発生するものだ。量なくして質は高まらない。だから行き詰まったときは質が低くても量をこなすようにしている。
家事については、週に2、3回料理を教えた。実際に切ってもらったり、煮ることだけをしてもらったり、1日に一つずつ教えた。
掃除は、きれいになっている状態をスマホで撮り、これが基準だよと伝えた。基準までいかずとも、自分が過ごしやすい状態まで持っていけるようになってほしい思いが強かった。
旦那は掃除が苦手なのかもしれないが、私は諦めずにメモを部屋中に貼って、どうすれば物が壊れないか、なくならないか、汚れないかを教えた。
できなくてもいいから、一つのモデルを一度教えるつもりで「授業」をし続けた。
ワンルームに1人で暮らす際に最低限必要なことを、だいたい一通り教えたかなと思った頃、私は自分のことをきちんと考えた。ただ、別居するとまでは思っていなかった。
しかし、その日は急にやってきた。家事に加え、旦那の世話と自分の仕事の両立で睡眠時間が全く取れず、ついに私は倒れてしまったのだ。体が動かなくなったことがきっかけで、周囲から半ば強制的に旦那と離された。
しばらく私は知人がいる大阪で暮らし、自分の生活を取り戻していった。旦那は、私の親戚が住む愛知に移った。そこでは私が教えたことを毎日続けていたらしく、急成長して家事ができるようになり、仕事も続いていた。いい部屋が見つかったので私は東京に戻ったが、旦那にはそのまま愛知にいてもらった。旦那の少しずつ積み重ねてきた努力ゆえの安定がなかったら、私は今、1人で暮らしていない。
私たち夫婦は、結婚という契約が最優先事項だった。目に見えて分かる絆が婚姻届であり、同居しているかしていないかはあまり関係なかったので、この選択に至った。
私はもともと、人と暮らすのは得意ではない。それに「好き、嫌い」と「疲れる、疲れない」は別物だった。愛している人と一緒に住むと疲れるので、そこにパワーを使ってしまい仕事をしなくなるし、嫌いな人と住んでいても疲れなかったら仕事はできる。
同居と仕事のバランスを取ることも非常に疲れる。成育歴かASD気質なのか、原因はわからない。でも、「誰でも疲れるよ」のレベルを超えている気がする。20代前半は、半同棲すると動けなくなり30時間ベッドから起き上がれないときもあった。100%調整が取れないというわけではないので、あまり周囲に気づかれていなかったが、内部では葛藤の爆発が起こっていた。
別居生活はもうすぐ1年になる。
周りは「結婚しているのに一緒に住まないのか」と言ってきたが、私たちの最優先事項は「旦那と妻が互いに最大のパフォーマンスを出して穏やかに暮らすこと」。穏やかに暮らせるなら常識はどうでもいい。
別々に暮らしていても、いつもは生徒のような立ち位置でいる旦那に教えてもらうことがたくさんある。私が気づかずに自分に優しくできなかったこと、理由を考えず結果ばかり見てしまっていたこと。自分を省みる機会を旦那はたくさん与えてくれている。
離れていてもいつも私は旦那のことを考えている。何もできない不甲斐ない妻だが、私はもう人と比べないで、自分のできないことはせず、できることは一生懸命取り組み、旦那に色々と贈りたい。
西出弥加(にしで・さやか)
1988年生まれ。「自閉スペクトラム症(ASD)」の当事者。2019年に「注意欠如・多動症(ADHD)」不注意優勢型の光と結婚。会社組織に所属するのは苦手で、フリーランスのグラフィックデザイナー・画家として文具などを作成している。描く絵は動物が多い。寝る時間が定まらないのが悩み。
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