連載
#23 親子でつくるミルクスタンド
牛乳値上げ、大量廃棄…酪農界の激変とミルクスタンド1年に思うこと
生乳の廃棄問題、ウクライナ危機による飼料や燃料の高騰、酪農家の廃業……。牧場ごとのこだわりの味を楽しんでほしいと、ミルクスタンドを始めて1年が経ちましたが、酪農業界の激動と隣り合わせの日々でもありました。今後、日本で牛乳の魅力を知ってもらうため、乳文化が根づくために大切だと思うことを考えてみました。(木村充慶)
牛を放して飼育する「放牧」の牧場の牛乳を中心に、こだわりの牛乳を販売する「ミルクスタンド」を都内にオープンしてからこの6月で1年が経ちました。
ラインナップを牛乳に絞ったスタンドで、ミルク好きな方々にたくさん来店いただいていますが、酪農業界の厳しい状況と隣り合わせの1年でもありました。
昨年2月からのロシアによるウクライナ侵攻などを契機に、牛のエサとなる穀物や燃料の価格が上がり、酪農家の経営は火の車になりました。
もともとコロナ禍の影響で牛乳の消費が激減していたタイミング。大量に余ってしまい、北海道などではせっかく搾った生乳を大量に破棄する事態も発生しました。
経費が激増し、売上は激減。酪農家の経営は危機的な状況に。今年3月の中央酪農会議の実態調査によると、酪農家の8割以上が赤字を抱えているといいます。お店で取引のある牧場の方々に聞くと、多くの方々が赤字と答えます。
牛乳を買う消費者にも大きな影響がありました。物価の優等生のひとつだった牛乳ですが、大手スーパーなどでは1リットルの牛乳パックの価格が数十円上がっているものもあります。私たちのお店でも、昨秋以降、取引のある牧場から価格変更の依頼が届き、実際に値上げに踏み切りました。
しかし、生産者である酪農家の赤字を補塡するほどではありません。残念なことに経営が厳しくなり、酪農をやめる「離農」が増えたり、牧場で売っていた牛乳を販売中止したりといった事態も起きました。
ミルクスタンドで扱う牛乳は、自分の目で見て味わって納得したものにしようと決めていたので、開店準備とあわせて全国各地の牧場を巡りました。
酪農家たちと話すと、様々な視点から多くのことを教わりました。
放牧をしている酪農家は、なるべく自分たちで牧草などを自給するようにしています。
しかし、一般的な酪農は、牛舎に牛をつないで飼い、エサは輸入された牧草や穀物を与えることが多いです。
放牧の酪農家たちは、牧草や穀物といった多くのエサを輸入に依存していると、飼料が高騰した際に日本は大変なことになると指摘。だからこそ、なるべく自分たちでエサを確保できるよう放牧にしていると話していました。
私は頭の中では理解しつつも、「実際にそんなことは起こらないだろう」「仮にどこかの国で問題が起きたとしても、他の国と調整すれば何とかなるだろう」と感じていました。
その矢先に、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、あっという間に戦争状態になりました。
飼料や燃料の価格は急騰。「これまでのように牛乳の値段が上がるのだろうか」と漠然とイメージしていましたが、それではすみませんでした。
昨夏ぐらいから、子牛の価格がタダ同然になっているという情報も入ってきました。
メス牛は子牛を産むことでミルクを出します。その子牛がメスであれば、そのまま母牛にするべく育て、ミルクを搾れるようになります。
オスの子牛の場合は他の牧場に売り、ある程度大きくなったら食肉にします。その売上が酪農家にとって大事な収入源になっていました。
しかし、そのオスの子牛の価格がもともと10万円以上だったところが、タダ同然になりました。もっとひどい場合は価格がつかず戻ってきてしまうこともあったそうです。
さらにコロナ禍での消費の落ち込みも追い打ちをかけました。
賞味期限の早い牛乳の消費が減ったため、バターや脱脂粉乳といった日持ちする乳製品をつくることで、なんとか廃棄を回避してきましたが、コロナ禍が長引き、乳製品を保管する倉庫もいっぱいになってしまいました。
そこで、牛乳のもととなる生乳を廃棄せざるを得なくなりました。生乳の破棄だけではすまず、生乳を出す牛を殺処分することもありました。メディアで、搾ったばかりの生乳を流す様子を見た人も多いのではないでしょうか。
