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連載

#16 テツのまちからこんにちは

水戸岡鋭治さんとも〝激論〟鉄道技師のレジェンドが選んだ第二の人生

戦後の車両製造に革新をもたらした「A-train」名付け親

戸取さんが設計に関わったJR九州の特急車両。左が883系、右が885系=土屋亮撮影
戸取さんが設計に関わったJR九州の特急車両。左が883系、右が885系=土屋亮撮影

目次

今年で100周年を迎える国内最大級の鉄道工場「日立製作所笠戸事業所」がある山口県下松市。笠戸事業所の元社員でつくる団体は、郷土の遺産を守り整備する活動にも取り組んでいます。中心となっているのは、車両設計で多くの功績を残した男性です。設計図を描く技術をフル活用し、地元の歴史や文化財をわかりやすく伝えようとしています。鉄道ファンの記者(25)が、「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。(朝日新聞山口総局記者・高橋豪)

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#テツのまちからこんにちは
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こだわりの絵地図と設計図

笠戸事業所の元社員でつくる団体「日立のぞみ会」。子どもたちに理科やプログラミングの楽しさを伝えています。その活動拠点となるオフィスの壁に飾られていた一枚の絵地図が気になっていました。

そこには今から100年以上前の、「大正初期の下松笠戸湾岸の全景」が描かれていました。工業地帯が連なる現代からは想像も付かないような塩田や田畑が広がり、住宅もまばら。今の海岸線との対比も記され、一部が埋め立てられたことがわかります。

さらに、のぞみ会の活動内容にあった、「大谷渓谷の整備」も気になっていました。下松市の海岸とは反対側に広がる丘陵地帯を、自然公園にするプロジェクトです。聞くと、この取り組みの仕掛け人と、絵地図の作者は同じ会員とのこと。しかも、車両設計の分野では名の知れた元社員だとも教えてくれました。話を聞くべく、約束した1週間後にまたオフィスを訪ねました。

車両設計に長く携わった元主任技師の戸取(とどり)征二郎さん(77)=山口県光市=。一線を退いた今は、下松の郷土史研究に没頭しています。「会社にいた時、歴史は眼中にありませんでしたが、退職後に地元に恩返しをしたい意識もあって調べ始めると世界が広がりました」

持参したA3サイズの数冊のクリアブックには、郷土史を地図や絵、フローチャートなどでわかりやすくまとめた自作の資料が保存されていました。丘陵地帯にある大谷ダムについては、再現した設計図やスケッチを作っていました。

0.1ミリごとに太さの違う鉛筆を8本ほど使っているといい、直線はT定規を活用して規則正しく引かれています。スケッチは色鉛筆で濃淡をつけて仕上げていました。

「小中学校と、図工だけは『5』でした。ルールが決められている製図なら、頭にしみついているので楽です」と笑う戸取さん。実務での経験が豊富だったからこそ、ここまできめ細やかな描き方はできるのでしょう。

大谷ダムのスケッチと自作の設計図の説明をする戸取さん=2021年4月21日、山口県下松市、高橋豪撮影
大谷ダムのスケッチと自作の設計図の説明をする戸取さん=2021年4月21日、山口県下松市、高橋豪撮影
出典: 朝日新聞

車両製造にイノベーション

在職当時の話を始めると、戸取さんはとたんに真剣な表情に切り替わりました。幹部経験者でつくる別の団体「YKO(山口笠戸OB会)」の一員でもあります。笠戸事業所の鉄道車両づくりに変革をもたらした、キーパーソンの一人でした。

山口県北部、萩市の高校の機械科で学び、1962年に入社。最初は道路車両の設計を担当していましたが、1974年から電車の設計に移り、主に国鉄やJRの在来線を手がけました。20世紀末に日立製作所が開発した車両のコンセプト「A-train」の導入の立役者で、名付け親でもあります。

「A-train」とは、車両の構造と製造手法に革新をもたらした「次世代アルミ車両システム」のこと。少子高齢化が進む中、熟練労働者による労働集約型産業からの転換を図る必要があったことが開発の背景にありました。

具体的には、アルミニウム合金を車体の素材としたことで軽量化や騒音軽減を果たし、内装部品の取り付けなど製造段階をパターン化・様式化して生産効率を高めたのです。

名前の「A」は、「Advanced(先進的)」、「Amenity(快適)」、「Ability(性能)」、「Aluminum(アルミニウム)」の頭文字を取ったということで、戸取さんによるとジャズ楽曲「A列車で行こう」も名前の由来になったそうです。「自動車や飛行機との競争に勝つには、鉄道車両を工業製品化しないといけない。だからこそ古い体質を変えないといけないと思った」と話しました。

