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連載

#18 #医と生老病死

望む看取りができなかった…家族の後悔 「仏はそんなにせこくない」

僧侶・看護師の玉置妙憂さんに聞く

僧侶・看護師を招いて「死」をテーマに語り合いました
僧侶・看護師を招いて「死」をテーマに語り合いました 出典: ※写真はイメージです Getty Images

目次

夫を自宅で看取った経験から出家し、僧侶・看護師として、現在は緩和ケア病棟でスピリチュアルケアを担当している玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さん。「死」について語り合っていると、自分の「死」よりも、身近な誰かを見送った時の方がつらいのではないか…と話は広がっていきました。(構成/withnews編集部・水野梓)

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自分のためにやっている介護や看取り

水野梓・withnews編集長:両親を見送るとなったときに、満足にしてあげられるんだろうか、望むようにやってあげられるのかとか、「何もしないで」と言われていても救急車を呼んでしまいそうだとか思ってしまいます。
玉置妙憂さん(僧侶・看護師):医療現場で使われているエンディングノートですが、「何もしなくて結構です」と書いている方が結構いらっしゃるんですね。

 

玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さんのプロフィール:
看護師・僧侶・スピリチュアルケア師。夫を自宅で看取り、その「自然死」があまりに美しかったことから開眼し出家、高野山真言宗僧侶となる。緩和ケア病棟でスピリチュアルケアにあたりながら、一般社団法人「大慈学苑」代表として活動
玉置さん:じゃあ「どこからが延命治療だって思っていらっしゃいますか」という細かい話になると、みんな「はて?」となるわけです。「じゃあ点滴だけはしてください」と言う方もいらっしゃって、「それって延命治療の走りなんだけどな」ということもあるんですよね。

「言葉だけ」になってしまっている部分もあるので、実際に死の間際に向き合ったら、みなさんガタガタするっていうのが本当のところです。

あとは、実は介護や看取りは「自分のためにやっている」という部分が大きいことに気づくことも大事かもしれません。

たとえば親の介護をしている時に、足をさすったり、背中をなでたり…。「お母さんのためにやっている」「お父さんのためにやっている」はずのことが、実は自分が後悔しないためにやっている割合が、結構大きいパーセンテージとしてあるんですね。

でも、「実は自分のためにやっていた」って気がついていないと、イライラして怒り始めてしまう。たとえ「ありがとう」と言われなくても、「私のためにやってるんだもんな」って考えたら平気でしょう。その方がいいです。

その考え方の調整ができていれば、「最期は何もしないでね」って言われていたのに救急車を呼んでしまったとしても、「最期の最期に、私のために呼ばせてもらったよ」と考えたら、お母さんは「それでOK」と必ず言うと思いますよ。

コントロールできない「死」の恐怖

作家・浅生鴨さん(MC):「死」に関しては、家族で話し合おうという「人生会議」が話題になりましたよね。その通りにできないとは思うんですけれども、そこで希望を知っておくというのは大事な気がしますね。

 

浅生鴨(あそう・かも)さんのプロフィール
作家、広告プランナー。ゲーム、レコード、デザイン、広告、演劇、イベント、放送などさまざまな業界・職種を経た後、現在は執筆活動を中心に、広告やテレビ番組の企画・制作・演出などを手掛ける。
玉置さん:アドバンスケアプランニング「ACP」って言ったりするんですけど、「人生会議」を医療の現場はほぼ必ずと言っていいぐらいやってますね。

特に緩和ケア病棟だったら、入院なさったときにどこまでやるかを十分に聞いているし、介護の現場でも、ケアマネさんたちがどこまでどういうふうにやりますかっていうのをね、決めていく方向になってます。

ただ、人生会議は「1回話し合って決めましたよね」というものではなく、「やり直すことが必要だよね」と思うわけです。

「何もしないでほしい」と思っていたけれど、だんだん身体の調子が悪くなってくると、「もうちょっとできることないですか」と考えが変わることもあるわけです。
出典: 画像はイメージです Getty Images
玉置さん:だから、人生会議は人生のうちで1回やればいいわけじゃなくて、どれぐらいの頻度でやりかえていく必要があるんだろうか、っていうのが私達が考えているところです。

緩和ケアだと、どんどん体の調子が変わっていってしまうのでね、1週間に1回ぐらいやった方がいいんじゃないかっていうぐらい、お考えも変わっていくわけですよ。
出典: 画像はイメージです Getty Images
浅生さん:そうか。人間っていうのは、身体が変われば気持ちも変わる。一貫してずっと同じ気持ちでいられるわけじゃないんですよね。

玉置さん:だから皆さんも、人生会議でお母様やお父様が言ったことが、「それで決まりだね」って思われない方がいいと思います。相手の気持ちも、私の気持ちも変わるんです。