この機会に改めて法律も含めて調べてみると、制度や補助金に支えられて経営が成り立っている背景や、農協といった組合などでつくられる「指定団体」が、酪農家と乳業メーカーの間に入って生乳の販売価格を決める仕組みが分かりました。
さまざまな団体が入り組んだバランスでなんとか成り立っていた酪農界が、ウクライナ危機、コロナ禍といった社会情勢の影響で、一気に崩れてしまったのだと感じました。
酪農は、気候変動問題でも厳しい目が向けられます。牛のゲップには温室効果の高いメタンガスが含まれているからです。
世界的には人口が増えるなか、乳牛・肉牛の数は増えていて、メタンガスは大量に発生しています。
ほかにも、エサである牧草や穀物などの飼料を輸送するときの二酸化炭素(CO2)排出や、トラクターなどの農業機械に使われる燃料での排出も問題になっています。
日本は飼料自給率は低く、他の国と比べても多くの飼料を輸入しています。そのため、輸送の際に発生するCO2の排出量は莫大です。
気候変動問題の観点から、世界的には乳製品の不買運動を行う環境活動家も増えています。
大豆やオーツといったプラントベースドミルクを買う人も増えています。街中のカフェでもソイミルクやオーツミルクが気軽に買えるようになり、その流れはますます大きくなっているような気がします。
メタンガスを削減する効果があるとされる飼料を与えた牛のミルクが発売されたり、牛の糞尿を分解して循環型牧場を運営したり……。
先進的な牧場は現れてきていますが、業界全体が変わるような根本的な動きにはなっていないのが実情です。
酪農業界の専門家や、酪農家のなかには、今の生乳生産を維持しようと、国産のナチュラルチーズ生産量を増やそうとする考えもあります。
食が多様化するなか、様々な料理に使えるチーズは消費が見込まれ、最も効果的だと思います。
国産ナチュラルチーズの人気はだんだんと広がっていて、世界的に評価されるチーズも出てきています。
また、中国などではチーズの市場が拡大するともいわれています。現在は国産のナチュラルチーズ製造は小規模なチーズ工房がほとんどですが、中・大規模なチーズ工房を作り、輸出していくこともできるかもしれません。
他方で、飲料としての牛乳の消費が下がり続けるのを傍観していていいのか。私はできることがもっとあるのではないかと思っています。
スーパーで販売されている一般的な牛乳は、いろいろな牧場の牛乳を混ぜる「合乳」でつくられています。
効率的に生産でき、価格が抑えられ、味を均質化して安定させる効果もあります。ただし本来は、牛の品種・餌・育て方・地域・牧場主の考えなどが複雑に絡み合って、牧場ごとに牛乳の味はかなり異なります。
私はこの「違い」をもっと伝えることで、牛乳自体の価値を底上げできると感じています。
クラフトビールがビールの多様性を生んでビール市場を底上げしたように、牛乳も多様性が伝わることで、違った市場を開拓できるのではないでしょうか。それが「クラフトミルクスタンド」を始めた思いです。
もともと日本では、国による酪農振興や給食での牛乳導入といった「制度」で酪農が広がり、生活に「乳文化」がしっかり根ざしていないのではないかと思います。
だからこそ、コロナ禍のような問題が起きたら、すぐに需要が下がってしまう――。
そんな意識から、2月には世界一の生乳生産量を誇るインドを20日間かけて巡り、何千年も前からミルクとともにある暮らしをこの目で見てきました。
多くの人が、牛乳を運ぶミルクマンから毎日のように牛乳を買って、自宅でチャイやチーズのパニール、ヨーグルトのダヒといった乳製品に加工して食べています。
インドの人たちは長い歴史のなかで、牛乳の魅力を自らの文化にしているように感じました。
そんな他国の取り組みも参考にしつつ、補助金や制度などに依存し、安価に牛乳を提供する仕組みだけではなく、牛乳の魅力から生活に根付かせていくことで、日本に乳文化を広げられないかと思っています。
そこには「食」の持続可能な視点も含まれます。食料自給率が低い日本で、エサを国内でまかなおうとする放牧ミルクなどの消費を増やす――。それに「おいしいから」という味はもちろん、「おもしろい」「楽しい」といった前向きな視点がたくさん加わると、さらに広がると感じます。
自分が「いい」と思ったものを手にとって、主体的に「食」にかかわる、そんな考え方をミルクスタンドでも伝えていきたいと思っています。
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