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連載

#7 101歳からの手紙~満州事変と満州国~

日中戦争のさなか、五民族が共存した建国大学 101歳が語る満州国

五民族の学生が混じり合って勉強をする建国大学第1期生。制服を着ていることから、PR用として撮影されたとみられる(建国大学同窓会提供)
五民族の学生が混じり合って勉強をする建国大学第1期生。制服を着ていることから、PR用として撮影されたとみられる(建国大学同窓会提供)

目次

101歳からの手紙
1931年9月18日、中国東北部の奉天駅近くで、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破される柳条湖事件が起きた。日本が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日本人がいる。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。満州事変から90年の今、当時の内実を初めて語る。連載第6回は「建国大学と石原莞爾」。(編集=朝日新聞記者・三浦英之)
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「五族協和」を実現させる大学

満州教育専門学校の付属小学校を卒業後、私は奉天第一中学校(5年制)に入学した。

車に乗り始めたのは中学3年生の14歳の頃だ。当時、父親が満州銀行から自動車会社に転職したため、私も自然と車に詳しくなった。

中学5年生の秋、私は校長に呼び出され、満州国に新しくできる建国大学を受けてみないかと勧められた。

満州国の国是である「五族協和」を実現させるため、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族から優秀な学生を選抜し、将来の指導者を育成するために設立される6年制の国立大学らしかった。

私は、様々な民族が手を取り合い、米国のような国造りをするのだろうかと思い描いた。

かつて大連にいたころは、自宅が旧ロシア人街にあったこともあり、小学校の同級生にはロシア人や、富裕層の中国人や朝鮮人たちが、ちょうど外国人学校に入学するような感覚で一緒に学んでいた。

ところが、奉天の満鉄付属地に移ってからは、中国人が暮らす城内とは隔離され、居住区は完全に日本人だけのコミュニティーになっていた。そこには常に「日本人は日本人らしくしなければいけない」という偏屈な考えがあった。

私は満州国を、いつも周囲を気にしないですむ大連のような国にしたいと思い、建国大学を受験することにした。

日本人の受験資格は「20歳以下で中学校の成績がトップクラス、志操堅固、将来は大陸経営に献身する者」という条件付きで、学校と県の推薦を受けた者に限られていた。全寮制で就学費用は全額国費でまかなわれ、毎月の手当も支給される。個人負担は一切なしという好条件だったため、日本人定員枠の75人に対して約1万人が応募した。

建国大学の正門。日本国旗と満州国旗がそれぞれ掲げられている(建国大学同窓会提供)
建国大学の正門。日本国旗と満州国旗がそれぞれ掲げられている(建国大学同窓会提供)

治外法権的な「学問の自由」

試験に合格した私は1938年5月、満州国の首都新京(現・長春)の丘陵地に建設された建国大学の校舎に向かった。

1期生として日本人学生約75人、中国人学生約50人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人計約25人が入学し、顔を合わせた。

すでに日中戦争が始まっており、各民族が抱える思惑はそれぞれだったが、閉塞(へいそく)感が充満する世情の中で、アジア大陸の一角に力を合わせて秩序あるコミュニティーを作り上げようとの呼びかけは、若き血をたぎらせるのに十分だった。

これは入学後知ったことだが、大学の創設には関東軍が深く関わっていた。関東軍参謀の石原莞爾少将が基本構想を立ち上げ、辻政信少佐らが実現させた大学だった。

開学1年後には石原少将の学内講演があり、「日本は狂人となって戦争をやっている」「世に先んじて兵を進めた関東軍は、世に先んじて矛を収めるべきだ。満州国の内面指導などに口を出すべきではない」との持論を説いた上で、建国大学についても「役人と兵隊のお古はお断りだ」との方針が改めて強調された。

アジアの一角に民族協和の新しい国ができれば、日本にとってはソ連の脅威を防ぐ防波堤となり、同時にアジア諸国との連帯を深めることができる。でもそのためには、この地に住む人々が自発的に立ち上がることが必要で、日本が介入すべきではない、という発言だと私は受け止めた。

にらまれるべきはずの関東軍から逆に不干渉と自由のお墨付きをもらい、我々は学内にいる限りは治外法権的な「学問の自由」を保障されて、建国大学での暮らしをスタートさせた。(※第7回「希望と失望」はこちらです)
建国大学での食事風景(建国大学同窓会提供)
建国大学での食事風景(建国大学同窓会提供)

先川祐次(さきかわ・ゆうじ) 1920年、中国大連市生まれ。旧満州の最高学府建国大学を卒業後、満州国総務庁に勤務。終戦後は西日本新聞に入社し、ワシントン支局長としてケネディ米大統領の取材にあたった。同社常務を経て、退社後は精華女子短期大学特任教授などを務めた。

 

満州事変から90年。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日本人がいます。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。先川さんが当時の内実を初めて語る「101歳からの手紙~満州事変と満州国~」を随時配信します。

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