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連載

#11 #医と生老病死

理不尽に投げ込まれる「死」 児童書や「火の鳥」で語る〝生老病死〟

漫画家おかざき真里さん・編集者たらればさんと考える

自分たちの「生老病死」観をかたちづくった〝物語〟は何だろう――? 漫画家・おかざき真里さんは「ちいさいモモちゃん」シリーズを挙げました。編集者・たらればさん、withnews編集長・水野梓と語り合います
自分たちの「生老病死」観をかたちづくった〝物語〟は何だろう――? 漫画家・おかざき真里さんは「ちいさいモモちゃん」シリーズを挙げました。編集者・たらればさん、withnews編集長・水野梓と語り合います 出典: Getty Images ※画像はイメージです

目次

わたしたちの「生老病死」観をかたちづくった物語は、どんなものだろう――。「物語の生老病死」を語り合うトーク、今回は漫画家・おかざき真里さんが挙げた児童書「ちいさいモモちゃん」シリーズや、病理医ヤンデル先生の挙げたマンガ「火の鳥」から考えます。編集者・たらればさんは、2作品とも「『生や死の理不尽さ』がそのまま描かれている」と指摘します。

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令和に生きる、医師でもないわたしたちは、生きることも老いることも死ぬことも、〝物語〟を通して知るのではないか――?
そんな、あなたの「生老病死」観をかたちづくった〝物語〟はどんなものですか。

2022年7月25日夜に開催したTwitterSpacesイベント「#物語の生老病死」にて、漫画家・おかざき真里さんと、編集者・たらればさん、withnews編集長の水野梓が語った内容を記事化したものです(構成はたらればさん、全4回予定)。

「SNS医療のカタチ」のイベントの一環として開催され、メンバー(医師・大塚篤司さん・堀向健太さん・山本健人さん・市原真さん)にも「影響を受けた物語」を聞きました。同イベントの詳細は公式Twitterアカウント(@SNS41010441)をフォローしてください。

 

おかざき真里(おかざき・まり)
漫画家。最澄と空海を描いたマンガ『阿・吽』(ビッグコミックスピリッツ)が2021年5月に完結。フィール・ヤング(祥伝社)で『かしましめし』連載中。ツイッターは @cafemari

 

たられば
だいたいニコニコしている編集者。ツイッター @tarareba722 のフォロワーは20.7万人。漫画やゲームや古典の情報を発信している

日々の生活のすぐ近くに「死」や「別離」

withnews編集長・水野梓(以下、水野):ここからは、おかざき真里さんが影響を受けた「物語の生老病死」について話しましょう。

おかざき真里(以下、おかざき):はい、わたしは『ちいさいモモちゃん』(松谷みよ子著)シリーズです。

とにかく表現がすばらしくて、小さい頃はその文章表現に惹かれて読んでいたんですが、これはほかのお母さんが言っていたことなんですけども、「これは……子どもに読み聞かせるのは……ちょっと……」と飛ばしたくなるようなところがあるんです。それだけ深いというか、暗いというか。
モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん(講談社)
たられば:児童書らしからぬ描写があるんですよね。冒頭はすごくほっこりした内容なのに。

おかざき:そうなんです。以下、ちょっとだけ引用しますね。

これは『モモちゃんとプー』というシリーズ2冊目の、「かげをなめられたモモちゃん」という章から。
「それはまったくすてきな朝でした。

空は やぐるまそうのように青く、雲なんてよけいなものは、ひとつもありませんでした。
ただ、お日さまだけが、ぴかぴか、まぶしくひかっていました。

じめんは しっとりとして、ああ、いいきもち、といっているようでした」
から始まる、まあ日曜日の朝の、すごい素敵な表現なんです。

たられば:情景描写がすごく美しいんですよね。

おかざき:そうなんです。美しいんです。

でもこのお話、そこでいきなりモモちゃんが意識を失ってお庭の隅で倒れてるんですよ。

たられば:不穏。

おかざき:それでお父さんもお母さんもビックリして駆け寄るんですけどモモちゃんの意識が戻らない。

お父さんは急いで救急車を呼びに行き、お母さんは「モモちゃん、モモちゃん!!」と話しかけます。

すると、バラがモモちゃんにゆっくりと話しかけてくるんです。

たられば:バ、バラが。

おかざき:そこからまた引用します。
「ばらが、ささやくようにいいました。

『モモちゃんは、かげをなめられたんです。

きょうの空、青いでしょう。みているうちに、すいこまれるようで、しまいに、ひかってくろくみえてきました。

そしたら、いつのまにか、ウシオニが、そこに、たっていたんです……』」
っていうふうに、バラが教えてくれるんですね。

出だしはあんなに爽やかで美しい描写だし讃歌に溢れているような表現で、目に浮かぶような青い空なのに、それを見すぎると吸い込まれて命がなくなっていくという表現になるという。

