エンタメ
サインが嫌い「一発屋」髭男爵 箸袋に書き、捨てられ自分で屑籠に…
“一発屋”髭男爵の山田ルイ53世さんはサインが嫌いです。数万枚のサインを書いた“フィールドワーク”から得られた研究結果とは?
エンタメ
“一発屋”髭男爵の山田ルイ53世さんはサインが嫌いです。数万枚のサインを書いた“フィールドワーク”から得られた研究結果とは?
“一発屋”髭男爵の山田ルイ53世さんはサインが嫌いです。「せっかくだから貰っとく?」“試食のウィンナー”レベルで求められるサイン。イベント終了後、地面に捨てられた自分のサインを、そっと屑籠に入れたことも。数万枚のサインを書いてきた“一発屋”の“フィールドワーク”から得られた研究成果とは?
“サイン”をするのが嫌いである。
出来ることなら書きたくない。
そもそも、面倒くさいし、何より・・・書く“かい”がない。
一度、“地方営業”に訪れると、大体、二十枚から三十枚、多い時には五十枚ほど書く。
サインを書く機会は“営業”だけではないので、年間で、ざっと三千枚から四千枚、これまで書いた総数は、数万枚に上る。
何かを考察するための“フィールドワーク”、そのサンプル数としては十分であろう。
こんな風に書くと、
「お前みたいな、“一発屋”のサインなんか別に欲しくないわ!!」
すぐさま噛み付いてくる“極一部の方々”。
貴重な時間を、わざわざ割いて。
頭が下がる・・・そうでもしなければ、“井戸”の中を覗き込むことは出来ない。
いずれにせよ、「いやいやいや」なのである。
現実には、そういう発言をする人間の方が、いざ、“生”の芸能人を目の前にすると、「サインして下さい!」などと駆け寄って来るものだから始末が悪い。
“有名人”や“芸能人”という存在に対して、「過剰に噛み付き、叩く人間」と、「熱烈に応援する人間」というのは、その熱意、情熱のベクトルが真逆なだけで、要するに、“ミーハー”であることに変わりはない。
本質は同じである。
「サインは大切なファンサービスの一環!それを嫌いだなんて、“プロ意識”に欠ける!」
「だから“一発屋”なのだ!」
そんなお叱りも受けるかもしれない・・・何の“プロ”でもない方々から。
不思議である。
この“プロ意識”という言葉、「何も成し遂げたことが“なさそうな”素人」の口から発せられることの方が、格段に多い。
どちらかと言えば、そういう人間の、「“プロ”ではないという意識」、あるいは、“自覚”、“わきまえ”、その欠如の方が、よほど“害”であり、気色が悪い。
大体、サインを書くことで売れた人間など一人もいない。
“売れた”から、サインを書いているだけである。
とは言え、一つ断わっておきたい。
実際に、サインを求められれば・・・書く。
それも、満面の笑みで。
口角は上がりっぱなし、むしろ僕の方から、
「ご一緒にお写真はいかがですか?握手もお付けいたしますよ!?」
“なんでもござれ”のフルコース。
昨今流行りの、“神対応”である。
こんなに、ペコペコと、腰の低い神もいないだろうが。
「あっ、“カンパーイ”のヤツだ!一緒に写真撮ろうぜ―!!」
中学生くらいの男子の群れ、その一人。
勿論、“タメ口”も不愉快だが、それ以前に、“カンパーイ”などと叫ぶギャグも、僕は持ち合わせていない。
そもそも、友達でもない初対面の人間と、一枚の写真に収まる“理由”や“メリット”が僕の方にはまったくない。
どうしても、“そちらが”写真を撮りたいというのであれば、通常、「お写真いいですか?」と“お願い”するのが当たり前である。
「えーよー!撮ろう撮ろう!イエ―――イ!!」
そんな心中は、おくびにも出さず、
彼らの不愉快な“ノリ”、その周波数に、即座に“チューニング”を合わせ、写真を撮る。
肩を抱き寄せ、親友のように、楽しげに。
“大嫌いな”サインも書く。
数分後、「髭男爵のサイン・・・微妙―wwww」
そんな文言を添えて、SNSにあげられるとしても。
仕事で訪れた、とあるお祭り。
その日のステージは、神社の境内。
我々とお客さんの間には、“賽銭箱”があり、漫才を見ながら、時折、小銭を投げ入れる人もいる。
その小銭に紛れ、“髭男爵”めがけて、執拗に小石を投げつける・・・謎の行為に、執念を燃やす、高校生の一団。
どうやら、我々が手にしている、“ワイングラス”を、何としても割りたかったようだ。