メンテナンスのコスト軽減や内装のリニューアルがしやすいといった利点もあって鉄道事業者からは広く受け入れられ、今では多くの通勤電車や地下鉄、特急の新車両がこのコンセプトでつくられています。

戸取さんはJR九州の特急車両の設計にも力を入れました。1987年に国鉄が分割民営化して新車両の開発が進められたことで、787系(1992年に黒い「つばめ」として登場)、883系(1995年に青い「ソニック」として登場)、885系(2000年に白い「かもめ」として登場)などの主力車両を手がけてきました。設計の度に、工業デザイナーの水戸岡鋭治さん、JR九州の幹部と三位一体となり、激論を交わしたといいます。

自身を「商人気質」と評し、「金の話ではデスマッチをしていました」と振り返ります。それでも、モットーは「乗客の視点で考え、100円もらったら120円分を返す」こと。何よりも信頼関係を大事にしてきたといいます。その後、九州新幹線800系や、観光列車「ななつ星」の設計にも携わりました。

JR九州の豪華寝台列車「ななつ星」を見学する子どもたち=2020年8月28日午前8時10分、佐伯市、佐藤幸徳撮影
JR九州の豪華寝台列車「ななつ星」を見学する子どもたち=2020年8月28日午前8時10分、佐伯市、佐藤幸徳撮影 出典: 朝日新聞

立体模型で示した「本気」

定年延長を経ての退職後、戸取さんは「入社以来背中を見て育った」という先輩の影響を受け、大谷渓谷に足を踏み入れました。

登山好きで、歩いてみると山奥に江戸時代の棚田があるなど発見が多く、昔に思いをはせながらハイキングができる自然公園にしようという思いが次第に強くなっていきました。中でも大谷ダムは「文化遺産にしたい」と意気込んでいます。

大谷ダムは石を積み上げてコンクリートで固める工法で、1938年に完成しました。下松を大規模な工業地帯にしようと用地取得が進められていましたが、当初は計画が進まず、塩田だった場所は田畑に転用されました。そのかんがい用水を確保するために、ダムは建てられたのです。

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ダムの所有権は、1944年に日立製作所へ移りました。下流に病院や社宅、社員寮が並んでいたことから、浄水場を新たに設け、こうした福利施設に水を引いたのです。その役割は、次第に細っていきながらも1995年ごろまで続いていました。意外にも、工業用水として使われることはありませんでした。

「豪雨も増えてきた今、治水ダムとして役割を果たしています」と戸取さん。文化財登録への機運を高めようと、ダムや渓谷全体の立体模型を自作しました。今では地元の豊井公民館に3つ展示されています。

公民館に展示されている、戸取さんが作った大谷ダムや大谷渓谷の立体模型=2021年4月22日、山口県下松市、高橋豪撮影
公民館に展示されている、戸取さんが作った大谷ダムや大谷渓谷の立体模型=2021年4月22日、山口県下松市、高橋豪撮影 出典: 朝日新聞

本格的に郷土史を調べ始めたのは5年ほど前からだといいます。笠戸事業所周辺の一帯では、卑弥呼の時代のものとされる銅鏡が出土しているなど、探究心をくすぐる話題は尽きません。

うっそうと草が生い茂っていたというダムにも、かけ合ってきた成果があったのか、2年前から会社が整備や調査を始めたとのこと。「ここまでやれば、本気だ、何かあると思って見てくれる」。妥協を許さない戸取さんの技術者魂には、学ばされることだらけでした。

大正初期の下松笠戸湾岸の絵地図を描いた戸取さん=2021年4月21日、山口県下松市、高橋豪撮影
大正初期の下松笠戸湾岸の絵地図を描いた戸取さん=2021年4月21日、山口県下松市、高橋豪撮影 出典: 朝日新聞
 

〈テツのまちからこんにちは(#テツこん)〉2021年5月でちょうど100周年を迎える、鉄道の全国最大級の生産拠点である山口県下松(くだまつ)市の日立製作所の笠戸事業所。山口に赴任した鉄道好きの記者が「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。

今週のテツ語「鉄道と他の交通機関の競争」
鉄道は常に飛行機や高速バスなどの交通機関と客の獲得で競争を繰り広げており、速度やサービスを追求して優位性の向上をめざしています。国土交通省が2015年に行った「全国幹線旅客純流動調査」(都道府県をまたいで移動する、通勤・通学を除いた旅客が対象)によると、全旅客のうち鉄道を使うのはおおむね2割。近距離では自家用車などが選ばれますが、300~500キロで割合は近づき、500~700キロでは鉄道がシェア64%で優位に立つという結果が出ています。また、単純な比較こそできませんが、飛行機か鉄道(新幹線)で選択が顕著に分かれる所要時間を指して、「4時間の壁」という言葉があります。

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