#2
ソロジャーの時代
「フリーランスの島」に移住した男 甘くない、でもつかんだ自由
様々な生き方を選ぶ人が増える時代、企業や組織にしばられない「フリーランス」は現実的な選択肢になるのでしょうか?奄美大島でフリーランスとして働く男性を追いました。
奄美大島でフリーランスとして働く田中さん。ドローン撮影した映像はテレビ局などに販売している。
様々な生き方を選ぶ人が増える時代、企業や組織にしばられない「フリーランス」は現実的な選択肢になるのでしょうか? 東京での会社員生活を経て、奄美大島に移住した男性は「都会の常識がすべて正解じゃない。価値観が広がりました」と語ります。一方で、不安定な収入、病気やけがによるリスクという現実的な課題も。地方で働く「フリーランス」から見えた「理想と現実」を追いました。
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青い海と自然が広がる奄美大島、フリーランスとして働く田中良洋さん(31)は今、この島を生活の拠点にしています。
田中さんは兵庫県出身。関西の大学を卒業した後、東京のITコンサル企業に就職します。でも、働きながら、ずっと独立を考えていたそうです。
「50年後、安定した生活を得ていたとしても『こんなこともしておけば良かった』って思う気がして。自分の思う最大限の幸せにはなれないと思ったんです」(田中さん)
仕事に区切りがついた4年目の冬、会社を退職します。田中さん自身、会社に不満はなく、同僚も応援してくれたといいます。
「プロポーズプランナー」と名乗って、プロポーズや結婚式のフラッシュモブを企画し、それを映像に収める事業を始めました。ところがなかなか仕事は入らず、初めて受注したのは退職から10カ月経ってからでした。
「東京とか大阪って同じようなことをやれる人がめちゃくちゃ多いので、『自分の領域はここだ』っていうのをはっきり見せられないとダメだと感じました。脇目もふらず専門性を突き詰めることに、自分で自分の首をしめているような、窮屈さを感じていました」(田中さん)
自分で決めた「やりたいこと」が、いつの間には「やらなきゃいけないこと」に変わってしまっていました。
会社員時代から友人の結婚式の映像制作などを頼まれていたという田中さん
映像編集のスキルを使って業務委託や、前職の経験を活かして派遣で生活をつなぐ生活。ようやく、プロポーズプランナーとして軌道にのりかけた時、実家の事情で拠点を大阪に移します。
田中さんが立ち止まったのは、その直後でした。急性前部ぶどう膜炎という、視界が白くぼやける目の病気にかかり、2カ月ほど仕事ができなくなります。
「自分では全然気付かないのに、体も気持ちもすり減ってしまっていて、あらためて『自分の本当の幸せってなんやろ』ってすごく考えるようになりましたね」(田中さん)
思えば大学生の頃、田中さんの周りの友人は口を揃えて「起業したい」と言っていました。「起業が自己実現のゴールやと、すりこまれていたんでしょう」と振り返ります。
「結局、『起業したい』っていう気持ちも当時の周囲に流されていたのかも知れない。いろいろ考えるうちに、自分のこの気持ちの根幹にあったのは、事業に限らず、もっと自由な感覚が欲しかったんやなって。それを得るには都会を離れた方が自分には合っていると思いました」(田中さん)
中高はワンダーフォーゲル部に所属していた田中さん。好きな映画の影響もあり、自然が豊かな島で暮らしたいと思うようになります。予備校のスタッフの仕事を紹介してもらい、今年1月鹿児島・奄美大島に移住しました。
奄美市は2015年から、「フリーランスが最も働きやすい島化計画」としてフリーランスの育成・誘致に力を入れています。
奄美市商工観光部の麻井庄二さんは「離島はモノのやりとりでも送料がかかります。企業誘致が難しい時代でも、ITを使って仕事を『誘致』できれば地域が活性化し、島を離れた若者も戻ってきてくれるかもしれない」と話します。
「フリーランスが最も働きやすい島化計画」をすすめる奄美市・商工観光部の麻井庄二さん(左)と稲田一史さん
ウェブの記事制作や写真撮影、ハンドメイド作品の無料セミナー「フリーランス寺子屋」を開催し、参加人数はのべ400人に到達しようとしています。
「最初は島の人たちの収入のために、と思っていましたが、子育て中のお母さんがセミナーに出て新しいつながりになるなど、地域のコミュニティづくりにも役立っています」(麻井さん)
市は島外からの移住希望者に向けて空き家バンクの運用を始めるなど、移住に関する相談にも乗っています。
島に移住した田中さん。現在は、フリーランスとして映像制作やドローン撮影、記事の執筆などもしています。
