連載
#12 #医と生老病死
葬儀は生きている人のため? 『葬送のフリーレン』で考える死と老い
漫画家おかざき真里さん・編集者たらればさんと語り合う

わたしたちの「生老病死」観をかたちづくった物語は、どんなものだろう――。「物語の生老病死」をテーマとしたトーク、今回はさまざまな「死」が描かれる漫画『GANTZ』(ガンツ)と『葬送のフリーレン』について語ります。最澄と空海が登場する『阿・吽』で「死」を描いた漫画家・おかざき真里さんは、それぞれの作品での「死」の描かれ方の違いに着目しました。
令和に生きる、医師でもないわたしたちは、生きることも老いることも死ぬことも、〝物語〟を通して知るのではないか――?
そんな、あなたの「生老病死」観をかたちづくった〝物語〟はどんなものですか。
2022年7月25日夜に開催したTwitterSpacesイベント「#物語の生老病死」にて、漫画家・おかざき真里さんと、編集者・たらればさん、withnews編集長の水野梓が語った内容を記事化したものです(構成はたらればさん、全4回予定)。
「SNS医療のカタチ」のイベントの一環として開催され、メンバー(医師・大塚篤司さん・堀向健太さん・山本健人さん・市原真さん)にも「影響を受けた物語」を聞きました。同イベントの詳細は公式Twitterアカウント(@SNS41010441)をフォローしてください。
漫画家。最澄と空海を描いたマンガ『阿・吽』(ビッグコミックスピリッツ)が2021年5月に完結。フィール・ヤング(祥伝社)で『かしましめし』連載中。ツイッターは @cafemari
だいたいニコニコしている編集者。ツイッター @tarareba722 のフォロワーは20.7万人。漫画やゲームや古典の情報を発信している。
理不尽なのは「死ぬこと」ではなく…?
わたしも読んでました。絵がすごくきれいで大好きな作品です。
2000年7月連載開始で、マンガ界における「デスゲームもの」のパイオニア的な作品だなあと(小説だと『バトルロワイヤル』が1999年に発表)。
水野:わたしは単行本派だったんですけども、登場キャラクターも背景もすごく丁寧に描き込まれていて、世界観に引き込まれるんですよね。
そのうえで、登場するキャラクターが無慈悲にどんどん殺されていくという……。
けいゆう先生が「特に印象に残った」ということで挙げられたセリフが、超能力者・坂田研三の言葉で、
この作品に関して、けいゆう先生から「推しポイント」も伺っています。
坂田は、自殺しようとしていた少年を救ったのちGANTZの世界に来ますが、結果的に本人が生きることの重荷を悟ってしまいます。生への執着を捨てた坂田の最期に痺(しび)れました」
たられば:いい意味で変態。
おかざき:いい意味で。
たられば:なるほど。ええと、おかざき先生もつい最近、(『GANTZ』のように)人がバンバン死ぬ作品をお描きになられましたよね(『阿・吽』)。
「目の前で他人がいきなり死んだとき、それに直面した人はどう振る舞うのか」、「どんなふうにびっくりするのか」って、作家さんはどう勉強するのでしょうか。
おかざき:うーん、どうですかね……。ある程度までは「テンプレート」をお借りしますよね。
そのうえで、その作家なりの世界観やシナリオやキャラクターによる演出を加えるわけですが、奥先生の場合、そこに、これは褒めているんですが、やっぱりちょっと「変態的な人間観」があるように思えます。
たられば:死の描写に「変態的な人間観」。
おかざき:「死とは、いかに理不尽であるか」というような描き方をされていて。
水野:あー……そうですね。
おかざき:『GANTZ』には、物語の後半に入っていくと「生き返る」というコマンドが出てくるじゃないですか。
水野:はいはいはい(激しくうなずく)。
おかざき:この新コマンドが絶妙に不思議な効果を発揮していて、というのも「生き返るかもしれない」とか「生き延びられるかもしれない」という希望が生まれると、登場人物たちが「生きる意味とは」みたいなことをよりいっそう考え始めるんですよね。「なんのために頑張って生き残るんだ」というような。
たられば:わわわ、いきなり深くなってきましたね。ひたすら理不尽だった「死」に追加様相が生まれると、人は意味を求め始めると。
おかざき:「おれはあそこへ戻りたい」とか「あの未練があるから生き延びる」というように語るんですが、それでも相変わらず「死」は理不尽で、そうなるとよりいっそう「生」と「死」のバランスが際立つんです。
水野:なるほど……。
たられば:え、どういうことですか?
