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連載

#34 #カミサマに満ちたセカイ

私は宗教2世なの?熱狂報道に戸惑い、問い直した「声を上げる資格」

それでも伝える「被害は比較できない」

親から信仰を受け継いだ「宗教2世」。信仰を背景とした虐待などが問題視される中、報道陣の前で、自らの過去について語ってきた当事者がいます。今、何を思っているのか、聞きました(画像はイメージ)
親から信仰を受け継いだ「宗教2世」。信仰を背景とした虐待などが問題視される中、報道陣の前で、自らの過去について語ってきた当事者がいます。今、何を思っているのか、聞きました(画像はイメージ) 出典: Getty Images

目次

宗教の信仰を親から受け継いだ子供たちは、一般に「宗教2世」と呼ばれます。特に近年、信者の人権を抑圧してきたとされる教団組織について、被害を告発する文脈で使われてきた言葉です。昨年に起きた、当事者による元首相銃撃事件を契機に、関連報道が過熱。メディアの取材を受け続けてきた2人の元2世は「声を上げるチャンスだと思いつつ、熱狂ぶりに戸惑いも感じた」と述懐します。どんな思いで過ごしてきたのか、尋ねてみました。(withnews編集部・神戸郁人)

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カミサマに満ちたセカイ

情勢急転に抱いた困惑と違和感

2022年7月8日午前11時半頃。奈良市の近鉄大和西大寺駅前で、銃声が響きわたりました。参院選候補の応援演説中だった安倍晋三元首相が、背後から銃撃を受けたのです。心肺停止状態で病院に搬送後、死亡が確認されました。

逮捕された山上徹也容疑者(現被告)は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に属する母親が過剰な献金を続け、自己破産した旨を供述。安倍氏が教団の広告塔を務め、規模拡大に寄与したと考えて襲撃に至ったとされています。

関連のニュースに接し、筆者は衝撃を受けました。選挙協力を結ぶといった、政治家と教団の深い関係に加え、山上容疑者(被告)が「宗教2世」であることが報じられたからです。

約4年前、筆者は「カミサマに満ちたセカイ」という連載を立ち上げました。伝統宗教に加え、自己啓発や占いなど、人々の心に作用する種々の営みを「生きづらさの受け皿」と定義。現代的な宗教のありようを見つめる試みです。

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実は最初に据えたテーマが、宗教2世でした。自らの意思によらず、親世代から信仰を押し付けられる。結果、教団の意向に進路を左右されたり、結婚・就職などで困難に直面したりしてしまう。そんなエピソードに数多く触れたのです。

取材を始めた頃は、当時「2世信者」と呼ばれていた宗教2世が、手記やエッセー漫画を盛んに手がけていた時期にあたります。ただ世間の関心は限定的で、彼ら・彼女らの訴えが社会を揺るがすには時間がかかると思っていました。

しかし銃撃事件をきっかけに、状況が一変したのは周知の通りです。テレビや新聞を介して連日伝えられる、当事者の悲痛な声。その一つひとつに触れ、ようやく耳目が集まったことへの感慨と共に、情勢の急転ぶりに対する困惑も抱きました。

それぞれの人生に広く関心が寄せられるのは、好ましいことに他なりません。一方で悲惨な体験談を過度に強調する一部の報道や、ネット上にあふれる、宗教そのものを否定する急進的な主張に違和感を覚えたのも事実です。

こうした筆者の心情や、世間の反応について、2世の人々はどう受け止めるだろうか。事件発生から時間が経った今こそ、直接聞いてみたいーー。そう思い、2人の当事者にインタビューを申し込みました。

「劣った者」という意識に葛藤

対応してくれたのは、冠木結心(かぶらぎ・けいこ)さんと、井田雫さん(共に仮名)。いずれも母親に旧統一教会への入信経験があり、その影響で自らも信者として生きてきました。それぞれメディア経由で過去を打ち明けてきた人々です。

