連載
#10 #医と生老病死
鬼たちは会社員?無惨の〝パワハラ会議〟「鬼滅の刃」で語る生老病死
漫画家おかざき真里さん・編集者たらればさんと考える

わたしたちの「生老病死」観をかたちづくった物語は、どんなものだろう――。漫画家・編集者たちが語り合いました。マンガ『鬼滅の刃』に登場する鬼たちの生き方を、おかざき真里さんは「死なないのになんて現実的な生き方をしているんだろう……」といいます。また、編集者たらればさんは『風の谷のナウシカ』の族長の娘ナウシカを「村人の『死』や『老』を肯定し祝福する役割を担っている」と指摘します。話は多岐にわたりました。
令和に生きる、医師でもないわたしたちは、生きることも老いることも死ぬことも、〝物語〟を通して知るのではないか――?
そんな、あなたの「生老病死」観をかたちづくった〝物語〟はどんなものですか。
2022年7月25日夜に開催したTwitterSpacesイベント「#物語の生老病死」にて、漫画家・おかざき真里さんと、編集者・たらればさん、withnews編集長の水野梓が語った内容を記事化したものです(構成はたらればさん、全4回予定)。
「SNS医療のカタチ」のイベントの一環として開催され、メンバー(医師・大塚篤司さん・堀向健太さん・山本健人さん・市原真さん)にも「影響を受けた物語」を聞きました。同イベントの詳細は公式Twitterアカウント(@SNS41010441)をフォローしてください。
漫画家。最澄と空海を描いたマンガ『阿・吽』(ビッグコミックスピリッツ)が2021年5月に完結。フィール・ヤング(祥伝社)で『かしましめし』連載中。ツイッターは @cafemari
だいたいニコニコしている編集者。ツイッター @tarareba722 のフォロワーは20.7万人。漫画やゲームや古典の情報を発信している
漫画家「物語に出会うとそこから妄想を始める」
おかざき真里(以下、おかざき):よろしくお願いします。
たらればさん(以下、たられば):よろしくお願いします。
水野:まず今回のイベントの発案者であるたらればさんから、「なぜ物語の生老病死について語ろうと思ったのか」を伺えますか。
たられば:はい。インターネットとSNSが広まった現代社会って、超高度情報化社会なわけですよね。あらゆる体験はテキストと動画で検索可能になり、共有され、受信と発信されています。
そうしたすさまじい情報流通量の中で、わたしたちは実際に体験するよりもはるかに多くの「生」や「老」や「病」や「死」を知ることになります。
そういう時代において、わたしたちの生老病死「観」へ最も影響を受けるのは、「物語」だと思うわけです。
わたしたちは物語を通して生きることや老いることや病むことや死ぬことを学ぶのではないか。
だとしたら、皆さんどんな物語で生老病死を知ったのか、という話を伺ってみたくて、一緒に考えたくて、このテーマを立ち上げました。
本日20時、一時間後にTwitter spaceを実施しますー。視聴無料。お時間になりましたら下記Tweet内のURLをタップしてください。皆さまから集まった #物語の生老病死 について語ります。私が挙げた物語は…『鬼滅の刃』です!! https://t.co/Z67Q5OIl3D
— たられば (@tarareba722) July 25, 2022
おかざき:はい、見ました。皆さんとてもたくさん挙げてくださって、見るたびに「ああこれもあった」「これも語りたい」というものばかりで。のちほどぜひ取り上げたいと思います。
たられば:とても時間内に終わる気がしませんよね。終わらせる気があるのかという。
(※当初は1時間半を予定していましたが、2時間に延びました。すみません……)
水野:終わらせましょう、朝までには(笑)。というわけで、おかざきさん、いかがですか、「物語の生老病死」。
おかざき:いやー、今日はわたしのほかに編集者が二人いるということで、心強いです。
水野・たられば:?
