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#1 ソロジャーの時代

「帰宅は朝5時」から一変、バリキャリが選んだ「ひとり出版社」

その女性は数年前まで、つけまつげにネイル、ヒョウ柄の服を着て、「ブイブイ言わせていた」編集キャリアウーマンでした。今は、下町の商店街から少し奥に入った古民家で「ひとり出版社」を営みます。

「センジュ出版」を立ち上げた吉満明子さん
「センジュ出版」を立ち上げた吉満明子さん

目次

 その女性は数年前まで、つけまつげにネイル、ヒョウ柄の服を着て、「ブイブイ言わせていた」編集キャリアウーマンでした。帰宅時間は朝の5時、新刊本を毎月のように手がける日々でした。今は、下町の商店街から少し奥に入った古民家で「ひとり出版社」を営みます。出迎えてくれた時の服は素朴な水玉のワンピースに、ナチュラルメイク。会社は黒字になりましたが自分の給料は「ほとんど出ていない」という現実。それでも「ジリ貧だからこそ出会える人がいる」と語ります。大手から飛び出し「小商い」のフリーランスを選んだ理由について聞きました。
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バリキャリから「ひとり出版社」に転身

 東京都足立区千住、にある「センジュ出版」の吉満明子さん(42)は、出版社や編集プロダクションで本の編集に携わったのち、2015年9月に「センジュ出版」を創業しました。その2カ月後にはブックカフェを併設、ちゃぶ台がなじむ畳のカフェに全国から読者が訪れます。
古民家を改装して使っているという仕事場
古民家を改装して使っているという仕事場
 出版社で働いていた当時、忙しい時期は1日は朝5時に帰宅するところから「始まって」いました。

 「朝帰って、お風呂と仮眠だけとって、また昼過ぎに出社してっていう生活をしていましたね。当時携帯小説の文庫がすごく伸びていて、つくればつくるほど売れてたんです。初版が数万部で増刷も毎月かかって、数字を追いかけるのが大好きでした」

 いつだって「数十万人の読者のために」。体力もあって結果が出て、忙しく働くことは好きだったと話します。そんな中、吉満さんを立ち止まらせる出来事がありました。

 「東日本大震災があって、テレビの中で被災地に毛布とか、食料が届けられているのを見て思ったんです。『あれ、私たちって一体何を届けていたんだっけ』って、『私って何のためにこの仕事したかったんだっけ』って」

 混乱の中で生まれた無力感。そして「本にできること」とは。吉満さんが抱いた疑問の答えはすぐに見つかるものではありませんでした。翌年、子どもを出産し、1年間の産休を機に思いを巡らせ始めました。

 「今でもその答えは明確になっていないんですけど、おぼろげながら『未来に残る本』っていうことを考え始めました。今売れる本を出して売り上げを伸ばすことも大切だけど、未来の人たちがこの本をとったとしても、ちゃんとメッセージになるものを作りたい」

「編集」だと思っていた枝葉が「森」になった

 産休から復帰し、1年後に退社。その半年後には自宅近くの古民家の一部を借りて「センジュ出版」を立ち上げます。

出版社時代、多いときは年間27冊つくっていたという本は、独立してからは2冊に。初版も数千冊と、当時に比べるとコンパクトな数字になりました。

 全国の書店で販売する資金や、大手の出版取次業者との取引もありません。

 「これまでは校了したら販売の人にバトンタッチ、私は次の本へっていうプロセスでした。独立してブックカフェの場も持って、著者の方との『こういう本を作ろう』という明確な思いや、本を読んでくださった方のさまざまな思いを、じっくり語り合うことができるようになりました」
「センジュ出版」が昨年2月に出版した「ゆめの はいたつにん」。カンボジアの農村部の小学校の子どもたちに、日本のアニメ映画を翻訳して上映するNPOの代表のノンフィクションストーリー。
「センジュ出版」が昨年2月に出版した「ゆめの はいたつにん」。カンボジアの農村部の小学校の子どもたちに、日本のアニメ映画を翻訳して上映するNPOの代表のノンフィクションストーリー。 出典:センジュ出版提供
 数十万人の読者を背負っていた自分から、ひとりの「身の丈にあったサイズ」になったことで、本を手に取るひとりひとりの顔を思うようになったといいます。

「読者に本を届けるイベントや、このカフェも、これからこの本に出会う未来の人たちに対して、わかりやすくアレンジメントして手渡す、これらも『編集』だと考えています。私がこれまで『編集』だと思っていた枝葉が、森になって、国になった感じなんです」

「ほとんど私のお給料は出ていません」

 出版社は利益の回収に時間のかかるビジネスです。吉満さんも1年目は赤字、現在も信用金庫で借りたお金を返済しています。

「2年間、ほとんど私のお給料は出ていません」。

 会社員として働く夫の収入で生活ができているといいます。本の出版以外にも、イベントや文章講座「文章てらこや。」などのサービスを展開し、2年目は黒字転換。外部から受けた編集の仕事などで、最近は会社も軌道に乗ってきていると話します。

