連載
#7 テツのまちからこんにちは
「島の蒸気機関車」を磨き続ける男の半生 〝名車〟に携わった技術力
培った技術力を地元に還元しようとする姿に敬意
今年で100周年を迎える国内最大級の鉄道工場「日立製作所笠戸事業所」がある山口県下松市。瀬戸内海に浮かぶ笠戸島に展示されている蒸気機関車(SL)「D51-592号機」は、今もきれいに黒光りしていて保存状態が良好です。それは、愛情を込めて手入れを続けてきた男性の努力の結晶でした。鉄道ファンの記者(25)が、「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。(朝日新聞山口総局記者・高橋豪)
今年の初め、笠戸島の宿泊施設「国民宿舎大城」の駐車場で見た、瀬戸内海に面して展示(静態保存)されているSLに魅了された私。調べていると、ここ数年熱心に保存活動をする市民グループがあることを知りました。
その名も「笠戸島D51(デゴイチ)592を燦(きらめ)かせる会」。《なんてストレートで思い入れの強さを感じる名前なのか!》。すぐ連絡を取ってみることに。
1月末、「D51-592号機」を訪ねると、作業服の男性がいました。ペンキが所々に付いています。「ちょうど塗装をしていたところです」。今は主に一人で保存活動を担う、奈良山孝司さん(48)です。
定期的に作って車体に取り付けるという期間限定のヘッドマークが、この日は付けられていました。2月中旬ごろから見頃を迎える早咲きの河津桜をデザインしたものです。「架線注意」のプレートもかけました。さらに、奈良山さんはSLに持参した発電機を接続してくれました。すると、ヘッドライトが点灯。現役当時の姿がよみがえったかのような、粋な演出でした。
奈良山さんは下松市の隣、周南市の出身。生まれて3カ月後の1973年5月、592号機は製造されたこの下松の地に展示されました。このSL目当てでよく笠戸島に遊びに来ていたといい、運転席に座って笑顔を見せる子どもの頃の写真を見せてくれました。
D51は、周南市の徳山動物園にも展示されています。「小学生の時、動物園での写生大会で、動物じゃなくてSLを書いていました」と奈良山さん。鉄道関係の仕事に就きたいと、鉄道職人を輩出し続けてきた県立下松工業高校(下松市)に進みます。
卒業後は、地元の日立製作所笠戸事業所に入社し、夢をかなえました。長く在来線電車の設備取り付けや電気配線の設計に携わり、特急車両では、JR九州の883系(「ソニック」など)、885系(「かもめ」など)」や、JR東日本のE351系(「スーパーあずさ」、すでに引退)に関わったといいます。
2年前に転職。今は、JR貨物のグループ会社で、貨車の整備をしています。職場はJR貨物の広島車両所。かつて国鉄の広島工場だった場所で、592号機もそこで整備されていたそうです。車体側面にうっすら残る「広工」の文字がその証しだと、奈良山さんが教えてくれました。
縁の深いSLだからこそ、ここまで気持ちを注ぐことができるのかと気付かされました。何より、培った技術力を還元しようとする姿に、敬意を感じました。
会を立ち上げたのは2014年。設立日はD51にちなんで5月1日でした。SLが引退後に相次いで静態保存されてから40年余り、老朽化が進み、取り壊される車両が出てくる中で、危機感を感じたのがきっかけでした。
奈良山さんによると、592号機は笠戸事業所が75周年を迎える25年ほど前に一度塗り替えられて以来、ほぼ手つかずの状態だったといいます。退職した先輩社員らと合わせて約10人で車体の保全や、SLを活用した地域おこしに乗り出しました。
最初に投炭口をのぞくと、中にはゴミが散乱していましたが、一つずつきれいにしていきました。運転室には特にこだわり、ハンドルが引けたり、バルブを回したりできるようにしました。
2016年からは塗装を進めています。古い塗装をはがして、さび止めを施してから上塗りをする本格的な作業。外からは見えにくいような細かな部品などが残っているため、今も休日には広島から来て、こつこつ続けています。メンバーが高齢になるなどしたため、今は実質奈良山さんが一人でしているそうです。
公民館での祭りに塗り絵を持っていったり、スケッチ大会を企画して子どもたちが描いた絵でカレンダーを作ったり、活動内容は多岐にわたります。補助金を活用することもありますが、自己負担も少なくないといいます。
奈良山さんに目標を聞くと、大きく二つありました。一つは、同じようなSLの保存活動に良い刺激を与えることでした。「全国では、壊されるかどうかの瀬戸際にあるSLがいくつもあります」。他地域の保存活動をチェックし、時には手伝いに行ったりもしているそうです。
もう一つは、子どもたちに親しんでもらえる遊び場にすること。「自分がそうだったように、『鉄道のまち』『ものづくりのまち』として、多くの子どもにものづくりに興味を持って、鉄道の仕事につきたいと思ってもらいたいです。このSLが、生きた教材になればいいなと思っています」
取材をした日も、天気の良い日曜日であったこともあり、592号機には多くの親子連れが遊びに来ていました。絶えず子どもたちが代わる代わる運転台に登るので、遠慮した私が運転席を見るまで20分ほど待ったほどでした。
「運転席で喜んでいる姿を見ると、やってよかったなと思います」。奈良山さんはこう話しながら、昔の自分と重ねていたのかもしれません。
今週のテツ語「JR九州の特急」
JR九州の特急車両は、革新的なデザインで注目を集めてきた。「つばめ」で1992年にデビューした黒い787系を始め、青が基調の883系(1995年)、白い885系(2000年)など、多くの主力車両は外観、内装ともに工業デザイナーの水戸岡鋭治さんが手がけたことでも知られる。「ななつ星in九州」(2013年)、「36ぷらす3」(2020年)といった観光列車も「水戸岡デザイン」で話題を集めた。日立製作所笠戸事業所で製造された車両が多いのも特徴。
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