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連載

#19 #医と生老病死

夫を見送ったグリーフ、ディズニーに通って…回復の仕方は人それぞれ

僧侶・看護師の玉置妙憂さんに聞く

僧侶・看護師を招いて「死」をテーマに語り合いました
僧侶・看護師を招いて「死」をテーマに語り合いました 出典: ※写真はイメージです Getty Images

目次

夫を自宅で看取った経験から出家し、僧侶・看護師として、現在は緩和ケア病棟でスピリチュアルケアを担当している玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さん。夫を見送った後、玉置さんはディズニーランドに通って、ひととき「悲しい現実」を忘れていたといいます。(構成/withnews編集部・水野梓)

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連載 #医と生老病死
SNS医療のカタチTV2024:
2024年8月3,4日、有志の医師たちでつくる「SNS医療のカタチ」が配信したオンライン番組。この記事はそのセッションを記事化した4回目(最終回)です。

「SNS医療のカタチTV2024」のアーカイブ視聴ができます。申し込みはこちら(https://snsiryotv2024archive.peatix.com/)から

現実をぽっと忘れたディズニーランド

水野梓・withnews編集長:玉置さんは、夫さんを見送ったときのつらさとの向き合い方はどうしていたんですか。
玉置妙憂さん(僧侶・看護師):私はね、ほぼ毎日のようにディズニーランドに行ってたんです。

水野:ディズニーランド!

玉置さん:自分の存在そのものを支えるものというのは、人もそうだし、人じゃないものもありえます。

たとえばペットちゃんだったり、モノや音や言葉、宗教もそのひとつで、私たちを支えるよりどころになります。

うちの母なんかからは「もうやめなさい」って言われたんですけど、家にいたら、まだ骨もあるし、お位牌もあるしね。その現実から逃れられないんです。

でも、「夢の国」でミッキーなんか見てると、そのときだけはそれをぽっと忘れる時間ができたんですよ。

 

玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さんのプロフィール:
看護師・僧侶・スピリチュアルケア師。夫を自宅で看取り、その「自然死」があまりに美しかったことから開眼し出家、高野山真言宗僧侶となる。緩和ケア病棟でスピリチュアルケアにあたりながら、一般社団法人「大慈学苑」代表として活動
玉置さん:そして1年経ち2年経っていきますと、自然と足が遠のいて、通常の生活に戻っていくんですね。

自分が誰かを見送ったとき、何が支えになるか分かりません。でも何かしら支えるものがあるはずです。

その時に、まわりは「こんなことしちゃダメだ」とか否定しないでほしいですね。時には甘やかすということも必要かなと思います。
出典: 画像はイメージです Getty Images
作家・浅生鴨さん(MC):私たちが受け入れがたい現実を受け入れるときに、仏教には「四十九日」ってあるじゃないですか。その時間っていうものが僕たちに与えてくれる大きな役割ってあると思いますか。

編集者・たらればさん:母親が10年ぐらい前に亡くなったんですけど、すごくやることがいっぱいあるんですよね。

ひとりで部屋で考えている暇もほとんどなくて、名簿を作ったり次やることを考えたり、ほうっておくと三日ぐらい経つじゃないですか。これはすごくよくて、魂の延命のようだったな、という気がしています。

 

浅生鴨(あそう・かも)さんのプロフィール
作家、広告プランナー。ゲーム、レコード、デザイン、広告、演劇、イベント、放送などさまざまな業界・職種を経た後、現在は執筆活動を中心に、広告やテレビ番組の企画・制作・演出などを手掛ける。
浅生さん:玉置さんも、ディズニーで受け入れがたい現実をある程度、別のことをやることによって時間稼ぎした…ということですよね。

玉置さん:おそらくそうですね。グリーフっていうんですけど、大切な方を亡くした苦しみ、悲しみというのは、2年ぐらいかけて、回復していくよっていわれています。

たらればさん:おぉ、ちょうど三回忌だ…

玉置さん:そうですね、ただこれは一般論であって、みんながみんな2年経ったらっていうわけでないし、しかも2年たってぱっと元気になるんじゃなくて、みなさん薄皮を剥ぐようにね、薄皮を剥ぐように回復していくんですよ。

でもこうやって数字を出すと、「私は3年経っているんですけどまだ悲しい」ってすぐ引っ張られちゃうんだけど。2年の人もいれば、10年の人もいるんです。

その間は自分を甘やかして、とことん悲しみ切るっていうのも大事だと思いますね。

悲しみって落とし穴みたいなもんなんです。ふつうに生活しているつもりなのに、急に思い出してドボンと落ちて、どうしようもなく悲しくなったりするんです。

でもその時に、もう泣いてはダメだともがいてしまうと、底に足がつかないからいつまでも苦しいんですよ。1回きちっと悲しみきって底に沈むと、そしたら足がつくから、底を蹴って上がっておいで、ということです。

