連載
#2 凸凹夫婦のハッタツ日記
「10日で仕事を辞める」夫 「呪い」を解いたASD妻のアドバイス
私たちは、最も楽な「家族のカタチ」を見つける努力をした。
こだわりが強いASD(自閉スペクトラム症)の妻。物忘れが激しいADHD(注意欠如・多動症)の夫。西出弥加(さやか)さん(31)・光(ひかる)さん(25)夫妻は共に発達障害です。弥加さんは、職を転々としてきた光さんの「得意」を見つけ、自然体でいられる仕事につなげました。まるで「妻が先生、夫が生徒」のような関係で、凸凹を補っているという2人。「10日で仕事を辞める夫」について、妻の視点でつづります。
長袖のパーカーでも出そうか悩んでいた秋のはじめ、寒かったので喫茶店に入った。そこでコーヒー片手にTwitterを見ていたら、あまりに病んでいる投稿を見つけたので心配になってリプを飛ばした。
この人と私は後に結婚することになり、現在、私の旦那である。
当時、旦那は新卒でスムーズに大手企業へ入社し、半年が経っていた。しかし、不安障害とうつ病で会社には行けていないらしい。しかも、お酒と薬を大量に飲んでいて、いまにも……という感じだった。
社内で人間関係が悪いのかと聞いたら、理由は特にないと言われた。むしろ周りにも助けられ成績は良く、給料は不満のない額。福利厚生をはじめ環境も充実しているし、部署内での人間関係は良好で、「ちゃん」付けで呼ばれていたらしい。
「いや、恵まれすぎじゃない!?www」と内心思った。
私は、決まった時間に会社へ行くといった、勤務そのものが苦手で会社員になじめなかったので、この話を聞いてうらやましく思った。しかし、ある一言で「家庭環境に何かあるのかな。そして発達障害を疑った方がいい」と感じた。
その一言は、「教育担当が交代した2週間後に休職してしまった」というものだった。あとから聞いたところ、その教育担当の上司が悪いわけではなく、相性が悪かっただけなのだと気づいた。
家庭環境において重圧があった、または発達障害の場合、生きやすい環境が極端に限られることがある。なぜこう思っているかというと、私と私の周りがそう(大勢に統計は取っていない)なのと、読みあさった書籍に書いてあったから。
適合する環境を見つけられたら人の何倍も飛躍し、少し合わないだけで人の何倍もの速度で奈落の底に落ちる。旦那は教育担当が代わるまでは、新卒社員のうち営業成績が1位で表彰されるほどの才能を発揮しているのに、担当が代わってすぐにうつ病で休職。それが極端に感じた。とにかく「中間」がないし、「いったん我慢でもしよう」という「待ちの姿勢」は取らない。
旦那は、後ろ髪を引かれるように、その恵まれた環境の会社を退職したそうだ。
その後転職をし続けたが、どれも10日以内に辞めていた。それでも私と旦那は諦めず、片っ端から面接を受けた。
面接の合間、旦那は家でフリーランスの私の手伝いをしてくれた。でも、メールの誤字脱字が多かったり、送り忘れていたり、逆に負担が増えてしまった。
努力しているのがわかるから、怒ることはできなかった。自分が小さい頃にいつも親から怒鳴られていたトラウマもあった。怒らずとも、たまったストレスを吐き出すように旦那にぐちぐち言っていた。当時はノイローゼになっていたのかもしれない。
そのうちに、旦那は事務作業など物理的なことが極端に苦手だが、人と密に会話することは極端に得意なのだと気づいた。
私は、旦那の発達に何か特性があるかもしれないと思い、発達障害を専門にした医療機関の受診を勧めた。
旦那に障害があると考えたのではなく、単純に旦那の性質を可視化したくて受診してもらった。参考にできそうな数値化されたテストがあれば、どんなものでもよかった。出てきた詳細結果から、できるところを伸ばし苦手な部分を補う方法を模索したかった。
そうまでして一緒にいるのは、旦那が私の全てを受け入れてくれるからだ。何かを強要しないし、理不尽なこともしない。だから私もこの人に精一杯返そうと思った。
診断の結果は、ADHDだった。そして、聴覚優位なことと一般常識問題が得意なことがわかった。一般常識問題が得意というのは「客観視」や「人とのコミュニケーションが安定してできる」一つの要素でもある。
「お客さんとの一対一の状況なら大丈夫だけど、同僚や上司が横にいて3者以上が同じ場にいるととてもつらい」と旦那が言っていた。その言葉をヒントに、私が出した結論は以下だった。
1:一対一で接することができる仕事
2:前提としてお客さんが旦那を好きであること
3:旦那を必要としていること
4:事務作業などではなく会話が中心の仕事
一緒に派遣会社の説明会まで行ったり、会社に勤めても失踪してしまったり、何をしてもダメでどうしたらいいかわからなかったが、旦那の性質がわかったら早い。
1年間の奮闘を経て、私たちは荷物を詰め、暮らしていた東京から飛行機で300キロ以上離れた新天地を目指した。旦那の「10日の呪い」を解くために。
「呪いに勝ちたいなら移動しろ」
これは私のジンクスで、つまり環境を探すということだ。合わない環境に適合しようと必死になり倒れてしまうなら、そのパワーを使って自分に合った環境を探してもいいのではないか。
一対一で向き合えて、会話ができて、今後10年は無くならなそうな仕事を考えたら、心理カウンセラーかホームヘルパーが浮かんだ。カウンセラーは資格を取る過程が長いので、まずは1ヶ月で取れるホームヘルパーを勧めた。高齢者が増えていく日本、今後10年は介護ロボットに委ねることもしなさそうだし、まだ人が必要とされる業界かと思ったから。
旦那の良いところは、会話がうまいこと。そして人を不快にさせないこと。誰にもまねできない会話力を持っている。
介護職なら東京にもあるだろうと思われるかもしれないが、旦那は人に合わせ過ぎて無意識に疲れる節があるので、できるだけ自然体でいられる環境がいいのではと考慮し、私の親戚がいる名古屋へ向かった。親戚といた方が近い距離で遠慮なく発言できるかもしれないと思ったから。
親戚は仕事を何度も辞めてきている、とにかく明るいADHDの伯母さん。誰にでも優しいが、息子と少し仲たがいしていたせいか、年下の男の子に特に情が深い。もうここしかないと思った。
「介護の仕事だけは続いたんやわあ〜!」と自慢げに話すこの人は、自分が苦労してきたからこそ人の苦悩を知っているし、変にこだわりもなく、几帳面ではない。この人を上司にして旦那を部下にした。
ここから旦那の起死回生が始まり、劇的な変化を遂げていった。
私たちは、最も楽な「家族のカタチ」を見つける努力をした。いったんは一緒に暮らしたが、私だけはまた東京に移動した。そして、大半がすぐに思い描けそうな「男女としての夫婦」というより「先生と生徒のような夫婦」を目指すことに決めた。
私は旦那の得意なことを見つけようとした。
旦那は自分の苦手なことを排除していった。
過程や捉え方は人それぞれで良いと思う。この結果、今は仕事が7ヶ月続いている。おそらく今までで最長だ。
呪いはとりあえず解けた。しかし、また何か起こるかもしれない。笑
そのとき、また考えればいい。
西出弥加(にしで・さやか)
1988年生まれ。「自閉スペクトラム症(ASD)」の当事者。2019年に「注意欠如・多動症(ADHD)」不注意優勢型の光と結婚。会社組織に所属するのは苦手で、フリーランスのグラフィックデザイナー・画家として文具などを作成している。描く絵は動物が多い。寝る時間が定まらないのが悩み。
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