おかざき:すごく残酷で痛そうに死んだり、未練を残して死んだり、「生き返る可能性もあるのに生き返らずに死ぬ」ということを繰り返し見せられると、「死」が悲惨で、なんとしても避けたいもの、というふうに思うじゃないですか。
たられば:あー、そうか、なるほど! 読者にとっての「死」への感情も、作者が作品内で(その作品なりに)位置づけていると。
おかざき:そうですそうです。たとえば、このあとで出てくる『葬送のフリーレン』(山田鐘人/アベツカサ著のマンガ)とかだと、登場キャラクターがやりたいことをやり遂げて満足して死ぬ、というような描かれ方がありますよね。
そういう描かれ方だと、作中のキャラクターも読者もそれほど「死」に忌避感は持たないだろうと。
たられば:そうですよね……。登場人物や読者が「死」について抱く印象も、作者の演出のひとつということですか。たしかにそうだなあ。これはすごい話だ。
おかざき:それと『GANTZ』の世界ってものすごい残酷で不幸じゃないですか。
水野:ずっと殺し合いですもんね……。
おかざき:はい。あの世界から「降りる」ためには、死ぬしかないわけです。死ぬともうゲームに参加しなくてよくなる。
だから、あの作品を読んでいると、死がものすごく悲惨に描かれていて、痛そうで理不尽で、それでも「死」はそれほど避けるべき不幸なのか……? という不思議な感覚に陥ってくるんですよね。
たられば:まさに「生死のバランス」。
おかざき:だからこそ、けいゆう先生の挙げた坂田の「もう生き返らせないでくれ」という言葉の重みがすごいなあと思うわけです。
回が進むごとにそのフレーズの意味が重くなっていって、最終盤に差し掛かると読者は「もしかして理不尽なのは、死ぬことじゃなくて生きることなんじゃないか……?」と思うようになるという。
たられば:ああー……『阿・吽』(おかざき真里著)でも、最澄さんが「生は苦です!」と叫んでいましたよね…。
水野:この一連の坂田のシーンで、主人公である玄野圭を生き返らせるのか、と、ちょっとした議論になるんですよね。「死んだり生き返らせたり、そんなチープなことでいいのか」と語られていて。
わたしがリアルタイムで読んでいた頃は玄野に感情移入していたので「何言ってるんだ早く生き返らせなきゃ」と思っていたのですが、時間がたっていま読み返すと、「そうだよな……生き返ってもまた地獄を味わうんだよな……」と躊躇する気持ちもすごく分かるようになりました。
たられば:あるキャラクターに感情移入すると、自分の死生観を相手に反映しちゃいますよね。
水野:そうなんです。だから「早く生き返らせて!」と思ってしまうんですが、でも考えてみると、どう生まれてくるかが、そもそも理不尽じゃないですか。死ぬことも理不尽だけど、生まれることも理不尽なんだよなあ……と。
「若い頃より…」と考える時間のほうが長い
水野:ほむほむ先生が挙げてくださったシーンが、これは1巻ですね。アイゼンというドワーフが、主人公のエルフ・フリーレンに語るセリフです。
もうだいぶ歳をとってきて、『もうこの先の人生でいうと、今年が一番最盛期だろう』と思いながら生きるのがいいんです」
水野:この作品、お読みになった方も多いと思うんですが、簡単に説明すると、主人公であるフリーレンは「魔王を倒して世界を救ったパーティの魔法使い」で、そしてエルフなので長生きなんですよね。
なので、パーティのほかの「人間」のメンバー、たとえば勇者ヒンメルは年老いてフリーレンよりも先に死んでしまう。その、勇者が亡くなってから始まる物語です。
おかざき:本当に、設定がとてもびっくりしました。
水野:おかざき先生はこの『葬送のフリーレン』はどう読みましたか?
