話題
「絵本読まなきゃ」なぜ不安に? 「売る」を強調する時代に貫く方針
名古屋の子どもの本専門店が込めた希望
「絵本の読み聞かせをしてあげなきゃ」。子育て中、そんな焦りを感じてはいませんか。絵本はもっと、肩の力を抜いて楽しむものでいい――。そんな思いでお客さんを出迎える子どもの本専門店が名古屋にあります。
「何十万部突破」「脳に良い」など過度に”売ること”だけを強調した帯が目立つようになった「変化」を感じつつ、帯をあえて外し、透明なカバーで覆わない、店の方針を貫いてきました。
絵本に何が起きているのか、なぜ親は不安になるのか――。絵本が持つ「希望」に込めた思いを聞きました。
メルヘンハウス
三輪哲さん(78)が1973年、名古屋市で創業。日本初の子どもの本専門店として知られる。3万冊の絵本や児童書を取りそろえ、子どもが選びやすいように本は表紙を見せて並べる、宣伝文句に惑わされないよう帯をつけない、透明なカバーで本をくるまない――といった方針を貫いた。経営難で2018年に一度閉店したが、息子の丈太郎さん(46)が2021年、市内の集合住宅の一室で店舗を再開。店の広さは旧店舗の3分の1ほどだが、厳選した子どもの本をそろえる。
話を聞いたのは、1973年創業の「メルヘンハウス」2代目店主・三輪丈太郎さん(46)です。ネット通販の台頭などで2018年に一度店を閉めましたが、父の後を継いで、三輪さんが2021年、店を復活させました。
――子育て中の人たちから「絵本の読み聞かせをしなきゃいけない」といった焦りを感じることがあるそうですね。
子育て関連のイベントで講演をすることが多いのですが、来てくれた人から「読み聞かせってやっぱりしたほうがいいんでしょうか」「一日最低何冊読んだらいいですか」といった質問を受けることがあります。
「読み聞かせをしたい」というより、「読み聞かせをしなきゃいけない」と思われているように感じます。
――その焦りはどこからくるのでしょう。
どこでしょうね……。やっぱり、「我が子には心豊かになってほしい」という願いからではないでしょうか。
――自然な願いのような気がします。でもそれが焦りにまでなってしまうのはどうしてでしょう。
はっきりとは分かりませんが、本の帯がそうした焦りを生んでいるのではないかと感じることはあります。
例えば「何十万部突破」と書かれていたら「何十万人も読んでいるのに、うちの子は読んでいない」って不安になってしまったり、たまたま見かけた赤ちゃん向けの絵本に「脳にいい」と書かれていたら、「読んであげないといけないのかな」って思ってしまったり。
本の帯は昔からある文化の一つで、優れたデザインやセンスのある宣伝文句のものもたくさんあります。ただ近年、「売ること」だけを過度に強調した帯が多いように感じます。
――なぜでしょう。
立ち読みで本が汚れたり、破損したりするのを防ぐために「シュリンク」といって透明なカバーで本をくるむ書店が増えていることと関係しているのではないでしょうか。
本の中身を見てもらえないから、帯に書かれている情報でお客さんに手にとってもらうしかない。だから、よりキャッチーな宣伝文句になっていってしまう。
シュリンクは店員さんに言えば外してもらえるんですけどね。でも、外してもらうのは手間だし、中身を見て「やっぱり違うな」と思った時に店員さんに返すのはせっかく外してもらったのに悪いと思うお客さんもいるようです。
――メルヘンハウスは2021年の復活後も、本は表紙を向けて並べる、帯はつけないといった方針を続けていますね。
子どもは表紙で本を選びます。だから、表紙を隠してしまう帯はつけません。それに、宣伝文句は子どもには関係ないですから。
うちの父親はよく「いい絵本は心の奥底に沈殿していく」と言っています。長い年月をかけて腑に落ちるのがいい絵本だと。だから試し読みだけでは、その絵本の本当の良さは分からないという難しさは確かにあります。
パッと見では分からないその絵本の良さを補う役割も帯にはあるのですが、メルヘンハウスでは帯で補う必要はなく、店員が補ってきました。いまの店舗では、僕が熱弁しています(笑)
――「いい絵本は心の奥底に沈殿していく」。三輪さんにもそんな経験があるそうですね。
僕の人生のバイブルはトミー・アンゲラーの「すてきな三にんぐみ」です。
泥棒の三人組がある夜、馬車を襲うと、そこにいたのは孤児のティファニーちゃん。ほかに獲物がないので、三人組はティファニーちゃんを隠れ家に連れて帰ります。
翌朝、ティファニーちゃんは隠れ家にある宝の山にびっくり。「これ、どうするの?」と尋ねますが、三人組は額を合わせて相談します。どうするつもりもなかったからです。そこで三人組は孤児を集め、素敵なお城を買い、みんなで一緒に暮らします。
