連載
#8 #医と生老病死
納体袋に布団をかけた看護師 コロナ禍の看取り、現場で聞いた声
「本当なら袋に入れて見送りたくない」最前線の思い
「遺体を袋に入れて見送りするのは経験したことがなかったので、何とも言えない気持ちになりました」。コロナ禍で、看取りの最前線にいる看護師や介護士らの聞き取りを続けているジャーナリスト・小原一真さん。記録をまとめた冊子をコンビニプリントで配布する「空白を埋める」に取り組んでいます。なぜこの活動を始めたのか、話を聞きました。
プロセスレコード:1950年代、米国の看護師、ヒルデガルド・ペプロウが提唱したもの。患者と看護師のコミュニケーションを時系列に記述し、再構成した記録
看取りの記録を続ける中で、ある看護師さんが言った言葉。
— Kazuma Obara / 小原一真 (@kazumaobara) August 30, 2021
「メディアは、死というものを明らかに避けてるなと思いました。」
連日、伝えられる死にまつわる報道の中に、どれだけその故人の人間性を伝える言葉があるのだろうか。数値は恐怖心を煽るけれど、他者への思いやりを醸成するとは思えない。
遺体を袋に入れて見送りするっていうのは経験したことがなかったので、何とも言えない気持ちになりました。このまま家族とも会えないままに火葬されて家に戻ってくる。それから初めて家族と面会するわけですから。
私としては、最期に関わらせてもらってありがという、という気持ちがありました。患者さんとの関わりが私の日常なので、その時間を、ありがとう。(2021.3記録「空白を埋める1」より)
「外に出るので納体袋に入らないといけないので、狭いけど入ってくださいね」と声をかけて、納体袋を広げ、チャックを開けました。
私はこの袋には入りたくないな。やっぱり狭そう。窮屈やなと思いました。
なるべく圧迫されないように頭も足もゆとりをもたせて入れようと思いました。
その上からさらにお布団をかけました。患者さんは病院で亡くなられた時、ケアをして手を組んでお布団を掛けさせてもらうんですけど、袋に入ったからといって、袋のまま患者さんを待たせておいていいものではないなって。
お布団をかけるのが当たり前だと思いました。だって中に入ってるのは患者さんなので。(2021.3.18記録「空白を埋める」より)
本日、ドキュメンタリー『空白を埋める』初日です。16時45分から出町座にて。東日本大震災・福島第一原発事故からパンデミック下の最前線の人々の記録です。1週間しか公開しておりませんので、是非足をお運び頂けたら嬉しいです。https://t.co/uQbXlbwTmK pic.twitter.com/yGndnm2SBl
— Kazuma Obara / 小原一真 (@kazumaobara) October 1, 2021
患者さんを納体袋にどうしても入れないと駄目なんですけれども、それも出来ることなら、ギリギリまで待ちたいなと思うことがあります。
本人は亡くなってはいるんですけれども、その袋に入れるのに抵抗があったというか。
本当なら入れたくないけれどっていうのはあります。(2021.3.18記録「空白を埋める」より)
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