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「脱ぐタイミング、女優より難しい」“一発屋”を悩ますコスプレ衣装
“一発屋”芸人の多くが抱える悩みが、自分たちの「変な衣装」。荷物は重くなり、洗いにくいのですぐ臭くなる。スーツで決めた正統派漫才師と見比べ“舐められている?”と疑心暗鬼になることも。「“コスプレ”から解放されるには、別の“一発”を当てるしかない」。“一発屋”髭男爵の山田ルイ53世さんが語る、“コスプレキャラ芸人”の悩みとは?
「人生は、重き荷を背負うて、遠き道を行くが如し…」
徳川家康の言葉である。
この名言を、地で行くのが、我々“一発屋”。
と言っても、人生における宿命や使命…そんな大層な話ではない。
文字通り、“荷物”の話である。
“一発屋”の荷物は大きい。
理由は単純明快。
“一発屋”と呼ばれる芸人の多くが身を包む、“変な格好”…“コスプレ”のせいである。
ギターを弾く侍、悔しがる花魁、数々の小道具で“ワイルド”をアピールする中年男、あるいは、貴族。
“コスプレキャラ芸人”とでも呼ぶのがお似合いの男達。
もはや、「一発屋=コスプレキャラ芸人」と断じても、概ね間違いではない。
一口に荷物と言っても人それぞれ。
登山用の大きなリュックを担ぐものもいれば、“臼”や“杵”が載せられた台車を押し歩く、“やっちまった”二人組もいる。
しかし、大概の“コスプレキャラ芸人”は、僕も含め、キャリーバッグを愛用しているようだ。
「今日、どこ行くの?」
と問われれば、
「成田空港!!」
そう返す他、誰も納得してくれそうにない、大袈裟ないでたち。
荷物の中身は、正統派の芸人には無縁の、奇抜な衣装や小道具で溢れ返っている。
我々であれば、タキシード等の貴族風衣装、皮靴、シルクハット、ワイングラス等々。
“貴族になりたて”の時分は、これに、サーベル、バルコニー、札束が詰まったアタッシュケースが加わり、とてつもないボリュームに。
細心の注意を払わねば、割れたり、潰れたりするものもある。
とにかく、嵩張るのだ。
手ぶらに近い軽装で、颯爽と現場入りする、“普通の”芸人とはあまりにも対照的。
スタイリストと、世間話をしながら、用意されたお洒落な洋服に袖を通す彼らを横目に、自前の“コスプレ”に着替える我々の姿は、“仮装大賞”の一般参加者と大して変わらない。
“コスプレキャラ芸人”の憂鬱は、“荷物の大きさ”だけに止まらない。
「着替えに時間がかかる」
「いつも同じ格好なので、飽きられやすい」
「同じ理由で、季節感がない」
「“コスプレ”のせいで、“某夢の国”でロケが出来ない」
“貴族”由来の弊害も。
「シルクハットのせいで、おでこが一年中かぶれて赤くなっている」
「生放送での漫才披露中、ワイングラスが粉々に割れ、パニックに」
「水物厳禁の精密機械である、クイズ番組の回答席にワイングラスを持ち込み、叱られる」
数えあげれば、キリがない。
“臭い”も問題である。
特に“売れっ子”時の“コスプレキャラ芸人”は臭い。
自前の衣装を連日、しかも、一日に何度も着用する。
到底クリーニングは間に合わず、異臭を放ちはじめ、共演者からクレームが入る。
昨今話題の“スメハラ”、その先駆け。
しかし、この問題は既に解決済み。
理由は、お察し頂きたい。
番組内の役回りによっては、研究員や家来等、“別キャラ”に扮するケースも。
用意された白衣や裃(かみしも)を、ディレクターの指示通りに“羽織る”…“貴族”の上から。
結果、“ご当地キティーちゃん”のような仕上がりとなり、ややこしいことこの上ない。
頭上から、水や粉が落ちてくる“ドッキリ”や“罰ゲーム”の際は、シルクハットが、シャンプーハットとして機能し、顔が全く汚れない。
「うわーーーー!」
綺麗な顔で、リアクションを取った所で、後の祭り。
白々しいし、何より気まずい。
気まずくとも、顔が見えればまだまし。
十メートル近い“高飛び込み”の台から、プールに飛び込む企画。
当然、リアクションの肝は、落下中の恐怖に歪む顔の表情。
しかし、これが、着水の瞬間まで一切カメラに映らない。
胸元にあしらった、豪華な涎かけ、もとい、貴族風ネクタイ。
落下の風圧により、“マリリン・モンロー”のスカート顔負けに捲れ上がったそれが、終始、僕の顔面に張り付いていたためである。
このように、“コスプレ”が引き起こす、数々の憂鬱な事態、弊害は、枚挙に暇がない。
中でも、一番精神的に堪えるのは、“舐められる”ことである。
いささか、不穏な物言いになって申し訳ないが、他に適当な表現が見当たらない。
ス―ツでビシッと決めた、正統派の漫才師は、“笑いの求道者”。
ストイックで格好良いイメージ。
対して、我々は、“笑いの本道”から外れた“異端者”、“落伍者”…つまりは、“落ちこぼれ”。
自然、舐められる。
「“生で見たら”、笑えた!」
「“意外と”、笑えた!」
「“普通に”笑えた!」
地方営業の後、久しぶりに出演した“ネタ番組”のOA後、SNS等で散見される、“小骨”混じりのお褒めの言葉。
一応、評価はして頂いているわけだが、引っ掛かる。
レストランで食事し、シェフを呼びつけ、
「“意外と”食えた!」
そんなこと言わない。
挙句の果てに、“極一部の方々”からは、
「“変な格好”をしたから売れたんだろ?」
…“今世”における僕の唯一の手柄も、もはや、“追い風参考記録”呼ばわり。
そんな甘い世界であれば何の苦労もないのだが。
とにかく、的外れ。
無念である。
しかし、ここは、耳を傾けねばなるまい。
何のメリットもなかろうに、わざわざ時間を割いて、“匿名”での御指摘。
よほどの何かを成し遂げた、一廉の人物に違いない。
名を明かせば、騒ぎになってしまうような…ゆえの“匿名”。
知ったかぶりのおサムいバカとは訳が違う。
有難い。
ここまで書いてくると、
「そんなに言うなら、“コスプレ”やめればいいじゃないか!」
さすがに、お叱りを受けそうだ。
いや、御尤もである。
実際、僕の“レギュラー仕事”は、今現在、ラジオ三本に、書く仕事が幾つか。
“コスプレ”関係ない。
シルクハットと共に歩んだ十年間は、一体何だったのか。
とは言え、我々が“脱ぐ”タイミング、その見定めは、女優のそれより難しいのだ。
夏休み明け、イメチェンを敢行した高校生が、髪を染め、ピアスをして登校するのとは訳が違う。
想像して頂きたい。
ある日、突然、貴族をやめて、スーツ姿で現場入り。
“売れっ子”時であれば、まだいい。
“天狗”の一言で済む。
しかし、今や、“一発屋”。
そもそも、天狗になる動機がない。
動機なき天狗…もう、“おかしくなった”と思われても仕方がない。
結局の所、“コスプレ”から解放されるには、更なる別の“一発”を当てるしかないのである。
精進あるのみ。
頑張ろう。
そんな想いを胸に秘めた、年に一度の“髭男爵”の単独公演。
そこでは、新ネタ作り、スーツ姿で漫才も披露する。
ワイングラスもなしだ。
しかし、何やら、気恥ずかしい。
そわそわと、落ち着かない。
例えるなら、そう…“コスプレ”でもしているような、そんな気分である。
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