コロナ禍で人と会えない日々が続き、情報やコミュニケーションの空白地が広がっている――。そんな問題意識を持っていたジャーナリストの小原一真さん。コロナ禍での看取りを記録する「空白を埋める」の活動に取り組んでいます。これまで話を聞いてきた福島第一原発の作業員や、東日本大震災の津波被災者の語りとも共通する点があり、テキストだけでなく、ドキュメンタリーやアート展示でも発信しています。「空白を埋める」に込めた思いを聞きました。
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小原一真(おばら・かずま)さん:1985年岩手県生まれ。写真家、ジャーナリスト。ロンドン芸術大学フォトジャーナリズム修士課程修了。2011年、東日本大震災直後から津波や福島第一原発事故の被災地域の撮影を始める。チェルノブイリ原子力発電所事故を記録した 『Exposure/Everlasting』(2015)、ビキニ水爆実験がテーマの『Bikini Diaries』(2016)など、戦争や核といった災禍の「最前線」に焦点を当てる。2016年の世界報道写真展「人々の部」1位受賞。2020年から、コロナ禍の最前線で働く看護師・介護士による看取りの記録「空白を埋める」を続ける。
――看護師や介護士に「看取り」を振り返ってもらう「空白を埋める」の活動。このタイトルにはどんな思いを込めたのでしょうか。
まずは患者とのやりとりを記す「プロセスレコード」の真っ白な空欄(空白)を埋めるというところから着想しました。見えなくなっている最前線の空白地帯を看護師、介護士の言葉が埋めていく。
また、聞き取りを始めた頃は、人と会えない緊急事態宣言下で、コミュニケーションにおける「空白」も大きくなってきていた段階でした。日常の会話の積み重ねを行うことができず、互いにコンテクストの分からない言葉が増えてきてしまう。そこでミスコミュニケーションや共有できない思いが増えていってしまう。
本人が「プロセスレコード」に記入して、小原さんがインタビューで深掘りする看取りの記録「空白を埋める」。コンビニプリントで配布していましたが、このたび小原さんが手づくりで製本・販売を開始しました 出典: 水野梓撮影
これは看護の現場でも起きていて、感染リスクを避けるため、現場での会話が限られていました。あのとき本当はどう思っていたのか、話ができないこともあります。それぞれが考えていたことの空白を埋めたいとも感じました。
「空白」って、もともとはそこに何かがあったんですよね。何もなかったわけじゃなくて、そこにあったものが隠されたりして見えなくなっている、それを埋める取り組みです。そんな思いを込めています。
――「空白を埋める 見えるものと見えないもの」と題したドキュメンタリーでは、コロナ禍の看取りだけでなく、津波の被災者と原発作業員の「語り」が並列していました。「元々あったものが見えなくなっている」「空白にさせられてしまっている」という点で共通点があったのでしょうか。
2011.3
津波から守って、船一隻残ったけんど、結局、船なんかいらねかったや(漁師)
2013.4
子供たちの未来のためにって言うけど、実際のところ、今生まれてきた子どもたちだって、将来、廃炉のために働かないといけない(原発作業員)
2021.3
人間らしい最後を迎えるってなんなのかなって(コロナ病棟看護師)
<いずれもドキュメンタリー「空白を埋める」より>
津波の被災者としてインタビューに答えてくれた方は、僕の親友のお父さんです。船を避難させようと沖に逃げていたんですが、当時のことは僕も聞いたことがありませんでした。
当時も今も言えてない話って、いっぱいあるんじゃないでしょうか。トラウマがあるからという理由だけではなく、機会がなかったという人もいると思います。
そして10年経って、だんだんと「東日本大震災」が教科書の中の出来事という世代になっていきます。リアルに知っている世代が減っているという意味で、空白になっている情報なんじゃないかと思いました。
福島を写した写真からも考えさせられるKYOTOGRAPHIEの展示 出典: 水野梓撮影
そして原発も、制限区域自体が情報の「空白」地となっています。看取りの現場も、見えなくなっている「空白」でした。
――小原さんは感染者や医療従事者への差別について問題意識を持たれています。なぜこんなことが起きてしまうのでしょうか。
どの国でも、最初はやっぱり何らかの形で差別が起きていたと思います。「差別をやめよう」と言っても、未知なるものへの恐怖のリアクションとして起こってしまう。
感染症を発端として、それまで溜まっていた鬱憤がマイノリティーへの差別という形に現れていた部分も大きかったと思います。「中国発のウイルスだ」といってアジア人ヘイトが起きたこともそうでした。