解決策が出てしまうと…

浅生さん:SNS医療のカタチでは、患者と医療者とのコミュニケーションエラーをテーマにしてきました。

コミュニケーションには時間がかかるのに、今の医療現場ではなかなか時間が作れない。そこに玉置さんが入っていらっしゃるという感じですよね。

玉置さん:もともとは看護師をやりながらスピリチュアルケアをやろうとしたんです。でも結局、両立はうまくいかなかったんですね。

なぜかというと、まず、私たちは「同じ話を繰り返し聞く」のが得意じゃないんですよ。

皆さんも母親という存在がそうじゃないですか(笑)。割と同じことを繰返し言いますよね。

それを「そうねそうね」と聞けている人は案外少なくて、身内であればあるほど「お母さんその話、3回目!」って言っちゃうわけです。

水野:わぁ……(思い当たることがありすぎる)。
出典: 画像はイメージです Getty Images
玉置さん:相手も大人ですから、そう言われたら、もう話さないんですよ。そうすると、物語が書き換わることはなくなります。

それからもうひとつ、看護師の皆さんもそうなんですけど、仕事として「解決方法」を出したくなるんですよ。

たとえば、身体の筋肉がだんだん使えなくなって、できることが少なくなっていく病気の方がいらして、ある時「眠れない」っておっしゃったんですね。

すると訪問看護師は「それは大変だ」「日中はどう生活していますか」「足は冷たくないですか」「薬は合っていますか」といろいろと考えて、眠れるようになったんです。

でもその方が、後で私に話してくださったのは、「私が眠れないって言ったのは、きょう目を閉じたら、明日このまぶたが自分の力で開くのか、それを考えたら怖くて怖くて、それで眠りたくない、眠れないんです」っていうことだったんです。これが、この方の深い、スピリチュアルペインです。

でも、解決策を出されてしまうと、そのスピリチュアルペインが出てこられなくなってしまうんです。

でも、看護師というのは解決策を出すのが仕事なもんですから、スピリチュアルケアとの両立が難しかったんですよね。

誰かとの会話は「シーソー」

水野:今のお話って、誰かから悩み相談をされたときもやりがちだな、って自分を省みながら思いました。

玉置さん:それは、相手と話をし終わったときに、「どっちが上がっているか」で分かります。

相手に相談された時、アドバイスをしたり方法論を提供したりして、どっちが気持ちよくなっているかというと、「いいことを言った、助けてあげられた、ラクにしてあげられた」って思っている私なんですよ。

でも、会話ってたいてい「シーソー」なので、私が上がったら、相手は下がるんです。

逆に、相談されても何も言えなくて、「うんうん」しか言えなかった、ただ聞いているだけだったな、と自分が落ち込んでいたら。そんな時は、相手は上がっている。「あぁ、ちゃんと聞いてもらえた」って思ってるんですね。
出典: 画像はイメージです Getty Images
浅生さん:最後に、毎年みなさんに聞いている質問をしたいと思います。結局のところ、死ぬってどういうことなんでしょう。

玉置さん:死ぬということはですね……死ぬということですね。

水野:……!?

玉置さん:カルマが全部終わったからとか、この世で役割を終えたからとか、いろいろ言えるんですが、多分違って、たんに死んでしまうんだと思います。

だって皆さんも、おうちにあの有名な虫のGが出てきた時には、スプレーをかけたりパシーンとやったりしてますでしょう。その時に「なぜ死んだんだ」って考えてますか?

浅生さん:もっと生物的なところ、たんに寿命がきたから死ぬってことですかね。

玉置さん:でも私達はなまじ頭があって、ごちゃごちゃ考えたりしゃべったりするもんだから、「何か理由があるはずだ」「何のために生きてて何のために死んでいくんだ」なんて思ってしまう。

本当はどうなんですか、というと、死ぬっていうのは死ぬということで、以上でもなければ、以下でもないと思います。

浅生さん:なるほど。もしかしたら今までの中で僕、一番納得できたかもしれない。そうだよね、生き物なんだから。いずれ生きなくなる。

「その時が来た」っていうだけのこと、「時計が止まった」っていう、なんかちょっと納得できたかもしれないです。
今回は最終回です。連載記事はこちら
【第1回】看護師から僧侶へ「人間っていつか死ぬんです」と言えるようになった
【第2回】孤独死はかわいそう?死に方をジャッジしない 僧侶の伝えたいこと
【第3回】望む看取りができなかった…家族の後悔 「仏はそんなにせこくない」
SNS医療のカタチとは:
「医者の一言に傷ついた」「インターネットをみても何が本当かわからない」など、医療とインターネットの普及で生まれた、知識や心のギャップを解消しようと集まった有志の医師たちによる取り組み。皮膚科医・大塚篤司/小児科医・堀向健太/外科医・山本健人が中心となり、オンラインイベントや、YouTube配信、サイト(https://snsiryou.com/)などで情報を発信し、交流を試みている

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