「フリーランスになった当初は、『1つのことで身を立てる』っていうサクセスストーリーを考えていたし、見方によってはそれを諦めて島に行ったって思われるかもしれません。都会の常識にとらわれず、『自分はこれ』と決めてしまわない生き方がしたい」(田中さん)
奄美大島の観光サイトに掲載する記事のための取材をする田中さん
島での暮らしに満足している田中さんですが、フリーランスという働き方には課題も感じています。
一番の悩みは不安定な収入です。今は当初「本業」として考えていた予備校と、フリーランスの仕事の収入の割合は半々です。実は島の物価は安くなく、毎月の収支は「とんとんか、ちょっと黒字くらい」。
「大きい仕事が一つあるかどうか、また結婚式とかで本州に行く用事があるかどうかで、赤字のときもあります」
定期的に仕事が入るとは限らないので、今後結婚や子育てをしたいことを考えると、収入の問題は気がかりです。
「今は収入源を複数持ちたいですね。3万円稼げる仕事を5,6個持ってるという状態が理想。新しい仕事をプラスしていかないと」
クラウドソーシングの大手「ランサーズ」の調査「フリーランス実態調査2017年版」によると、副業や自営業など、広義のフリーランスとして働く人の数は1,122万人。前年より5%増えています。
経産省が「雇用関係によらない働き方研究会」を立ち上げ、所得税改革でフリーランスや個人請負が減税対象になるなど、政府もフリーランスを後押しする動きが強まっています。
一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会、平田麻莉代表理事は、地方のフリーランスやパラレルワーカー活用について「東京一極集中を回避する唯一の切り札」と話します。
プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の平田麻莉代表理事
「フリーランスとか、パラレルワーカーであれば、1カ月のうち1週間だけとか、出張ベースで地方で働くっていうやり方ができる」(平田さん)
例えば、地元に帰って子育てしたいと思っても、東京の大学に入って、東京の企業に就職していたら、そこで培ったキャリアや人脈をすべて捨てる決断は、なかなかできません。
そんな時、組織を離れて生きられる選択肢があれば、人生の幅が広がりそうです。
「労働力人口不足で困っている地方にとってチャンスですし、企業にとっても東京の上場企業や急成長のスタートアップで経験を積んだ人たちが、会社の経営に参画することはプラスになるはず。そのためにも地方にフリーランスの仕事をつくることが大切です」(平田さん)
一方でフリーランスはけがや病気、出産などで仕事ができないと、収入が途絶えてしまいます。雇用されている会社員にはある各種補償が、ほとんど支給されません。
「フリーランスこそ体が資本なのに、まず健康診断や人間ドックなど予防医療の観点が会社員ほど手厚くありません。育休や産休が保証されていないし、保活をするにも会社員と同じように働いていると認められるのが難しく不利になる。これらは変わっていく必要があります」(平田さん)
平田さんが2016年に立ち上げた「プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会」では、会員は年会費1万円で賠償責任補償と福利厚生サービスなどが自動付帯されます。会計サービスや法務税務相談など、複数のサービスを割引で受けることもできます。
「65歳以上は全員フリーランス」という平田代表理事
「人生100年時代と言われ、会社を退職した後もお金を稼いでいく必要があります。65歳以上は全員フリーランスです。そういう意味では誰しもが、自律的に自分のキャリアと向き合うことが大切だと思っています」
「都会では埋もれていた自分に、スポットライトが当たっている感じがします」
移住して約1年。田中さんは、将来への不安はあるものの、地方で充実したフリーランス生活を送っています。
「奄美大島に来てからは、東京や大阪で感じた競争がなく、むしろいろいろなことをできる人が重宝される。自分でも誰かの役に立つことができるんだと思える」
会社員も起業家も経験した田中さんは、フリーランスを考える人には「仕事のすきま」を大事にしてほしいと言います。
「既に働いている人がいる分野にひとりで入っていくっていうのは、やっぱり摩擦があります。島での暮らしは特にそうで、自分がバンッと出て行っても受け入れてもらえない。背景を理解して、自分が入れる部分っていうのを、見つけて狙っていくことです」
そんな島での生活は収入の不安定さを上回る満足感があるそうです。「フリーランスとしてひとつひとつ自分の頭で考えて、選択するっていう感覚を手にすることができました。これからも、島での生活を続けていきたいです」
「これからも島での生活を続けていきたい」という田中さん