例えば、もし彼らに、“サイン”を求められたとしても・・・書く。
「この街では、我々に無礼を働くことが、古(いにしえ)より定められし、成人の儀式・・・一人前の大人の仲間入りをするための“通過儀礼”なのだ」
そうとでも考えなければ、理解し難い非礼の数々。
そう思って観察してみると、彼らの表情からは、その礼を失した振る舞いとは裏腹に、“邪気”の類は感じ取れない。
マウンドに立つ、高校球児。
勇気を振り絞り、目の前の困難に立ち向かっているような緊張の面持ち。
「勇気を振り絞って、無礼をなす」
一見、矛盾しているが、要は、「そういうお年頃」。
いくらか“知名度”はあり、一応“芸能人”・・・されど“一発屋”。
ちょうどいい難易度の、“肝試し”なのかもしれぬ。
あるいは、ただの馬鹿か。
おそらく、後者だ。
我々が、“地方営業”で遭遇するお客さんは、“売れっ子”が、ロケ先で触れ合う、テレビカメラという“印籠”の前で、少し行儀のよくなった人々ではない。
多くが、無料のイベントであるため、「お金を払ってでも見たい!」という、“有料のフィルター”で、あらかじめ“濾過”されてもいない。
通りすがりの、たまたまそこにいた人達。
勿論、「“髭男爵”に会えるなんてラッキー!!」と、大いに喜んでくれる方々も少なくない。
しかし、それらを平均すれば、
「折角だから・・・」、「とりあえず・・・」といった、はっきりとした像を結ばない、曖昧な感情となる。
“サイン”についてもしかり。
僕のサインを、太陽に向かって、透かし見るように両の手で捧げ持ち、「わーい!」と叫びながら走り去る少年・・・そんな光景を見ることはまずない。
「“折角”そこに来てるから、“とりあえず”貰っとく?」
“試食のウィンナー”、“路上で配っているティッシュ”・・・それらに対するのと、同じくらいのモチベーション。
そのせいだろうか。
“ゴミ”にサインを書くことがある。
「サインして下さい!」
小学生の男の子。高学年か。
差し出したその手には、“ハンバーガーの包み紙”が。
“ゴミ”を受け取り、“サイン”をする・・・もはや、“産廃業者”。
ちなみに、この「ゴミにサイン」、他にも、“スーパーのチラシ”、“レシートの裏”、“ファミレスの紙ナプキン”、“割り箸の袋”・・・バリエーションには事欠かない。
「急なことで、なにも用意出来なかったのだ」
「それほどサインが欲しかったのだ」
頭の中で、自分に言い聞かせる。
声に出せば、“棒読み”だが。
全く、親の顔が見たい・・・その願いはすぐに叶う。
彼の後ろで、ほほ笑んでいるのがそれだ。
息子を注意するでもなく、申し訳なさそうにしているわけでもない。
結果、僕の憤りは、家系図をさらに遡り、
「親の、親の顔が見たいわ!!」
・・・キリがない。
「折角だから」、「とりあえず」・・・これはもう、“人類の根っこ”と言っていい。
その昔、“アダムとイブ”も、「とりあえず」リンゴを食ったに違いない。
リンゴもビールも、そして“一発屋”のサインも、「とりあえず」なのである。
帰り道。
イベント会場に、落ちている、見覚えのある“ゴミ”。
“一発屋”の署名ごときでは、その運命から逃れられなかったのだろう。
拾い上げ、そっと屑籠へと帰してやる・・・自分の“サイン”を。
全ては、金を稼ぎ、「飯を食う」ため。
“夢”や“理想”・・・そんなものはない。
あえて言うなら、「飯を食う」こと、それ自体が、生涯をかけた僕の“夢”であり、それは叶っている。
が、「食い方」を選べるほどの“才能”や“余裕”は、僕にはない。
ただただ、それが残念である。
◇
やまだ・るい53せい 本名・山田順三。兵庫県出身。相方のひぐち君と結成したお笑いコンビ「髭男爵」でブレーク。ワイングラスを掲げ「ルネッサ~ンス!」という持ちギャグで知られる。2015年8月、真の一発屋芸人を決定する「第1回 一発屋オールスターズ選抜総選挙 2015」で最多得票を集め、初代王者に選ばれた。自身の経験をまとめた『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)を出版。ラジオ番組「髭男爵山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」(文化放送)などに出演中。
1/13枚