連載
#12 #啓発ことばディクショナリー
「人財」なぜ流行?背景に「命令断れない国民性」今野晴貴さんの分析
働き手を食い潰す〝無抵抗の論理〟
「人材」を「人財」と書き換えた単語を、街中で見かけることはありませんか? 労働者を財産と捉える言葉として、求人情報などに用いられ、今や辞書にも関連項目が載るほどメジャーです。積極的に使われるようになった背景に「企業の命令を断れない国民性」があると、労働問題の専門家・今野晴貴さんは分析します。会社を中心に回る日本社会の現実について聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)
筆者が「人財」に注目したきっかけは、2年前の夏の体験です。
地下鉄内で見た人材派遣企業の広告に「人財の力で業績アップに貢献する」との一文が載っていました。働き手を重んじていると感じつつ、大げさな言い換えだと思ったことを覚えています。
この言葉をめぐる評価は「労働者への優しさが伝わる」「何かうさんくさい」と、ほぼ二分されています。一方、三省堂国語辞典(第8版)の「人材」の項に「『財産である人』の意味で『人財』とも」とあり、市民権を得た表現とも言えそうです。
「人財」を用いる企業は、社員の幸せを支えているとのイメージを伴います。だからこそ、経営者に好まれてきたと考えられるかもしれません。
ただ、労働相談を受け付けているNPO法人POSSE代表の今野さんは、「必ずしも前向きな理由だけで普及したわけではないのではないか」と話します。
生活が十分に守られないのに、企業の命令権だけは温存されるーー。そんな社会の変化が、劣悪な労務管理を行い、労働者を食い潰す「ブラック企業」が成長する素地をつくったとも、今野さんは話します。
しかし健やかに働ける環境が整えられないなら、企業の主張に耳を傾ける必要はないはず。なぜ抵抗が広がらないのでしょう? 今野さんに疑問をぶつけると「会社の命令に従う以外の論理が、日本社会には少ない」との答えが返ってきました。
「資本主義社会は本来、地域社会や家族・親族関係、職業人同士がつながる業界団体など、様々な要素を含みます。そして、各領域で人間的なつながりが育まれるものです」
「でも日本では戦後、『会社共同体』が圧倒的に優先され、今では他の集団のほとんどを淘汰(とうた)してしまいました。日本には『会社』のつながり以外が残っていないのです」
転勤を繰り返してきた筆者にとって、この発言は耳が痛いものでした。赴任地の風土になじめても、異動辞令が出れば「仕方ない」と受け入れてきたからです。暮らしが仕事に根ざしている以上、勤務先の指示を無視することは難しいと感じます。
心の揺らぎを見透かしたかのように、今野さんが続けました。
「会社の命令は水戸黄門の印籠(いんろう)みたいなもの。『会社があるので』と言えば、大抵のことは『仕方ない』となってしまう。そこに自己責任論が加わり、職務上『使える』人間になることを常に強いられる。そんな状況があるのではないでしょうか」
更に話題は、組織や目上の立場にある人からの言いつけにあらがいがたいという、ある種の国民性にまで及びました。
例えば戦時中、国民に兵力や労働力の確保を呼びかけるスローガン「産めよ殖(ふ)やせよ」を始め、国に尽くす市民(臣民)であれという要請が広がりました。こうした押しつけ型の「ロールモデル」に対する抵抗の弱さが招いた、悲惨な結果の一つに「特攻」があります。
「歴史学者の吉田裕さんは、著書『日本軍兵士』(中公新書)で、特攻の非合理性を指摘しています。航空機で敵艦に突撃する際、揚力によって破壊力が弱まるため、十分な戦果が得られないのではないか。当時から分かる人には、そう分かっていたようです。実際に、特攻機が6機命中しても一隻の駆逐艦を撃沈できなかった事例もあるようです」
「この無謀な命令に対し、兵士たちは衝突寸前に爆弾を切り離して、その直後にあえて離脱せずに突っ込むという形で戦果を挙げようとした。このことについて、吉田さんは次のように問うています」
「軍隊の側は、爆弾を切り離せないようにわざわざ加工することまでしていたようです。パイロットたちの『無言の抗議』だったにしても、無謀な作戦も自らの死も所与のものとして受け入れられてしまっています。無理な命令は承知のうえで、そこに順応する以外になかったということでしょう。こうした服従の精神は日本社会に残っていないでしょうか」
今野さんによれば、その最たる例がブラック企業だといいます。自助努力による職務能力の養成を重んじる風潮に乗じて、無際限な過重労働などを社員に課す。社員は命令に逆らえず、心を病んでしまう……。会社中心社会の、負の側面です。
ただ近年は、ブラック企業への忌避感が人々の間で共有され、法規制も強まっています。
その在り方が問題化する中で、あくまで雇う側が作りだした、明るい意味合いの「人財」という言葉が流行したのだろう――。今野さんは、そのような見立てを披露してくれました。
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