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連載

#8 #医と生老病死

納体袋に布団をかけた看護師 コロナ禍の看取り、現場で聞いた声

「本当なら袋に入れて見送りたくない」最前線の思い

「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」では、二条城で小原一真さんの作品が展示されています。小原さんが取材してきた災禍の最前線のうち、コロナと福島第一原発の写真や言葉が共鳴するように展示されています。展示は17日まで
「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」では、二条城で小原一真さんの作品が展示されています。小原さんが取材してきた災禍の最前線のうち、コロナと福島第一原発の写真や言葉が共鳴するように展示されています。展示は17日まで 出典: 水野梓撮影

目次

「遺体を袋に入れて見送りするのは経験したことがなかったので、何とも言えない気持ちになりました」。コロナ禍で、看取りの最前線にいる看護師や介護士らの聞き取りを続けているジャーナリスト・小原一真さん。記録をまとめた冊子をコンビニプリントで配布する「空白を埋める」に取り組んでいます。なぜこの活動を始めたのか、話を聞きました。

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連載 #医と生老病死
小原一真(おばら・かずま)さん:1985年岩手県生まれ。写真家、ジャーナリスト。ロンドン芸術大学フォトジャーナリズム修士課程修了。2011年、東日本大震災直後から津波や福島第一原発事故の被災地域の撮影を始める。チェルノブイリ原子力発電所事故を記録した 『Exposure/Everlasting』(2015)、ビキニ水爆実験がテーマの『Bikini Diaries』(2016)など、戦争や核といった災禍の「最前線」に焦点を当てる。2016年の世界報道写真展「人々の部」1位受賞。2020年から、コロナ禍の最前線で働く看護師・介護士による看取りの記録「空白を埋める」を続ける。

モザイクをかけ、声を変えられた医療従事者

――小原さんは、コロナ禍の「看取り」を看護師や介護士に直接記録してもらったり、インタビューしたりして、その内容を発信する「空白を埋める」に取り組んでいます。なぜ始めようと思ったのですか?

初めて緊急事態宣言が出た後の2020年4月に、コロナ治療にあたる病院職員がバスの乗車拒否に遭うなど差別を受けたという報道がありました。
顔にはモザイクがかかっていて、声も変えられていました。それを見て、とても悔しく感じました。最前線で患者さんを守ろうとする人々までもが差別の対象になる状況ってなんなんだろうって。


福島第一原発事故の時にも、最前線で収束作業に従事する作業員の方が同様に「隠されて」いました。デジャブのような既視感を感じ、自分は見えなくなってしまった「個」を撮影したいなと思ったんです。

原爆、原発事故、エイズやハンセン病などを経験した日本では、その最前線にいて守られるべき存在の人々が長年差別と闘っています。「また歴史を繰り返すんだろうか?」と思いました。

制限がある「最前線」への取材は…

――コロナの最前線で感染症と向き合っている医療従事者の方々が、本来なら顔を隠したり声を変えたりする必要はないと考えたんですね。

とはいえ、匿名を純粋に排除すれば良いと思っているわけではありません。

差別が事実として存在する中、それを乗り越えていく過程の先に、匿名でなくても良くなる状況が患者さんも含めて作られていくことが望ましいと考えていました。5月に初めてインタビューした看護師さんは、院内感染が起きてしまった病院で働いていて、匿名でお話を聞きました。
看取りの場面をプロセスレコードという手法で記入する様子。映像が二条城の展示室で流れています
看取りの場面をプロセスレコードという手法で記入する様子。映像が二条城の展示室で流れています 出典: 水野梓撮影
――取材の制限がある医療現場ですが、どのようにアプローチしていったのでしょうか。

発表媒体をもたないフリーランスのジャーナリストが病院から取材許可を得られるとは思えず、しばらく、知り合いをたどって、紹介してもらった病院の看護師さんに「匿名でもいいので、お話をうかがえませんか」とお願いしていました。

看護師さんも組織の人間ですから、病院の許可なく話をしている間は、匿名で話さざるを得ませんが、まずはそれでも最前線の話を聞きたかった。でもある時、看護師さんの一人から「これって匿名じゃないとダメなんですか?」って聞かれたんです。

