連載
#22 親子でつくるミルクスタンド
「牛は神聖な動物」でも牛肉輸出大国…インドで見た畜産の本音と建前
ミルクを搾れないオス牛はどこへ?
20日間かけて世界一の生乳生産量を誇るインドの牧場を巡った筆者。ふと「ミルクを搾れるメス牛はたくさんいるけれど、オス牛はどうなっているんだろう」と疑問がわきました。現地で酪農関係者に尋ねてみると、「牛は神聖な動物である」という宗教的な考え方と「オス牛をどう扱うか」という現実的な悩みを巡る、本音と建前が見え隠れしていました。(木村充慶)
インド国民の大半を占めるヒンドゥー教徒にとって牛は神聖な動物であるため、多くの人が牛肉を食べません。
その代わりに、牛を殺さなくても口にできるミルクや豆などから、生きる上で必要なタンパク源をとっています。
しかしインドは世界一の生乳生産量があります。牛は1億3,601万頭(2015年、農畜産業振興機構「インド酪農の概要と世界の牛乳乳製品需給に与える影響」)もいます。
農林水産相の「畜産統計」によると、日本は137万頭(2022年)なので、その約100倍です。
牛のミルクを搾れるようにするためには、母牛が子牛を産む必要があります。
生まれた子牛がメスであれば、そのまま母牛に育てればミルクを搾れるようになりますが、当然オスも生まれます。オスはミルクを搾ることができません。
日本の場合は、オス牛が生まれると、多くが家畜の市場に出されます。育成する牧場で育てられ、ある程度大きくなったら食肉になります。
しかし多くのヒンドゥー教のインド人にとっては、お肉として食べることもできません。牛を肉にする「と殺」を禁止している州もあります。一体どうなるのでしょうか。
ミルクとは切っても切れない牛肉のことが気になり、インドを訪ねている間、様々な酪農家や関係者に「オス牛はどうするのか?」と聞いていました。
多くの酪農家は「オス牛が生まれたら農業で使う」と話していました。
日本でも戦前の農家では、作業を手伝う「役牛」がいて、田畑を耕したり、荷物を運搬したりしていました。
近年、目まぐるしい勢いで経済成長を続けるインドですが、都市部を除くと昔ながらの農村地域がたくさんあります。
そういうエリアにいくと、いまだに牛に農作業を手伝わせる様子がよく見られました。
牛の数が数頭程度の小さい牧場では、酪農だけで生活していくのは厳しく、畑などの農業を兼業でやっている人も多く、うまくオスの牛を活用しているのです。
それでも、牧場にいるメスの乳牛の数を考えると、その頭数と同じぐらいのオス牛が畑にいるとは思えません。
メス牛と合わせてオス牛を1頭飼っていた西部のラジャスタン州の酪農家に聞くと、「牛を育てている人には州政府から補助金がもらえる」と話していました。
牛を大切にするインドだからこそ、オス牛にも政府がサポートするということです。
しかし、私が行った牧場に限っての話になりますが、オスを飼っている牧場はほとんどありませんでした。
ミルクという日銭を稼ぐことができないオス牛はエサ代がかかるだけ。まして数十頭以上の大きな牧場では、コストも膨らむので、同等数のオスを飼えるはずもありません。なので、それだけで解決はしていないだろうと思います。
インドの酪農関係者は、生まれたオス牛や搾乳の役目を終えたメス牛たちを、最後まで世話するホスピスのような施設に入れることもあると話していました。しかし、施設数もそれほど多くありません。
多くの牛たちはいったいどうなるのか。インドの酪農に詳しい専門家たちに聞くと、ふたつの話がありました。
ひとつは、街中に牛たちを「捨てる」こと。
インドの街中にたくさんいる牛ですが、メス牛の大半は飼い牛でした。
少なからずいるオス牛は、「野良牛」つまり捨てられた牛であることが多いそうです。
もうひとつは、やはり食肉にすることです。実は「野良牛」もごく一部で、大半は売りさばかれた上で、オス牛たちは「と殺」され、肉として海外に輸出されると言います。
事実、インドは世界有数の牛肉の輸出国です。農畜産業振興機構によると、牛肉の輸出量はブラジル、アメリカ、オーストラリアなどについで常にベスト10になっています。
行き場を失ったオス牛や、役目を終えた乳牛たちは肉となり、世界各国に渡っているのです。
しかし、インドでは「と殺(と畜)」は簡単にできません。どのようにお肉になっているのでしょうか?
インドの人びとは口々に「メスの方が大事」と話し、特に神聖とされるメス牛のと畜は厳しく、「ミルクを与えてくれる母のような存在」と話す人もいました。
南部ケーララ州や、東部メガラヤ州など一部の州ではと畜が許されていますが、その他の多くの州では禁止されています。
広大な国土をもつインドで、可能な州に牛を集める陸送は現実的ではありません。
ある関係者は、インドには非公式の「と畜場」があると教えてくれました。そこでは、多くは宗教的に問題ないイスラム教徒の人たちがと畜を担当していると言います。
しかし現地で酪農家に尋ねても、そもそも「と畜場」の存在を否定するので、その在りかは分かりませんでした。
インドの乳文化にまつわるレポート(農畜産業振興機構「インド酪農の概要と世界の牛乳乳製品需給に与える影響」など)やニュースでは、非公式な「と畜場」や、と畜を担当する人がヒンドゥー教徒に襲われたという事例が報告されています。
危険性もあるといった背景から、なかなか公にできず、非公式の「と畜場」が存在しているのではないかと思います。
ヒンドゥー教徒にとっては神聖な牛を殺すことは許しがたいこと。しかし実態としては、育てるだけではコストのかかるオス牛や、役目を終えたメス牛を食肉にするのは仕方がない――。インドの「本音と建前」があるのだなと感じました。
牛肉を食べないヒンドゥー教徒が多いインドですが、牛肉が全く食べられないわけではありません。特に南部のレストランでは「肉」と書かれたメニューをよく見ました。
駐在する外国人や、外国に住んだ経験があるインド人などが食べるそうですが、その肉の多くは「乳牛」ではなく、「水牛」だそうです。実際に私が食べたお肉も水牛でした。
日本人にとっては同様に感じる「乳牛」と「水牛」ですが、ヒンドゥー教では、乳牛は神聖な動物、水牛は悪魔の化身で、「水牛であれば問題ない」と言います。
ただし、一部のムスリム系の飲食店では、乳牛の肉を煮込み料理などで提供しているところがありました。インドでは10%以上、イスラム教徒がいます。そのため、少なからず乳牛も食べられているようです。
酪農では、メス牛を大切にしながら広がる乳文化を感じたインド。一方で畜産では、宗教で「本音と建前」を使い分ける状況という問題があるように感じました。
敬虔なヒンドゥー教徒が多いインドでは、今でも多くの人が牛肉を食べませんが、海外旅行をきっかけに牛肉を食べたりするインド人も増えていると聞きました。
グローバル化によってインドの酪農や畜産の状況も変わっていくでしょう。これからも注目していきたいと思います。
1/28枚