連載
#14 テツのまちからこんにちは
「券売機からきっぷの紙が消えた…」鉄道のまちを揺るがせたイベント
下松からイギリスへ「恩返し」の輸出
今年で100周年を迎える国内最大級の鉄道工場「日立製作所笠戸事業所」がある山口県下松市。鉄道産業を大々的にアピールするイベントが、ここ4年間で2度開かれました。笠戸事業所がつくり、イギリスに輸出する高速鉄道車両を、昼間に道路上で運ぶというもの。メダリストの凱旋パレードさながらの行事の熱狂を、鉄道ファンの記者(25)が振り返ります。(朝日新聞山口総局記者・高橋豪)
2017年3月5日午後2時、下松市の県道や国道には大勢の観衆が押し寄せていました。沿道を埋め尽くした人たちの目当ては、トレーラーに積まれて運ばれる1両の鉄道車両でした。黒いボディーに、先頭だけ黄色く縦に塗られた特徴的な車体は、これから海を越えて遠く英国まで運ばれようとしていたところ。カメラを持つ手が上に伸び、「おー!」「すごい!」と歓声が上がっていました。
2017年と2019年に2度行われた英国向け車両を陸上輸送するイベントは、今ではマニアに限らず知る人も少なくありません。
といっても、私が山口に赴任したのは昨年のこと。そこで、動画を見たり企画担当者に舞台裏を聞いたりして追体験しようと思い「現場」へ足を運びました。
車両が通ったのは、笠戸事業所から北西方面にある市内の港「下松第2ふ頭」までの約4キロ。普段、大きな鉄道車両が道路上で輸送されるのは交通量の少ない夜間なので、日中に行われるのは異例のことです。1回目の主催は市で、笠戸事業所や道路管理者、警察などの協力を得て実現した催しでした。
市役所に、当時の現場担当者を訪ねました。その一人、産業観光課(現・産業振興課)で港湾や道路を担当する係長だった高谷憲和さん(47)によると、最初に市で話をしたのは2016年の夏ごろだったといいます。あえて昼間に多くの人に見てもらい、大正時代から製造業で発展してきた「ものづくりのまち」をPRしようという発想で、「子どもたちにも見せて市を誇りに思ってほしい」という国井益雄市長の思いもあったということです。
第1回のルートは、いつも夜間に行っているものと同じでした。それでも、人が詰めかけることが予想されるため、安全対策が急務でした。市は1万5千人ほどが来ると予想していましたが、高谷さんは「車両に傷がつかないかや、警備、安全面ばかり考えていて、何人来るかなんて想像していませんでした」と振り返ります。
チラシや地元ラジオで宣伝。市職員124人を含む185人を運営にあてて、600台分の駐車場を準備して当日を迎えたのでした。
英国に輸出された車両は、政府肝いりの高速鉄道新車プロジェクト向けに受注したものでした。「都市間高速鉄道計画(IEP)」と呼ばれ、首都ロンドンと北部スコットランド、西部ウェールズをそれぞれ結ぶ主要幹線で、古くなった車両を置き換えるという大規模な計画です。
日立製作所は2012年、この計画に向けた車両122編成866両と、27年半の保守事業を、世界の名だたる大手鉄道車両メーカーとの競争を勝ち抜いて、英国の運輸省から受注していました。
電化区間と非電化区間のどちらでも走らせられるよう、発電用のディーゼルエンジンを搭載させたのも画期的。会社が技術や取り組みを報告・紹介する論文誌には、「日本で培った軽量化、高速化技術を英国鉄道システムに適応させて開発したもので、高品質で安定した鉄道サービスの提供に貢献していく」(2014年刊行分)とつづられていました。
形式は「class800/801」といい、2017年にウェールズ方面の路線で、2019年にはスコットランド方面の路線で運転が始まりました。
最高時速こそ200キロほどですが、特にスコットランド方面の英国東部を走る車両には「東」にちなんで「AZUMA(アズマ)」という愛称が付けられて親しまれています。
12編成は下松で製作し、残りは英国内に新設した工場が担いました。笠戸事業所が技術と人を結集させ、市内を中心とした部品メーカーとも力を合わせてつくった車両です。
英国といえば鉄道発祥の地なので、当時は「恩返し」とも言われて話題になっていたようです。そんな車両が下松から旅立つ前の晴れ姿を目に焼き付けられなかったことは……今も後悔してしまうほどです。
陸送イベントの日に戻りましょう。車両の価値を知るマニアがたくさんいたのか、それとも地元の魅力に触れたい市民が多かったのか、市職員の予想に反して、当日は想定の倍にもなる3万人ほどが来たといいます。下松市の人口が5万5千人あまりなので、単純計算で市民の半分以上にあたる数の人が集まったことになります。
車両は40分かけて港まで運ばれました。駐車場を増設してもすぐ埋まる事態になりましたが、幸い事故やけが人はなく大盛況に終わりました。産業振興課の大木則英課長(50)は「全国から来ることは想定していませんでした」と話します。「会場近くのコンビニエンスストアの商品が売り切れた」、「JR下松駅の券売機からきっぷの紙がなくなった」といった逸話が残っているそうです。
このイベントはもともと1回きりの予定でしたが、市は「鉄道車両のファンが多いのは観光コンテンツになる」と確信。今度は市政施行80周年を迎えた2019年7月に、2回目を開催しました。運ぶ車両を2台に増やし、実行委員会は商工会議所が担当。観光PRや飲食のブースを設け、企業の協賛も取り付けて規模を大きくしました。
2回目の時は雨が降っていたにも関わらず、前回を超える3万5千人が集まりました。山口経済研究所の試算では、経済効果は5億8千万円にもなったといいます。ですが、次があるのかどうかは笠戸事業所次第としか言いようがありません。観光資源とするには、不確定要素が大きいのが実情です。
「ものづくりのまち」と同時に「鉄道産業のまち」もうたう下松市。市役所のロビーにも、新幹線N700系の大きなパネルが掲げられていますが、様々な意味で笠戸事業所の存在の大きさを感じずにはいられません。大木課長は笠戸事業所の100周年について「市の礎と発展を支えてきた事業者。歴史を振り返り、産業の歩みを改めて考えてみたいですし、市民や全国の皆さんにも興味を持ってもらえるよう取り組んでいきたいと思います」と話しています。
今週のテツ語「鉄道の始まり」
鉄道の歴史が始まったのは19世紀初頭、産業革命まっただ中の英国でした。蒸気機関が改良されたことで、この頃最初の蒸気機関車が誕生。世界初の鉄道路線は1825年、イングランド北東部のストックトン―ダーリントン間に開通しました。5年後の1830年には、土木技師ジョージ・スチーブンソンが工業都市マンチェスターと港湾都市リバプールを結ぶ初めての本格的な旅客鉄道を敷設し、その功績から「鉄道の父」と呼ばれています。日本では、1872年に新橋―横浜間を最初の鉄道が走りました。
1/6枚