 独立を目指す人へのアドバイスを聞くと「やっぱり蓄え」。

 「出版の場合、具体的には4冊分の制作原価はほしいところです。600~800万円くらいですよね。私のように年間2冊の制作だと、その分収入も少ないので、年間4冊売ることができればある程度は安定するかなと」
吉満さんは映画「8年越しの花嫁」のもととなった「8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら」(主婦の友社)の企画・編集も手がけた
吉満さんは映画「8年越しの花嫁」のもととなった「8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら」(主婦の友社)の企画・編集も手がけた
 パートとアルバイトを雇っていますが、会社の稼ぎ頭はもちろん吉満さん。もしもけがや病気で働けなくなったら…という不安が頭をよぎることがあります。

 「会社員時代は『明日死んでもいい』っていうくらいの勢いで働いていたけれども、今はそれよりも『長く続けたい』。そのためにも無理はせず、余裕を確保することを意識的にしています。独立して、そういう調整もしやすくなったかな」

お金じゃ買えない幸せ?

 会社にはさまざまな部署があって、役割を分担することで成り立っています。独立する、ということは全て自分で行う必要があります。しかし吉満さんは「私、本当にひとりじゃ全然できなくって」とあどけなく笑います。

 「IT関係とかも本当にダメで、事務的な仕事も苦手で。逆に言うと『できない』って言わないと何も始まらない」

本の流通代行業者や税理士、カフェで働くパートもすべて「知人の紹介」でした。カフェでお茶を入れていると運んでくれるお客さん、忙しいときに息子さんを預かってくれる友人。パソコンが壊れて困っていたとき、SNSに投稿したところ、パソコンをタダで譲ってくれる友人もいました。

 「『お金じゃ買えない幸せがある』っていう言葉、うそだと思いますけど、本当みたいなところもあるなって。お金がないからこそ人の手を借りて、ジリ貧だからこそ出会える人がいる」
今夏出版された「千住クレイジーボーイズ」。NHKで放送された人気ドラマのノベライズ版。ドラマに描ききれなかった世界も表現されている
今夏出版された「千住クレイジーボーイズ」。NHKで放送された人気ドラマのノベライズ版。ドラマに描ききれなかった世界も表現されている 出典:センジュ出版提供

「弱肉強食」から「共存共栄」へ

 吉満さんは「子どもを出産していなければ、きっとまだ出版社で働いていた」というほど、会社員時代の仕事に満足していたと言います。でも、自宅のある千住で独立した今、仕事の充実感に加えて得られたのは「家族との時間」でした。

 「結婚しても家でも仕事をしていて、私は洗濯機も年に2度回したかどうか…ゴミ捨ての曜日なんて知りませんでした。職住近接で働くようになって、私の知らなかった『暮らす時間』、家族と笑顔を分かち合う時間が加わりました」

 自宅から「センジュ出版」は自転車でおよそ5分。仕事場で保育園の準備をしたり、家でも空き時間に仕事をしたり、イベントの際は家族にも手伝ってもらっています。生活の中に仕事が溶け込み、境界が曖昧になったと話す吉満さん。

 「もちろん規模が小さいので、そうしないとできないという前提もあります。でもこれが全部私というか、この距離感で裏表なくあけっぴろげにやってくことしか『センジュ出版』にはできない。それでもいいと思える人がいれば、とても大切にしたい」
ブックカフェでコーヒーを飲みながら本を読むことができる
ブックカフェでコーヒーを飲みながら本を読むことができる
 会社員だった頃は、巻き髪につけまつげ、ネイルにヒョウ柄のカットソーを着ていたという吉満さん。当時の座右の銘は「弱肉強食」で、「相当ブイブイ言わせてましたね」。当時の後輩に会うと「変わりましたね」と驚かれるそうです。

 「働いていたときって、頑張って頑張って、虚勢とか鎧とか着込んでる状態だったと思います。それが自分のサイズに縮んでいった感じがします。今の座右の銘は『共存共栄』。本当に不思議ですよね」
連載「ソロジャーの時代」

 この記事は朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。現代社会において、これまでの制度やしきたりと戦いながら道を切り開く「ひとり(ソロジャー)」の生き方をテーマに、12月27日から31日まで計5本公開します。

【27日配信】「フリーランスの島」に移住した男 甘くない、でもつかんだ自由
【27日配信】「帰宅は朝5時」から一変、バリキャリが選んだ「ひとり出版社」
【28日配信】「よく言ってくれた」ぼっち企画、予想外の反応 既婚者も共感の理由
【28日配信】「おひとりさま専用Walker」誕生のワケ 編集者の熱い思いがあった
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