水野:ああ……。なるほど。

おかざき:すごいですよね、一瞬で暗転したような雰囲気になる。

たられば:いやー……これはすごい話になってきたな。

おかざき:それで、もう1カ所引用したい場面があるんです。

ええとこれは3冊目の『モモちゃんとアカネちゃん』の中からの引用です。モモちゃんには「アカネちゃん」という妹が生まれるんですね。

水野:うん、うん。

おかざき:その本のなかの「ママのところへ死に神がきたこと」という章です。

たられば:いきなり不穏。

おかざき:すこし引用しますね。
「アカネちゃんが生まれてから、ママは、からだのぐあいがよくありませんでした。

それで、外へいくおしごとはやめて、うちでするおしごとをしていました。

そんなふうに、からだがわるいせいでしょうか、ママは目もわるくなったようなのです。パパのすがたがみえたり、みえなかったりするのです。それは、こういうことでした。

夜、パパがかえってきます。
コツ、コツ、コツ。
ママには、パパのあるきかたが、すぐわかります。
ピンポーン、ピンポーン。
チャイムがなります。ママはとんでいってドアをあけます。

けれども、そこにパパは立っていません。ただ、パパのくつだけがありました。それで、おしまいでした」
水野:……え……?
「ママは、とほうにくれて、くつをながめていました。いったい、くつにどうやって、ごはんをたべさせたらいいでしょうか。
くつに、『おふろがわいていますよ。』なんていうのは、ばかげています。

ママは、しかたなくブラシでほこりをおとし、クリームをぬりました。きれでこすりました。とってもながいあいだこすっていたので、くつはぴかぴかになりました。

その上に、ママのなみだが、一つぶ、ポトンとおちました。

つぎの朝、くつはでていきました」
たられば:うーーん、すごい隠喩だなあ……。

おかざき:これはですね、ゆくゆくモモちゃんのお母さんとお父さんは離婚するんですけども、家庭でうまくいっていないことを表現しているんですね。

それを童話の表現で表すと、こうなるんだ……という。

水野:いやーすごいです。わたし、今回の機会にこの『モモちゃん』シリーズをまず数冊読んだんですけども、「え、これ本当に子ども向けなの?」という表現がたくさん出てくるんですよね。

おかざき:そうなんです。

この本では、本当にモモちゃんのお母さんのところに死神がやってきて、間一髪でお母さんは死から逃れるんですけども、それも本当に紙一重で、マンガで言うと一コマの描写でガラッと変えていて。

水野:一コマで。

おかざき:それで、わたし子どもの頃は、「修飾というのは、花を飾ったり言葉で彩ったりするのは、この世への讃歌であるな」と思っていたんですね。

たられば:(す、すごい子どもだったんですね)なるほど。それで。

おかざき:はい、それで、でも飾っても飾っても、「生」をどれだけ言祝いでも、「死」や「病」というのはすぐそばにいて、インクが染み出てくるようにべっとりと「生」に並走しているんだな……と思ったんです。

たられば:(もっとすごい話だった)「生」のすぐそばに死が。

おかざき:ええ。子どもの頃はこのお話を「わー怖いなあ」という程度だったんです。

大人になって自分で子どもを育ててみてさらにつくづく実感したんですけども、「死」というのは、「生」の反対側の、一直線にあるもう片方の端にあるのではないんだな、と。

水野:ふむふむ?