しかし、その時に言葉だけではなく、行動として、政治家などの公人がメディアを通して、望ましい振る舞いを具体的に見せることの重要性を他国の報道を見て感じました。
過去の事例ですが、2014年にアメリカでエボラの感染が確認された時、治療中に感染した看護師がいました。当時のオバマ大統領は、退院後、お見舞いに行ってハグをして迎えました。テレビインタビューでその看護師が「教会に行ったとき(感染を恐れて)握手を拒否された」と話した時は、すぐに質問者のジャーナリストが「私は握手します」と行動を起こしました。
そんな積み重ねが重要なのではないかと感じます。言葉だけではなく、信頼される政治家や発信力のある人が、感染症に関する知識を踏まえた上で「あるべき振る舞いはこうだったのではないか」と具体的な行動で示し、社会で共有すること。その蓄積が大事だと感じています。
2020年9月、コロナの療養者施設の「カギ」を撮ったもの。強い消毒で皮のキーホルダーはぼろぼろになっていました。小原さんは、特定の個人の撮影が難しい中、「人につながる表現をするためにそれぞれの鍵を撮影した」と言います 出典: 水野梓撮影
――日本ではなかなか「あるべき振る舞い」を共有する機会がないのでしょうか。
「追悼式」もそういうものの一つだと思います。コロナへの恐怖ではなく、悲しみの先を共有するプロセスが、社会の中で必要だと思うんです。
いまはコロナ禍の死については、どんな感染をしてどのような状況で亡くなったのかという「状況」にフォーカスが当たりがちです。「どんな人生を送ってきた人が命を落としたのか」はほとんど知ることができません。芸能人やメディア関係者といった、いわゆる著名人を除き、顔を出して実名で感染を明かす人は多くなく、顔の分からない数値が人々の恐怖心をあおり続けます。
五輪の開会式で世界中のコロナ禍の死者に対する黙禱がありましたが、悲劇を共有し、他者の死に対し、思いを寄せるという行為を「追悼式」のような儀式を通して、一つの共同体で行うことは、差別を乗り越え、様々な悲しみを共有する上で重要なステップだと考えます。
看護師や原発作業員の印象的な「言葉」も展示されているKYOTOGRAPHIEの展示室。キュレーターの天田万里奈さんは「小原さんの記録した最前線の写真や言葉がそれぞれ共鳴している、エコーしているような展示です」と話します 出典: 水野梓撮影
――「空白を埋める」を読むと、最前線にいる医療従事者も、制限のある中でできる限り「悼む」プロセスをやろうとしていることが伝わりますね。
災禍の最前線にいる人の話を聞いていると、そこには他者を想う人情がありました。看護師も、原発作業員もそうです。
レッドゾーンでは滞在時間を短くしなければならない制限があっても、手をさする、納体袋の上から布団をかける……といった、できることをやろうとされていました。
文字にしたらあまりインパクトのないことかもしれないけれど、人の尊厳を守るための思いがそこに凝縮されていて、すごく重要なことだと感じました。
そういう情報を制限区域の外にいる僕たちも知るべきではないかと思いました。最前線で死者を悼む行為が共有されることで、日本社会が1万7000人以上のコロナの死を悼むというプロセスに行き着かないだろうかと考えています。
仕切られたKYOTOGRAPHIEの展示室。ある看護師は、壁1枚を隔てて「こちらがコロナ病棟、あっちは一般病棟」ということに違和感があったと「空白を埋める」の中で振り返ります 出典: 水野梓撮影
――「空白を埋める」にはどんな反響がありましたか。
僕の母は、このプロセスレコードを初めて読んで「まだ納体袋に入れられているの?」とびっくりしていました。
岡江久美子さんや志村けんさんが亡くなった時に話題になりましたが、その時だけのことと思っていたそうです。母は新聞でもテレビでも情報をとっていますが、そこにはコロナの死者を想像できるような情報がないんだなと思いました。
「死者に対して考えていなかったことに気づけた」「感染者や死者数といった数値を追っていたことに気づかされた」という感想もいただきました。
二条城で展示されているプロセスレコード。話を聞いていて泣いてしまうことがあるそうですが、ため込まないという小原さん。「話をする人がたくさんいて、妻や子どもが応援してくれている環境に救われているのかもしれません」 出典: 水野梓撮影
――「空白を埋める」の記録をまとめた冊子をコンビニプリントで配ろうとしたのは、「できるだけ早く知ってほしい」「共有したい」という思いがあったのでしょうか。
亡くなった数としては海外に比べて少ないとしても、メディアが「数」だけを見て「感染者が右肩下がりです」「重症者が減った」といったことを言うわけですよね。重症者が減ったのは、死者が増えたからかもしれない。
