連載
#16 #啓発ことばディクショナリー
「人財」が搾取される現実…企業の〝やってる感〟を演出する言葉遊び
聞き心地のいいフレーズに隠されたもの
「人財」といった仕事にまつわる造語を、求人情報に盛り込む企業は少なくありません。こうした言葉がなぜ広まったのか。そして、働き手を大切にする字面と裏腹に、どうして過労はなくならないのか……。考えるヒントを得ようと、筆者は労働問題の専門家・今野晴貴さんに話を聞きました。インタビュー中の発言を振り返ってみて、思い至ったのは、企業と労働者が対等に付き合うことの重要性でした。(withnews編集部・神戸郁人)
「人財(人材)」「志事(仕事)」など、労働にまつわる造語をつくりだし、求人情報や社内向けのスローガンに盛り込む企業があります。働くことを、過度に賛美するような響きを伴うのはどうしてだろう。筆者は、疑問に思ってきました。
一連の言葉が、どんな目的で使われるのか知りたい。そんな思いから取材した、今野さんの発言のうち、とりわけ印象に残っているフレーズがあります。「企業には、働き手に対する強力な命令権がある」という一言です。
筆者自身にも、このことを痛感した経験があります。
大学時代の一時期、登録型の人材派遣事業者を介して、路上で小売店のビラを配る仕事に従事しました。ある日の勤務中、指定された配布場所に人通りがなく、チラシが全くはけない事態に陥ったのです。
その後、派遣元企業の許可を得て、通行人が多い地区へと移動。順調に業務をこなしていたところに、小売店の男性社員が巡回にやって来ました。なぜ元々の持ち場を離れたのかと問われたため、事情を説明すると、彼はこうすごんだのです。
「どんな理由であれ、派遣(労働者)の立場で、仕事の内容に勝手に意見するなんて許さない。二度とうちの店に来させないこともできるんだぞ」
理不尽さを覚え、感情が高ぶりましたが、当時はお金を稼ぐ必要があり、何も言い返せませんでした。そして実際に、その店舗に派遣されることはなくなったのです。
非正規労働者の立場の弱さと、企業と働き手の間にある、権力関係の根強さを思い知りました。
上記の体験はごく個人的なもので、一般化するのは難しいと思います。派遣元企業と小売店との間で、配布場所の変更に関する連絡の行き違いがあったのかもしれません。社員の資質や人格の問題である、とも考えられるでしょう。
とはいえ働き手が、企業から不当に取り扱われることは多いようです。今野さんは取材中、過去に受け付けた労働相談の事例を紹介してくれました。中には、超過勤務や上司の嫌がらせにより、退職に追い込まれたケースも少なくありません。
「人財」などの言葉には、こうした労働を巡る過酷な現実を、覆い隠してしまう一面があるのではないか。今野さんへのインタビューを通じ、筆者はそう思いました。
対人サービスを提供する事業者には、勤務経験が浅い社員を、店舗の責任者に抜擢(ばってき)するところがあります。役職に就いてもらう際、「早期に成長できる」「現場の仕事を知って欲しい」などの理由付けがされることもしばしばです。
こうした主張には、確かに納得できるところがあります。しかし、働き手の意に反する長時間労働や、過剰なノルマの正当化に利用されがち、という点は否定できません。「人財」であるはずの人材が、搾取されるかもしれないのです。
今野さんの著書『ブラック企業』(文春新書)に掲載されている、小売店SHOP99(現・ローソンストア100)の事例では、入社一年足らずの男性社員を店長に登用。4日間で80時間働かされるなどして、うつ病になり休職したといいます。
そもそも、私たちはどうして働くのでしょうか。筆者は、「生きるため」に他ならないと考えています。生活費を稼ぎ、日々の糧と交換する。労働とは本来、それをかなえる手段に過ぎないはずです。
しかし仕事を長く続けるには、やりがいも大切です。そこで「自己実現」「社会貢献」といった言葉が持ち出されます。一人ひとりの働きが、より大きな目的のためになされている。そんな実感が、労働に特別な意味を伴わせるのです。
労働への対価を得ることと、仕事にやりがいを感じることは、車の両輪と言えるでしょう。しかし「人財」を始めとする語彙(ごい)に触れると、後者を過度に重んじる印象を受けます。
こうした言葉には、「働き手を厚遇している」というイメージづくりに役立つ側面があります。だからこそ普及したと言えるかもしれません。
一方、過重労働や残業代未払いの撲滅など、急務とされる職場改革が立ち遅れている企業が多いのも事実です。
今野さんは「企業と労働者の間で利害が対立した場合、それを調整するのが雇用関係である」と語りました。業務命令を出し、社員を使役できる企業は、強い権限を持っています。だからこそ、働き手を守る雇用契約が不可欠なのです。
もちろん、両者は敵対しているわけではありません。むしろ、対等なパートナーとして手を携えていくべき間柄です。企業が発する言葉が、関係性のバランスを崩す一方通行の内容になっていないか。吟味する意義は大きいと感じています。
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