自分の立場に甘んじて、結局、匿名を乗り越えられる手段を見つけられないままの自分をどうにかしなければと思いました。それから、看護協会さんや看護・福祉大学の教授に相談するなどして、病院から許可を得て、徐々に取材させていただけるようになりました。これまで25人ほどに話を聞いています。

看護を記す「プロセスレコード」

――看護師や介護士たち本人が「プロセスレコード」という紙に看取りの体験を記録して振り返り、小原さんがインタビューして深掘りする……という構成なんですね。

最初の頃、無症状患者の療養施設の看護師さんから、利用者とLINEでやりとりしていることを教えてもらいました。
「熱は何度です」「体調はどうですか」といったかたちで、報告などの事務的なやりとりの中に、行間をなんとなく想像してしまうものもありました。

僕は看護の素人なので、友人の看護師と取材に動いていました。その友人がLINEでのテキストのやりとりを「プロセスレコードみたいだね」って言ったんです。「それ何ですか?」と本を借りて調べてみたら大変興味深かったんです。

プロセスレコード:1950年代、米国の看護師、ヒルデガルド・ペプロウが提唱したもの。患者と看護師のコミュニケーションを時系列に記述し、再構成した記録

何が起きて、そのときどう感じて、どう行動したか……本人にプロセスレコードを書いてもらうと、僕が聞くだけでは出てこない言葉がたくさんありました。
KYOTOGRAPHIEで展示されているプロセスレコード
KYOTOGRAPHIEで展示されているプロセスレコード 出典: 水野梓撮影
病院の外にいる僕たちがざっくりと「コロナ病棟」として捉えているものが、プロセスレコードでは一つ一つの言動、感情の動きが記述され、映画のシネマスクリプトみたいに描写されます。

6月ごろから看護師さんに書いてもらい、その様子を映像に記録して、インタビューで尋ねていくというかたちに聞き取り方法を発展させていきました。

――取材の対象も、看護師から福祉施設の介護士や職員たちへと広がっていっていますね。

施設の方はコロナに感染して亡くなったわけではないけれど、コロナ禍で家族の面会制限があるなど通常とは異なる死に直面されています。いろいろな立場で「コロナ禍の死」に向き合っている人を記録に残したいと考えるようになりました。おひとり、遺族の方にもプロセスレコードを書いてもらいました。

納体袋への拒否感 逸脱した「悼み方」

――看護師が「看取り」を振り返っている記録では、ご遺体を黒い「納体袋」におさめることにすごく拒否感があるんだというのが印象的でした。

遺体を袋に入れて見送りするっていうのは経験したことがなかったので、何とも言えない気持ちになりました。このまま家族とも会えないままに火葬されて家に戻ってくる。それから初めて家族と面会するわけですから。

私としては、最期に関わらせてもらってありがという、という気持ちがありました。患者さんとの関わりが私の日常なので、その時間を、ありがとう。(2021.3記録「空白を埋める1」より)

僕は納体袋に遺体を入れた経験がないので、想像がつかなかったことでした。

本来あるべき悼み方から逸脱した時、そこにいるそれぞれの立場の人が深く傷つくことを知りました。
 
プロセスレコードに記入する介護士。故人を思い返す行為が「悼む」ことにつながっているといいます
プロセスレコードに記入する介護士。故人を思い返す行為が「悼む」ことにつながっているといいます 出典: 水野梓撮影
看取りのインタビューを通じて「死後の患者さんへの処置とお見送りまでが看護だ」ということも学びました。

ある看護師長に「通常はどうやって見送るんですか?」と聞いたら、「できるだけご遺体が一人にならないようにしています」とおっしゃっていました。「一人にしたら寂しいですから」って。

