連載
#2 ソロジャーの時代
「フリーランスの島」に移住した男 甘くない、でもつかんだ自由
様々な生き方を選ぶ人が増える時代、企業や組織にしばられない「フリーランス」は現実的な選択肢になるのでしょうか?奄美大島でフリーランスとして働く男性を追いました。

地方で働くフリーランス

「50年後、安定した生活を得ていたとしても『こんなこともしておけば良かった』って思う気がして。自分の思う最大限の幸せにはなれないと思ったんです」(田中さん)
仕事に区切りがついた4年目の冬、会社を退職します。田中さん自身、会社に不満はなく、同僚も応援してくれたといいます。
「自分の領域はここ」を見せないと
「東京とか大阪って同じようなことをやれる人がめちゃくちゃ多いので、『自分の領域はここだ』っていうのをはっきり見せられないとダメだと感じました。脇目もふらず専門性を突き詰めることに、自分で自分の首をしめているような、窮屈さを感じていました」(田中さん)
自分で決めた「やりたいこと」が、いつの間には「やらなきゃいけないこと」に変わってしまっていました。

田中さんが立ち止まったのは、その直後でした。急性前部ぶどう膜炎という、視界が白くぼやける目の病気にかかり、2カ月ほど仕事ができなくなります。
「自分では全然気付かないのに、体も気持ちもすり減ってしまっていて、あらためて『自分の本当の幸せってなんやろ』ってすごく考えるようになりましたね」(田中さん)
「自由な感覚が欲しかった」
「結局、『起業したい』っていう気持ちも当時の周囲に流されていたのかも知れない。いろいろ考えるうちに、自分のこの気持ちの根幹にあったのは、事業に限らず、もっと自由な感覚が欲しかったんやなって。それを得るには都会を離れた方が自分には合っていると思いました」(田中さん)
中高はワンダーフォーゲル部に所属していた田中さん。好きな映画の影響もあり、自然が豊かな島で暮らしたいと思うようになります。予備校のスタッフの仕事を紹介してもらい、今年1月鹿児島・奄美大島に移住しました。

フリーランスを推進する島
奄美市商工観光部の麻井庄二さんは「離島はモノのやりとりでも送料がかかります。企業誘致が難しい時代でも、ITを使って仕事を『誘致』できれば地域が活性化し、島を離れた若者も戻ってきてくれるかもしれない」と話します。

「最初は島の人たちの収入のために、と思っていましたが、子育て中のお母さんがセミナーに出て新しいつながりになるなど、地域のコミュニティづくりにも役立っています」(麻井さん)
市は島外からの移住希望者に向けて空き家バンクの運用を始めるなど、移住に関する相談にも乗っています。
悩みは不安定な収入
「フリーランスになった当初は、『1つのことで身を立てる』っていうサクセスストーリーを考えていたし、見方によってはそれを諦めて島に行ったって思われるかもしれません。都会の常識にとらわれず、『自分はこれ』と決めてしまわない生き方がしたい」(田中さん)

一番の悩みは不安定な収入です。今は当初「本業」として考えていた予備校と、フリーランスの仕事の収入の割合は半々です。実は島の物価は安くなく、毎月の収支は「とんとんか、ちょっと黒字くらい」。
「大きい仕事が一つあるかどうか、また結婚式とかで本州に行く用事があるかどうかで、赤字のときもあります」
定期的に仕事が入るとは限らないので、今後結婚や子育てをしたいことを考えると、収入の問題は気がかりです。
「今は収入源を複数持ちたいですね。3万円稼げる仕事を5,6個持ってるという状態が理想。新しい仕事をプラスしていかないと」
「東京一極集中を回避する唯一の切り札」
一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会、平田麻莉代表理事は、地方のフリーランスやパラレルワーカー活用について「東京一極集中を回避する唯一の切り札」と話します。

例えば、地元に帰って子育てしたいと思っても、東京の大学に入って、東京の企業に就職していたら、そこで培ったキャリアや人脈をすべて捨てる決断は、なかなかできません。
そんな時、組織を離れて生きられる選択肢があれば、人生の幅が広がりそうです。
「労働力人口不足で困っている地方にとってチャンスですし、企業にとっても東京の上場企業や急成長のスタートアップで経験を積んだ人たちが、会社の経営に参画することはプラスになるはず。そのためにも地方にフリーランスの仕事をつくることが大切です」(平田さん)
病気やけがが無収入に直結
平田さんが2016年に立ち上げた「プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会」では、会員は年会費1万円で賠償責任補償と福利厚生サービスなどが自動付帯されます。会計サービスや法務税務相談など、複数のサービスを割引で受けることもできます。

「自分にスポットライトが当たっている」
移住して約1年。田中さんは、将来への不安はあるものの、地方で充実したフリーランス生活を送っています。
「奄美大島に来てからは、東京や大阪で感じた競争がなく、むしろいろいろなことをできる人が重宝される。自分でも誰かの役に立つことができるんだと思える」
会社員も起業家も経験した田中さんは、フリーランスを考える人には「仕事のすきま」を大事にしてほしいと言います。
「既に働いている人がいる分野にひとりで入っていくっていうのは、やっぱり摩擦があります。島での暮らしは特にそうで、自分がバンッと出て行っても受け入れてもらえない。背景を理解して、自分が入れる部分っていうのを、見つけて狙っていくことです」
そんな島での生活は収入の不安定さを上回る満足感があるそうです。「フリーランスとしてひとつひとつ自分の頭で考えて、選択するっていう感覚を手にすることができました。これからも、島での生活を続けていきたいです」

この記事は朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。現代社会において、これまでの制度やしきたりと戦いながら道を切り開く「ひとり(ソロジャー)」の生き方をテーマに、12月27日から31日まで計5本公開します。
【27日配信】「フリーランスの島」に移住した男 甘くない、でもつかんだ自由
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