おかざき:編集者って「物語を読み解く仕事」じゃないですか。なのでこうしたテーマに向いていると思うんですよね。
で、いっぽう漫画家って、「物語を受け取ったらそれを取り込んで妄想を始める仕事」なんですよ。
たられば:妄想を始める仕事。たしかに(たしかに?)。
おかざき:なのでもういま皆さんから「物語の生老病死」を伺った段階で、妄想が広がっちゃって大変です。それをなんとか、両編集者にまとめていただければと。
水野:それはまた……まとめがいのある……(笑)。
たられば:編集者冥利に尽きる剛速球パスが来ましたね。
水野:今回のトークイベントはのちほどwithnewsで記事化いたします。原稿をまとめてくださるのはたらればさんで。
たられば:はい、が、頑張ります(スルーパスが……)。
おかざき:それで、広がった妄想を語っちゃうと、それって「わたしの生老病死」になってしまうんですよね。そこを気をつけたいなと思っております。難しいなと。
たられば:よくわかります。ただそうやって、自分の生老病死に引き寄せないと語れないという側面もあるんですよね。そうでないと太刀打ちできないというか。
おかざき:はい。ですから本当は皆さん一人ひとり登壇してもらって、ご自身で語ってもらうのがいいのではないかなと思いつつ、進めたいと思います。
無惨様の〝パワハラ会議〟
わたくしが選んだのは、皆さんもご存じですよね、本編では8巻、『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』でも取り上げられたシーンです、煉獄杏寿郎が語った以下のセリフ。
老いるからこそ 死ぬからこそ 堪(たま)らなく愛おしく 尊いのだ
強さというものは 肉体に対してのみ使う言葉ではない」
『鬼滅の刃』全編を通したテーマになっているセリフだなと思いますし、わたしだけでなく、マンガと映画を通して多くの日本人の死生観に影響を与えたセリフだなあ……と思っております。
たられば:本作品って、全編を通して鬼と鬼殺隊ってどこか似ているように描かれていて、どちらの構成員も大きな不幸を背負っているわけなんですが、ハッキリと、「弔い」に関する考え方の違いが大きいんですよね。
鬼たちは基本的に誰が死んでも弔わない。弔われたいとも思わない。
いっぽう鬼殺隊は当主を筆頭に、「弔う」という行為をすごく大切に扱っていて、主人公である炭次郎も「鬼舞辻無惨を倒す」という最終目的を果たしたあとは「家に帰って両親妹弟を弔いたい」と願うんです。
水野:なるほどなるほど。先ほどの煉獄さんのセリフは本当に考えさせられますよね……。
おかざき先生は『鬼滅の刃』という作品をどう読みましたか?
おかざき:そうですね……わたし『鬼滅の刃』の「鬼」を見ていて、死なないのになんて現実的な生き方をしているんだろう……と思っていました。会社員みたいな。
たられば:か……会社員?
おかざき:ええと……上司に怯えて命令に従って、と。
たられば:ああはいはいはい、鬼舞辻無惨様の「パワハラ会議」とか。
おかざき:そうなんですよね。あの作品の中で、彼ら(鬼)は「鬼であること」をやめたくなるだろうな……と思うんです。
老いたり怪我で死ななくなる代わりに上司(?)から無茶な命令をされ続けて、それにずうっと従うことを強要されて。
たられば:あー、学校の教師から指導されるのを嫌ったヤンキーが、そこから飛び出したはずなのになぜかより厳しい不良の上下関係に組み入れられることになっちゃって、「あれ……こんなはずでは……?」と思ってしまうような。
おかざき:そう……かな(笑)。
これはわたしが言うのもなんなのですが、仏教的には「生」というのは苦行であり、「死」はそこから救われる一手段であって、さらにいうと輪廻の連鎖から逃れること、「もう人間に生まれ変わることはない」というのを目指す教えがあるんですね。
たられば:あーそうかぁ…なるほど……「執着を手放すこと」を目指すわけですね。
おかざき:そうそう、そうなんです。あの作品の中の「鬼」は、鬼になったことでよりいっそう執着に絡めとられているように見えてしまって……。
人間側のキャラクターも執着を持つ人はたくさんいるのですが、それでも人は死ぬことができるので、「それ」を手放すことができる、というふうに描かれているように感じるんです。

たられば:まあそんな生き方(?)は無惨様が許さないんでしょうが……、その無惨様にしても「生き延びること」が最優先事項になっているんですよね。
ただただ「死なないために生きる」という、命の使い方としてはあまりよろしくない方向に全精力を使っている感じがしてしまうという。
おかざき:それもわたし、今回「なぜ人は物語を求めるんだろう」というところまで考えてしまいまして。
たられば:な……、なぜ人は物語を求めるか!(風呂敷が一気に広がってやや興奮)