子どもたちはすくすく育ち、やがて結婚。お城の周りに村をつくり、素敵な三人組を忘れないよう三つの棟を建てるのです。
僕はこの本に3回出合っているんですよ。1回目は3歳で父親に読んでもらった時。真冬で、父のひざの温かさをいまでも覚えています。その時の僕の感想は「ティファニーちゃんがうらやましい」でした。だって、みんなと四六時中遊べるから。
2回目は23、24歳の時です。ミュージシャンになりたくて上京しましたが、うだつのあがらない毎日で、タイカレー屋でひたすらアルバイトをしていました。新宿の本屋で立ち読みをしていたらたまたま児童書コーナーがあって、そこに「すてきな三にんぐみ」が置かれていました。改めて読んでガツンッときたのは、三人組がティファニーちゃんに宝の山の使い道を聞かれ、「どうするつもりもなかった」ということに気づく場面です。
売れることをめざしていた僕は、富と名声だけがすべてではないということに気づかされました。最低限食べていける生活で、自分の好きなことをする。そういう幸せも全然ありだと思えるようになりました。
3回目は3年ほど前、4歳の息子が「父ちゃん、この本読んで」と持ってきた時です。僕が3歳の時に父親に読んでもらった絵本を、4歳の息子に読む。色あせず読み継がれる絵本というものの素晴らしさに感動を覚えました。
という話を、父親と出演したラジオ番組で語ったことがあります。まぁまぁ「いい話」じゃないですか。MCの人も感動してくれて、「お父さん、読んであげた時のこと、覚えていますか」って父親に話を振ったんですよ。
そしたら目をつぶって聞いていた父親が一言、「覚えてないな」って(笑)。
MCの人はズッコケていましたが、僕はそれに安心したんですよね。救われたんです。
だって、そこでもし父親が流暢に「いやぁ、覚えてるよ。あれはこの子が3歳の時、将来壁にぶち当たった時に思い出してもらえるように~」なんて言ったら台無しじゃないですか(笑)
父親が何か下心を持って僕に読んだんじゃなくて、ただ一緒に楽しんでくれていたんだ、っていうのがうれしかったんですよね。確かに父親の好きな本の一つではあったけど、その中から僕が勝手に人生のバイブルにしたわけですから。
――子どもにとってうれしいのは、大人が一緒に楽しんでくれることなんですね。
僕はそう思います。一緒に楽しむっていうのは、ぎゃははと笑うことだけではなく、喜怒哀楽のすべてを共有することです。気持ちを重ねられた時のパワーはすごいものがあります。
だから、「どんな絵本を選んだらいいか分からない」と相談された時は「自分が好きだと思える本を選んでください」と答えています。「子どものために」と考えると「自分」が不在になってしまい、一緒に楽しめなくなってしまうので。
絵本は詳しい人だけのものじゃない。だからお客さんにも「ご存じだと思いますが」という言葉は使わないようにしています。お客さんと同じ目線で絵本を選んでいたい。
――三輪さんが考えるいい絵本って何ですか。
子どもは絵本の物語に入り込み、想像力を膨らませます。なので、その余白があるのがいい絵本だと僕は考えています。
長新太さんの「たぬきのじどうしゃ」という本があります。最後は「このじどうしゃは、どうやってはしるのかしら」という言葉で締めくくられています。答えを子どもに託しているのです。子どもに絶大なる信頼がないと、あんな風に描けません。
せなけいこさんの「ねないこだれだ」のラスト、「おばけに なって とんでいけ」も同じです。とんでいった後、どうなるのかが描かれていません。いい絵本というのは、広がりがあります。
――メルヘンハウスにはいま、三輪さんが厳選した子どもの本が置かれています。どんな思いで選ばれているのですか。
旧店舗では、マンガや雑誌は置かないという方針はあったものの、3万冊の絵本や児童書をそろえ、お客さんのさまざまなニーズに応えてきました。
でもいまの店では、ある程度偏っていてもいいから、自分がいま読んでほしいと思う旬な本を置いています。
コロナ禍のいま、いつ行動制限がかかり、店を休まなきゃいけなくなるか分からないという心配と常に隣り合わせです。
だからでしょうか。人の根源、生きていることの奇跡を感じられるような本をいまの店には置きたいと考えています。
コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻など、日々生きていくことが、当たり前であってほしいんだけど、当たり前でなくなってきている感じはしませんか。
毎日生きていて楽しいとか、明日っていうものに期待をするとか、希望を感じられるような本をいまだからこそ、置きたいですね。
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