おかざき:生死は両端にあるのではなくて、「生」のすぐそばに「死」も「病」もずっとあるんだなと思うんです。ずーっと並走しているんだなと。

多くの人はたまたま「生」の側を歩いているだけで、何かのキッカケでころんと「病」や「死」に踏み入れてしまうんだ、と。

「これか、『ちいさいモモちゃん』は、この、突然の死や病を描いていたのか!!」と実感しました。

たられば:子どもって油断するとすぐ死にそうなことしますもんね……。

おかざき:そうなんですよ。近所の男の子がスケボーに腹ばいになってガーッと走って車道に飛び出しそうになったところを見たことがあって、もう本当になんていうことを、という。

たられば:(い、言えない……自分もそういう子どもだったとはとても言えない……)おそろしいことですよね……。

この『ちいさいモモちゃん』って、本当に冒頭はほんわかした内容で、モモちゃんが生まれた時に、ジャガイモとかニンジンとかタマネギとか、カレーの具がお祝いにやってきた話があって。

お母さんに「まだ赤ちゃんなのでカレーは食べられません」と言われて、ジャガイモたちが残念がって帰っていくシーンなんです。

いや、あの、君たち命拾いしたんじゃないのか、と思わず字面に突っ込みたくなるようなほんわか具合で。そこにいきなり「病」や「死」が差し込まれてくるという。

水野:この『ちいさいモモちゃん』の単行本が刊行されたのは1964年ですが、この頃からワーキングマザーが描かれていて、すごいなあと思いました。

おかざき:そうそう、モモちゃんのお母さんのモデルは松谷みよ子さんご本人だと思うのですが、いま読んでもまったく色褪せない、大人の鑑賞にも耐えうる児童書なので、ぜひ皆さん手に取ってほしいです。

「死」は意味などなく訪れる

水野:じゃあ次は「SNS医療のカタチ」の先生方からも「物語の生老病死」を挙げていただいた中から。

まずはヤンデル先生の挙げた『火の鳥(鳳凰編)』(手塚治虫著)ですね。Twitterでも『火の鳥』を挙げてくださった方がたくさんいらっしゃって。
手塚治虫「火の鳥 5巻」(手塚プロダクション)
おかざき:さすが手塚治虫先生ですよね。『火の鳥』と、それから『ブッダ』と『ブラック・ジャック』を挙げてくださった方がたくさんいて。

水野:ヤンデル先生が挙げてくださったシーンが、「茜丸が未練を抱えたまま最期を迎えるときに火の鳥が言葉をかけるところ」です。
「おまえにはもう永久に…この世がなくなるまで 人間に生まれるチャンスはないの!」
というところですね。

わたし「火の鳥って、こんな酷いこと言ってたっけ」と思って読み返してみたら、しっかり言ってました。絶望的なフレーズですよね。

おかざきさんはこのシーンとセリフ、覚えてらっしゃいましたか。

おかざき:ええと……覚えて……なくて、それで読み返しました。それで「ああ……そういうことなのか……」と納得しました。

『火の鳥』に出てくる茜丸というキャラクターは奈良時代の彫刻家で、ずっと「鳳凰」が彫りたいと願っていて、「ああ、死ぬまでに一目でいいから鳳凰を見たい、この目で鳳凰を見て、その姿を彫刻にしてみたい」という執着を持っていて。

それでやっと死の直前に鳳凰(火の鳥)が現れて、それで「これで鳳凰が彫れる!」と思ったところで「おまえはもう人間には生まれ変われない」と宣告される、というシーンなんですね。

たられば:なんというか、いまの説明で絶望にトッピングがかかったみたいになりましたね……。

おかざき:これ、ヤンデル先生から「このシーンの推しどころ」も預かっているので、読み上げますね。
「中学生くらいのときにはじめて読んで、『死をここまで無慈悲に書くなんて、なんて優しくないマンガ家なんだ!』と心の底から打ちのめされたのでよく覚えています。

世の中のあらゆる現実より先に創作物によって死の絶望を与えられたことで、その後、世界を、特に人の生き死にを見る際に『この生・死を手塚治虫のかけているメガネ……<絶望3Dメガネ>で見たら、いったいどう見えるんだろうか』ということをいつも意識していた気がします」
たられば:絶望3Dメガネ。

おかざき:わたし不思議に思っていることがあるんです。

何年か前からこの「SNS医療のカタチ」に携わらせていただくことになって、何度かお医者さまと「生老病死について語りましょう」という機会をいただいて、いざ話すと皆さん「医療にまつわる生老病死」についてはあんまり語ってくれないんですよ。