おかざき:「生きる」って、それだけでもいいじゃないですか。本来なら「死なないために生きる」でもまったく問題ないわけです。
でもきっと、わたしも含めてみんな「それだけ」では耐えられないんですよね。自分の「生」に何か意味とか意義があるんじゃないかと考えてしまう。
「何もない」ということに耐えられないんじゃないか、だから人は「物語」を求めてしまうんだと思うんです。
そもそも生老病死って、全部理不尽ですよね。でもその理不尽さにも意味があるはずだと思って「物語」にそれを求めているのではないかと。
たられば:この話、やっぱり朝までできますね。

「死にゆく者を抱きしめるため」
おかざき・たられば:どうぞどうぞ。
水野:わたしが影響を受けたのは『風の谷のナウシカ』(宮崎駿監督)です。
水野:どちらもすごく心に残っているのですけども、幼い頃に最初に見たアニメ版で、クシャナに対して谷のおじいさんのひとり、ゴルが言う言葉が振り返ると最初かなぁと。
「じゃが、わしらの姫さまはこの手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい」
たられば:これ、いま思えばですけども、「この言葉がクシャナに向けて語られる」というのがこの作品のすごいところですよね。
アニメ版のクシャナはこういう言葉が一番通用しなさそうな相手だし、いっぽう原作マンガ版のクシャナには響きすぎるというか。王である父や兄に謀略で命を狙われる立場なわけですし。
水野:そうなんですよ! わたし、原作マンガ版を読んだのは高校生くらいの頃で。
アニメ版しか知らなかった頃は「クシャナ、ひどいやつ」と思っていたのが、読んだら「あ、そういう背景だったんだ……」という感じになりまして。
たられば:子どもの頃に「老い」に対するセリフに感動する、というのはなかなか凄いですね。早熟というか。
だって少女時代の水野さんは、「ゴルじいさん」に感情移入して感動したわけですよね。
水野:それは……(笑)実は最初は「こういうことが言えるような、ナウシカのような人間になりたい」と思ったんです。
歳をとった人にそういう感情を抱いたことがなくて、そうか、「歳をとる」というのはこういうことなのか、サラッと言えるナウシカ、マジかっけーな、と。浅くてすみません……。
たられば:いやいや浅くないですよ、子どもの頃ってみんなそんな感じだと思います。
「老い」がリアルじゃないんですよね。大人にはなるだろうけど、老いるとは思っていない。
たられば:おおぉ……かっこいいです……。
おかざき:原作マンガ版の作者である宮崎駿さんがその頃のインタビューで、「ナウシカの胸は大きいでしょう」と言っていたんです。
「あの胸は、子どもにおっぱいをあげるためのものでも、異性を誘惑するためのものでもなくて、死にゆく者を抱きしめるためのものなんです」と語ってらして。
たられば:あー……なるほど……「族長の娘」は葬送の儀礼の祭祀でもあると。そうかあ……。
水野:今回のイベントに先立ってマンガ版を読み直したんですが、テトをみとったのも胸のなかでしたね。テトを胸元に入れるシーンが本当に印象的に描かれているんですよね。
たられば:いまおかざき先生と水野さんの話を伺って思ったのですが、これ、もうすこしドライな見方をすると(ドライだからって正しいとは限らないのですが)、族長の娘ナウシカは、村人の「死」や「老」を肯定し祝福する役割を担っているんですよね。
もっと直接的に言うと、ナウシカは「村のために老いて死ぬまで働くことを全肯定する存在でなければならない」という象徴なのかなあ……と。
おかざき:マンガ版の『ナウシカ』には「僧正さま」というキャラクターが出てきて、亡くなる直前にみんなへ語り掛けるんです(2巻p.125)。
その内容がすごく淡々としていて印象的で、よく覚えています。
すでに帰るべき国を失い 多くの肉親を殺され 強権の恣意の下に流浪をつづけねばならん
だが ひるむな 困苦に耐えよ 屈辱の元でも 子を生み 育てよ」
大変な苦労をするだろうけども、恨んだり憎んだりせずに、淡々と生きてゆきなさい、と。
たられば:『ナウシカ』の世界の住人たち、みんなしんどそうですもんね……。
おかざき:そうなんです。みんな大変そうなんです。
それでも日々を大切にして生きていきなさい、と言っていて、この言葉をナウシカは最後まで大事にしてたんじゃないかなと思います。
それで、ナウシカも覚悟を決めて、たらればさんが仰ったような「祝福する役目」を引き受けたんじゃないかと。そう考えると「ナウシカのようになりたい」と思った水野さんも、すごいなあと思います。
水野:そ、そこまでの覚悟は、わたしには……(苦笑)。
これを機会にぜひぜひ皆さんも『風の谷のナウシカ』を読み直してもらいたいです。
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