亡くなった患者さんを納体袋に入れた後に、お布団をかけた看護師もいました。

「外に出るので納体袋に入らないといけないので、狭いけど入ってくださいね」と声をかけて、納体袋を広げ、チャックを開けました。

私はこの袋には入りたくないな。やっぱり狭そう。窮屈やなと思いました。

なるべく圧迫されないように頭も足もゆとりをもたせて入れようと思いました。

その上からさらにお布団をかけました。患者さんは病院で亡くなられた時、ケアをして手を組んでお布団を掛けさせてもらうんですけど、袋に入ったからといって、袋のまま患者さんを待たせておいていいものではないなって。

お布団をかけるのが当たり前だと思いました。だって中に入ってるのは患者さんなので。(2021.3.18記録「空白を埋める」より)

亡くなっているから「圧迫感」を感じることはないんですけど、「袋に入れたら狭いかな」とためらっていた看護師さんもいました。看護師さんは制限下の中で出来る看護を考え、人の尊厳を守ろうとしている。

しかし、看護に含まれる「悼む」という領域で、通常のようにやりたいことができない。だから皆さん苦しんでいます。手袋をしたまま、泣きながら「すみません」と頰をなでたりする。コロナ禍で人を悼むという行為について深く考えさせられました。

届けたい問い 「人間らしい最後」って?

――今回、KYOTOGRAPHIEの展示にあわせて制作したドキュメンタリー「空白を埋める」を拝見しました。最後に登場した看護師が涙ながらに「人間らしい最後ってなんなのかな」と語っていたのが印象的でした。

「当たり前」がよく分からなくなってきている中で、本当に諦めてしまってはいけない部分まで、最前線から遠く離れた人たちが議論もせずに許容している社会の風潮があるのではないかと感じています。
「コロナなので納体袋に入れ、火葬後に骨で帰ってくる」という、プロセスが感染防止のための共通認識として「そうなんだ」「しょうがないよね」と、納得してしまいがちですが、本当にそうなんだろうかと。

看護師さんが「本来、人があるべき死ぬ姿ってこうじゃないと思います」という言葉に、「そうだよな」と気づかされました。

患者さんを納体袋にどうしても入れないと駄目なんですけれども、それも出来ることなら、ギリギリまで待ちたいなと思うことがあります。

本人は亡くなってはいるんですけれども、その袋に入れるのに抵抗があったというか。

本当なら入れたくないけれどっていうのはあります。(2021.3.18記録「空白を埋める」より)

看護師、患者、家族や葬儀会社などが現場で感じる「葛藤」が、社会全般の共通認識にはならず、一部のところで起きている他者の「葛藤」になっている。

その認識が社会で共有されるためには、匿名性を乗り越えた個人の物語がもっともっと広く共有される必要があるのではないかと思っています。
来場者に解説する小原さん(左)と、KYOTOGRAPHIE展示のキュレーターを務めた天田万里奈さん(中央)
来場者に解説する小原さん(左)と、KYOTOGRAPHIE展示のキュレーターを務めた天田万里奈さん(中央) 出典: 水野梓撮影
――感染者の葬儀のガイドラインには、亡くなった人からの感染リスクは低いとされ、火葬に立ち会ったり、お顔を見たりするのは問題ないのではないかと考えます。現状を知らないことで「コロナなんだからしょうがない」って思ってしまうのでしょうか。

差別の問題と関連して、コロナの「死」がタブーになっている中、現場の状況が必ずしも共有されず、社会的な議論にまで発展していない実情があるのではないでしょうか。

看取りに関して、「本当はもっとこんなことができるんじゃないか?」「遺族や医療従事者ももっとこうしたいと思っているんじゃないか?」ということも含めて、情報が限定的です。だから最前線にいる人々の個々の思いはもっと共有されるべきじゃないかと感じています。
ECHO of 2011─2011年から今へエコーする5つの展示
小原一真さん「空白を埋める」

キュレーター:天田万里奈
展示場所:二条城 二の丸御殿 台所・御清所
時間:午前9時半から午後17時まで(10月13日は休み、二条城への入城は午後4時まで)
入場料など詳細は公式ウェブサイトにてご確認ください
◆小原さんインタビュー後編はこちら
コンビニプリントで配布する「看護師の声」原発作業員と重なる“空白”
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