このうち冠木さんには、約3年前にもお話を伺っていました(下記記事中の「Cさん」)。教団側が選んだ「魂の位が高い」とされる韓国人男性と2度結婚。DVや夫の借金トラブル、渡韓後の壮絶な貧窮生活と離婚を経て日本で暮らしています。

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自身が参加した、信者同士が結ばれる「合同結婚式」の実情や、過酷な信仰生活に伴うトラウマなどについて、講演などで長年啓発してきた冠木さん。事件後、報道が盛り上がる中で真っ先に感じたのが、「私は宗教2世なのか」との迷いでした。

旧統一教会において、2世は2つの系統に区分されます。帰依済みの両親のもとに生まれた「祝福2世」と、出産後に入信した親の子である「信仰2世」です。冠木さんは後者の立場で、明確に差別されていたのだと、後に感じたといいます。

「教団は信者の父母から生まれる子供を『無原罪の神の子』とみなします。一方で信仰2世は『堕落の子』と呼ばれ、祝福2世たちとは血統が違うとされ、同じ子供でも扱われ方が異なるのです」

「信仰2世の場合、1世信者同様、教祖の命令で献金や霊感商法(相手の不安に乗じ、壺や数珠などを開運商品として高額で売りつけること)を課せられることが多かったです」

「劣った者」とされてきた自分が、果たして当事者を名乗り、銃撃事件を境として声を上げ始めた人々に同調して良いものか……。人知れず、そのように葛藤してきたと語ります。

一方で事件後、来歴をまとめたブログを再編集の上、自費出版した電子書籍に注目が集まるように。内容を加筆・修正した『カルトの花嫁』(合同出版)も昨年11月に刊行。以来、宗教団体が関わる人権侵害について様々な場で発言してきました。

受け入れがたかった母の言葉

冠木さんと同じく信仰2世である井田さんも、事件を契機として、様々な苦悩と向き合うようになりました。

「亭主関白」な会社員の父親と折り合いが悪く、姑などの家族とも仲違いしていた井田さんの母親。出産後、偶然知り合った教団関係者から、こう迫られたといいます。「このままだとお子さんや一家皆が不幸になる。今からでも勉強しなさい」

そして言われるがままに入信し、多額の献金を納めるなどするように。井田さんが物心つく頃には、熱心な信奉者となっていました。ただ、父親は宗教活動に強く反対しており、財布を母親に預けることは決してなかったそうです。

「母から信仰を強要された記憶はないですね。父を脅威に思い、ばれたらまずいと考えていたからでしょう。献金についても知っていましたが、表立ってお金を工面しているようには見えなかった。支配されている感覚はありませんでした」

しかし成人し、一人暮らしを始めた後の2010年頃、思わぬ事態が生じます。母親から突然、お金を貸して欲しいと懇願されたのです。理由を聞いても「生活費のため」としか答えません。消費者金融で借りたお金も含め複数回渡しました。

時が流れ、昨年の事件発生後。井田さんは、既に信仰を破棄していた母親に、改めて真意を問いただします。すると「他の信者から借りた献金用のお金の返済に充てた」と述べたのです。全額完済済みとのことだったものの、衝撃的な告白でした。

「実は20歳の頃に1年ほど、旧統一教会が運営するビデオセンター(勧誘してきた人々の教化施設)に通ったことがあります。母がなぜ教えに入れ込んだのかが知りたかったんです。結局気持ちがなびくことはなく、理由も分かりませんでした」

「それだけに母の言葉は受け入れがたかった。同時に『私も教団に翻弄されたんだな』とようやく思い至ったんです。でも2世問題というと、虐待や信仰の強要などが注目されがち。それに比べればマシな仕打ちだと最初は思っていました」

事件後に気付いた息苦しさの源

教団によるとされる被害について、SNS上でつづる当事者らの姿に触発され、井田さんも昨年7月にツイッターアカウントを開設。半生を発信しつつ、旧統一教会関連の情報を集める中で、心の古傷に触れることになりました。

井田さんは長らく、生きづらさを覚えてきました。例えば誰かに嫌悪感や怒りを抱いたとき、自分を必要以上に責めて疲弊したり、期待を裏切られたと感じると、すぐに人間関係を解消してしまったり。他者との距離感がうまく測れないのです。