数値だけで語るのではなく、数値の先にある手触り感のある人の存在を感じてもらうために、オンラインではなく、印刷物の冊子配布を始めたという面があります。移動の制約がある中、感染防止策を考えながら、少しでも早く共有するために、全国どこにでもあるコンビニでプリントできるようにしました。
小原さんが手製した本「空白を埋める」。二条城の展示エリアなどで購入できます 出典: 水野梓撮影
緊急事態宣言が明けた今、「空白を埋める」の冊子を、手製本として新たに本にしました。大切な言葉を丁寧な形で読者に届けたくて。表紙には、鴨川で撮ったお盆の写真を使っています。
日常の中で悼んでいる風景を撮りたくて、送り火の日を選んで撮影しました。この鴨川沿いにも、誰かのことを悼んでいる人がいるかもしれません。
――コロナ禍の看取りの記録は、「死者何人」という数字をひとりひとりに戻す試みなのかなと感じました。
NYタイムズの追悼記事に「数字に顔を与える」というプロジェクトがあります。911のテロの追悼プロジェクトを、「もう一度やらなきゃいけない」とコロナ禍の追悼記事プロジェクトチームが立ち上がり、今では500本以上の個々の物語が記録されています。
ドイツのシュタインマイヤー大統領は「あらゆる数字の裏に人の運命があり、人々の存在があるということを、われわれ社会が自覚できていないような印象がある」と言っていましたが、ただの数字じゃないんですよね。
もちろん数値というのは統計としては疑いなく必要ですが、イタリアの新聞で、亡くなった方の名前を何ページにもわたって記載したように、そこにはその数だけの実態のある「ひと」がいます。いろんな国で、人の物語を伝えようとしているメディアがあります。
看取りの場面をプロセスレコードという手法で記入する様子。映像が二条城の展示室で流れています 出典: 水野梓撮影
――今回の展示で、プロセスレコードを熱心に読んでいる若いカップルや、涙をふいている若い女性を見かけました。「アートだから刺さる」という人もいるだろうなと感じました。
表現によって、「何かを超える」っていうのは特に物事が見えづらいテーマにおいて重要だと感じています。僕はフォトジャーナリストとして活動を始めましたが、既存の枠組みの中で伝え切れないと思った時に、表現の幅を拡張するために常に変化することが必要だと思っています。
様々な表情を持つ〝福島の海〟を表現するために、小原さんが「サイアノタイプ」という青写真の手法で表現した作品。海の成分に含まれる物質による、化学変化の様子を撮影していった作品です 出典: 水野梓撮影
僕自身は、アーティストとかジャーナリストとか、肩書きに意味がなくなってきていて、どれだけ自分が表現者として拡張できるのかが重要なんだと思います。
より広範な人に届けるという意味では、表現の力を柔軟に取り入れ、「報道」から逸脱してもいいし、しなくてもどっちでもいいと思っています。
実は、福島の取材をしていて壁にぶつかったのが、「目の前の風景をただ撮っていても、その背景にあるものが乖離していて、何も伝わらない」ということでした。
ただ撮るのではなく、コンセプチュアルなものに寄せていったり、抽象的なものを通して表現したり……違うアプローチがないと、自分が見ているものにたどり着けない時もあると感じました。
展示されたプロセスレコードを熱心に読み込む来場者 出典: 水野梓撮影
――「空白を埋める」では、本で読んで紙をめくっていくのと、展示されたプロセスレコードを展示会場で読むのと、たびたび言葉に詰まりながら肉声や表情が伝わるドキュメンタリーで見るのとでは、それぞれ感じ方が違うなと思いました。
本と、空間と、映像と、どうやって情報が入ってくるのかによって、情報の認識の仕方って間違いなく変わると思います。
ドキュメンタリーとして映像で見せるのは、本人が感情的に語る部分もあり、よりエモーショナルに情報伝達がなされます。それが文字情報になると、行間などの余白を想像で埋めるところもあり、より能動的に内容に触れることが出来る側面もあります。
デザインされた空間で他者とともに読むテキストもまた違います。自分が伝えたいものがどうしたらより伝わるのか、それぞれの効果を考えながら、もっとも意味のある伝え方を常に考えていきたいと思っています。
ECHO of 2011─2011年から今へエコーする5つの展示
小原一真さん「空白を埋める」
キュレーター:天田万里奈
展示場所:二条城 二の丸御殿 台所・御清所
時間:午前9時半から午後17時まで(10月13日は休み、二条城への入城は午後4時まで)
入場料など詳細は
公式ウェブサイトにてご確認ください