変わっていくけど、「今とりあえず確認取っただけ」という、もう少し軽く考えていただいた方がいいのかなっていう感じがします。

そうじゃないと変わることが許されず、「あの時、何もしないって言ったじゃない」みたいな話になっちゃうと、双方苦しいのでね。

墓参りや看取り「成仏」したら…

浅生さん:何をしたって後悔すると思うんですけども、ただ残った人が多少何かやった感があるというか、自分の気持ちが納得できるところに持っていければいいということなんですかね。

玉置さん:誰かを見送った時、残された方々は「選ばなかった方法の方がよかったんじゃないか」とか「こうしてあげたらよかった」と思うこともたくさんありますよね。

なかには、その思いが高じてしまって、「きっと母はあちらの世界で私のことを怒ってると思います」「もっとこうやってほしかったって恨んでると思います」と相談される方がいらっしゃるんですけどね。

仏教では「成仏」って言うじゃないですか。つまり、亡くなられた方というのは「仏になっている」わけですよね。

仏ともあろう方が、看取りのやり方を恨むなんてね、そんなせこいことはしないんですよ。


そんなことで恨まれてるとか怒ってるとかっていうのは、私達が人間だからで、ちっちゃな頭で考えるとそうなるんです。

お墓参りもそうですよ。「最近、お墓参りをしていないから、墓の周りが草ぼうぼうだからバチが当たる」なんて言う人がいますが、相手は仏ですよ。そんなちっちゃくない。そのへんはね、安心していただけたらな、と思います。
出典: 画像はイメージです Getty Images
編集者・たらればさん:いま大河ドラマ「光る君へ」をやっていて、紫式部が主人公です。『源氏物語』は死がとても身近にある作品だと言われていて、「光源氏が大切な人を失っていく物語」というふうにも読めます。
たらればさん:お母さんの桐壺更衣が亡くなって物語が始まり、正妻の葵上が子ども(夕霧)を遺して亡くなって、初恋の人の藤壺が亡くなって秘密が暴かれ、第1部の最後のほうで最愛の紫の上が亡くなります。

それで、紫の上の「最期」について、紫の上は自分の死を受け入れているのに、夫の光源氏だけが妻の死を受け入れられないんです。自分が死ぬよりも、話を聞いてくれる「誰か」である身近な人が亡くなる方が、人は苦痛が大きいのではないかと思いました。

【関連記事】大河ドラマ「光る君へ」 編集者・たらればさんに聞く
玉置さん:自分が死ぬことについては、「いつお迎えが来るか分からない」ということは困るんだけど。死んでしまえば、死後の世界観は皆さんそれぞれ持ってらっしゃると思いますが、天国に行くご予定の方もいればね、無になって何でもなくなりますというご予定の方もいれば、風になるつもりですっていう方もいらっしゃる。それはいいわけですよ。

でも、自分が残ってしまったら。現世で今感じているような苦しさ、つらさ、それに加えてより多く抱えて生きなければならないってことが、リアルに想像できるわけです。だから、そういう意味では、「大切な人を亡くす」っていう方がつらいのかもしれないですね。
出典: 画像はイメージです Getty Images
玉置さん:でもねそれはもしかするとね、日本人だからというのも大きいかもしれません。

実はスピリチュアルペインって、西洋の方は日本人とは違っていて、最期にどんな苦しみ(スピリチュアルペイン)があるかというと、「神は私を許すか」っていうことが多いんですって。

そこで神との仲介人である神父さんや牧師さんが出てきて、神の声を聞いて「神はあなたを許しますよ」と伝えます。それが西洋のスピリチュアルケアなんですね。

私が終末期の方とお話していて、「仏に許されるだろうか」「神に許されるだろうか」という方にはなかなか会ったことがありません。

浅生さん:原罪って感覚がないんですね。

玉置さん:じゃあ、誰に許されたいと思っているのかというと、家族ですよ。もう父親として母親として、あなたを守ってやることができない。そんな私を許してくれるんだろうか、という横軸です。

それから社会です。もう何も生産できない。生きてるだけ迷惑をかけるだけ。「それでも生きてていいって言ってくれるんだろうか」って許しを乞うてしまう。

このことから考えても、日本社会では、横軸の関係性で互いに支え合って生きているんですね。

そうすると、自分が横軸でつながっている人が、亡くなるということは、自分の死より耐えがたいことなのかもしれないです。
※記事は最終回に続きます

【第1回】看護師から僧侶へ「人間っていつか死ぬんです」と言えるようになった
【第2回】孤独死はかわいそう?死に方をジャッジしない 僧侶の伝えたいこと
【最終回】夫を見送ったグリーフ、ディズニーに通って…回復の仕方は人それぞれ
SNS医療のカタチとは:
「医者の一言に傷ついた」「インターネットをみても何が本当かわからない」など、医療とインターネットの普及で生まれた、知識や心のギャップを解消しようと集まった有志の医師たちによる取り組み。皮膚科医・大塚篤司/小児科医・堀向健太/外科医・山本健人が中心となり、オンラインイベントや、YouTube配信、サイト(https://snsiryou.com/)などで情報を発信し、交流を試みている

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