おかざき:すみません、まだ途中で最新話まで追いついていないんですが、楽しく読んでいます。
まず思ったのは、「死」というのは生きている側からしか語れないんだな……ということでした。「生老病死」の中で一番「死」が不公平な立ち位置だな、と。
たられば:ふ、不公平。
おかざき:生も老も病も、人は生きながら老いながら病みながら語ることができるんですが、「死」だけは、そっち側に行っちゃったら語れないんですよね。それはもう生きている側が語るしかない。
それを、本当に、ほむほむ先生が仰ったように、淡々と語るしかないという。
たられば:そうですね。
おかざき:それで、旅の途中でフリーレンが「勇者ヒンメルならこうした」とか「こう言った」と思い返すシーンがあるんですが、つまりヒンメルはフリーレンの中で生き続けている。
以前『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス)というフレーズが流行しましたけども、遺伝子の力をつかわなくても、人は言葉や振る舞いで思いを継いでゆくことができるんだな……と思いました。
(ここでほむほむ先生がTwitterSpaceに登壇)
アレルギー専門医・堀向健太。ツイッター @ped_allergy のフォロワーは10.3万人。記事や本、ツイッタースペースなどで医療情報を発信し、SNS医療のカタチで活動する
ええと、たとえば人類はすごく長いあいだ、近代以前、江戸時代の頃でも寿命が30代とか40代くらいまででした。ぼくなんかはもう当時の平均寿命をとっくに越えています。
老眼もきてるし内臓も弱っていて、生き物としてこれもういいんじゃないの、という年齢になっているなあと。当直とかすると次の日は1日、屍のようになっているわけです。
たられば:いやいやまあまだ元気にやってもらわないと困るんですが、ええと、それで。
ほむほむ:はい、それで。もう若い頃のようには働けないなあと思うわけですけども、考えてみたら実際の「若い頃」よりも、「もう若い頃のようには働けない」と思いながら働いている時間のほうがずっと長いんです。
おかざき:ああ……それは本当にそうですね……。
ほむほむ:この「物語の生老病死」というテーマだと、どんな作品を挙げようかな……と考えた際に、最初は『はだしのゲン』(中沢啓治著)や『銀河英雄伝説』(原作は田中芳樹著のSF小説)などいろんな「死」にまつわる作品が浮かびました。
でもこの『葬送のフリーレン』にしたのは、「どうせなら、生きていることについて考えたいな」と思ったからなんです。
お爺さんになった勇者ヒンメルが、彼はナルシストなキャラクターなんですが、「歳をとったぼくもカッコいいだろう」と言うんですよね。
たられば:あそこ、いい話ですよねえ。
ほむほむ:そうなんです、いい話なんです。勇者ヒンメルは「老い」を肯定的に受け入れているんです。そして「やがて死ぬ自分」も受け入れている。
たぶんぼくも、歳をとって老いを受け入れて、だんだんと「そのうち死ぬ自分」を受け入れることになるんだろうなあと思えるんですよ。
水野:その境地に、達せますかね……。
ほむほむ:このツイッタースペースの最初で、たらればさんが『鬼滅の刃』を挙げてましたよね。
あの作品の鬼たちって、長く生きているクセにめちゃくちゃ「生」にしがみつくじゃないですか。命を燃やすというか、死を避けるというか。
あれはあれですごいなあと思うんです。長く生きると、それでも生にしがみつくのか。あまり頓着しなくなるのか……。
たられば:わたくし以前、緩和ケア医の西智弘先生とお話したときに、「死が怖い」というときの「怖さ」って、その大部分は「死を直前にした時に自分が変わってしまうのが怖い」ということじゃないかな、と思ったんです。
すごく取り乱したり、未練がましく叫んだり逃げ回ったりするんじゃないか、やり残したことや後悔に苛まれるのではないかと。
水野:ふむふむ。
たられば:なので西先生に、「そういうふうに直前に変わる人ってけっこう多いですか?」と聞いてみたんです。
そしたら「自分の経験でしか言えませんが、そんなに変わらないですよ、その人なりにどう生きてきたかの延長線上にあると思います」と仰られて。あ、なるほどな、そりゃそうか、と。
それ以降、「死の直前に変わることを怖がるよりも、(延長線上にあるんだから)なるべく後悔や反省をしないように生きておこう」と思うようになりました。
ほむほむ:ですよね。でもなかなか満足できないじゃないですか。
たられば:そうなんですよーー。満足して死を迎えられる気がまったくしない。
ほむほむ:「満足して死ななきゃいけない」と強要されて生きるのも嫌ですしね。
たられば:まったく仰るとおりです。「満足して死ぬためにいろいろ我慢して生きる」というのはかなり本末転倒な気もするし、とはいえ案外それが本質的な気もするし。
水野:『葬送のフリーレン』を読んでいると、まあタイトルに「葬送」と入っているからというのも大きいと思うのですが、亡くなってゆく人の気持ちと同時に、見送る側の人の気持ちも同じくらい大事なんだなということが実感できますよね。
おかざき:『ノルウェイの森』(村上春樹著)に、「葬儀は生きている人間のためにやるもの」というようなセリフがあって、『サプリ』でも似たセリフを書いたんですけども、やっぱり葬儀というのは、まだ生きている人が生き続けるためにやることなんだな、とは思います。生きるためにお葬式をやると。
水野:Twitterでもいろいろとご意見をいただいているのですが、『葬送のフリーレン』については、「主人公が物語のカセットテープのA面を聴き終えてB面にしたら、次のキャラクターたちの物語が始まったように感じる」というツイートがありました。
たられば:なるほどー。すばらしい比喩だけど、この比喩に膝を叩くと年齢がバレますね。
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