医師って、すごく近くに「生老病死」を感じている職業だと思っていたのですけども、どうもいつも真正面から「それ」について話しているわけではなくて、でもたとえば「マンガ」というフィルターというか、メガネみたいなものを通すと、こうして生老病死について語ってくださるんです。

たられば:いい話だなーー。きっとこれを聞いている医師の皆さん、いま悶絶していると思います。

おかざき:それで今回気づいたんです。自分の職業範囲で「生老病死を語る」って、すごく難しいんだなって。

わたしも漫画家なので、マンガで生老病死についての物語を探そうとすると、それ以外のあれこれが気になってしまって選べない。

ああ、医師の皆さんがご自身の職域での生老病死について語りづらかったのはこれか! と。なのでわたしも今回は児童書を取り上げたという。

水野:たしかに近すぎると語りづらいんですね……。

(ここでTwitterSpaceに病理医ヤンデル先生が登壇)

 

病理医ヤンデル
病理医・市原 真。ツイッター @Dr_yandel のフォロワーは15.1万人。記事や本などで医療情報を発信し、「SNS医療のカタチ」で活動する
病理医ヤンデル(乱入):はいどうもーー。1~2分で失礼いたします。

ぼくが『火の鳥(鳳凰編)』を初めて読んだのは、中学生の頃の図書室だと記憶しております。

それで、読み終えて学校を出て家に帰るまで、周囲がずっと真っ暗だった。その時ぼくは、ストーリーのない理不尽な「死」に初めて触れた気がするんですね。

たられば:ストーリーのない死、ね。なるほど。

ヤンデル:先ほどのおかざき先生のお話を受けると、「ああなるほど、絶妙なタイミングの死だったんだな」と物語性を感じるんですけども、当時のぼくはそういうことも気づかずに、この茜丸というキャラクターは、なんて意味もなく死んでいくんだ……と思って、ああ、死というのは意味なんて関係なく訪れるんだ……と実感したんです。

おかざき:そうですね、うん。

ヤンデル:それで、その夜、ぼくは夢を見るんですけども、その夢が、3~4歳のぼくが公園のベンチに座って下を向いていて、その横にシルクハットを被った黒ずくめのおじさんがぼくの肩を、大丈夫だよ、というように「ぽんぽんぽん」と叩いているんです。

ああもう大丈夫なんだ……と思っていたら空から黒いものがわーっと覆いかぶさってきて、そのおじさんの首のあたりから消えていってしまう……という夢をですね、その頃から高校、大学に入るまで何度も見るんです。

それがまるで茜丸の上に火の鳥が覆いかぶさって焼き尽くすようなシーンと似ていて、あの夢は『火の鳥』のせいじゃねえか、というエピソードを加えさせていただいて、ぼくはそろそろ移動するのでこれにて。ありがとうございました。

たられば:お、おお、ありがとうございました。

水野:いま視聴者の皆さんのツイートも見てみたんですが、「茜丸のあのシーンは、もうこれでなにものにも執着しなくていいんだ、という救いを描いているのでは」と言ってらっしゃる方がいました。

そうか、やっぱり執着って苦しいものでもあるんですよね。

たられば:『火の鳥』って全般的に、ものすごく理不尽ですよね。理不尽に現れて理不尽に死を与えたり不死を与えたりするでしょう。

水野:そうですね。最初から最後まで理不尽ですね。

たられば:普通は、一般的な物語だと、主要キャラクターが死ぬのであれば、そこに意味を与えたくなるじゃないですか。読者としては「この死にどんな意味があるんだ」と探りたくなる。

けど『火の鳥』にはそういう伏線や回収がないんです。いきなり死んだり、いきなり真理を告げられたりする。

これは先ほどの『ちいさいモモちゃん』にも言えることですが、「生や死の理不尽さ」をそのまま描くのって、すごく読者を信頼していないと出来ないことなんだろうな……と思います。

「わかるだろ」とパスを投げられているような。そういうアプローチでしか辿り着かない種類のテーマを扱っている気がします。
※連載「#物語の生老病死」(全4回)は次回に続きます。この記事は連載2回目です
【連載①はこちら】 鬼たちは会社員?無惨の〝パワハラ会議〟「鬼滅の刃」で語る生老病死
【連載③はこちら】葬儀は生きている人のため? 『葬送のフリーレン』で考える死と老い
【連載④はこちら】死後ツイートは消す?作品は残ってほしい? おかざき真里さんの答え

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