なぜ周りと同じように人付き合いができないのか――。息苦しさの源泉を、自分の性格に求めたこともありました。しかしツイッターで事件について調べ、他の2世の訴えを見聞きし、旧統一教会の価値観を生きていたのだと悟ります。

「旧統一教会の考え方に『為(ため)に生きる』というものがあります。神様、真のお父様(教祖の故・文鮮明氏)、あるいは他者のために生きるという、教団の理念です」

「また何をされても相手を悪く思ってはならず、負の感情を抱くこと自体が良くないとも言われてきました。母から常に言いつけられた教えで、これが自己否定につながっていました」

人生を蝕まれていたのは、祝福2世も信仰2世も同じだ。そして、被害は比較できない。

そんな気付きから、SNS上で過去の出来事をつぶやき続けました。幼少期に進化論について知り、教義に疑問を持ったこと。「神様」が信じられず、母親に強い申し訳なさを覚えてきたこと……。

2世を巡る状況の改善に尽力したいと、政党による宗教2世へのヒアリングにも参加。その過程で冠木さんと知り合い、旧統一教会に対する宗教法人法上の解散命令を国に求める署名を、共に提出するといった形で連携してきました。

当事者も報道も熱狂している

いわば、当事者の旗手的な立場で動き続けてきた2人。矢面に立つ機会が多いだけに、ネット上で言論活動を「被害者ビジネスだ」と揶揄(やゆ)されるなど、匿名の誹謗(ひぼう)中傷を受ける場面がしばしばあったといいます。

協力関係を深めてきた、若年世代の2世たちにまつわる心配事も尽きません。信仰生活で傷ついた心を、十分癒やせないままに過去を語ることで、自分を一層追い込んでいる印象が強いのだそうです。冠木さんが次のように憂慮します。

「彼ら・彼女らは恐らく、『ようやく社会に境遇を理解してもらえた』という状態にあるのだと思います。一方で声を上げた結果、個人情報をさらされるといった形で、また別の苦しみを味わう場合も多いんです」

「実際、手酷い体験をして、SNSでの発信をやめた人もいます。私自身、心理療法を受け、5年近くカウンセリングを重ね、ようやく今の取り組みを続けられている。勢いだけで突っ込まず、まず心身を大切にしてほしいと切に願います」

この意見に、井田さんは同調しつつ、報道の過熱ぶりに対する懸念も口にしました。特に、当事者が記者とのやり取りの中で、被害を詳細に語り過ぎてしまうケースが目立つ点が気にかかっているそうです。

「今まで注目を浴びてこなかった人物の訴えに、世間の関心が集まる。その状況が生まれたこと自体は素晴らしい。ただ、センセーショナルな虐待や献金の話ばかりが取り上げられ、ある種のエンタメ的に消費される傾向は否めないと感じます」

「以前、インタビューを受けるか迷っている知人の2世を『告発後も人生は続く。報道の影響が気になるなら無理しない方が良い』と諭したことがありました。精神的ケアが必要な人々がどう生きられるのか、という視点も必要ではないでしょうか」

筆者が交流を持ってきた2世の中にも、うつ病などの二次障害にさいなまれている人が少なくありません。過去に打ちのめされ、今ももだえる当事者の存在を前提に、手引きとなりうる記事を書く。そのような姿勢の重要性を強く思いました。

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「打ち明けられたら寄り添って」

ここまで2人の語りに耳を傾けてきた筆者ですが、最後に一点、尋ねてみたいことがありました。この9カ月ほど、ずっと感じてきた「負い目」についてです。

先述の通り、筆者は銃撃事件発生前の段階で2世の人々と交わり、その生き様の一端を知るに至りました。いわば、当事者の声をいち早く伝え、人権侵害のありようについて世に問うべき立場にあったと言えます。

しかし宗教にまつわる批判的言説が日々、滝が流れ落ちるかのごとき速度で更新されてゆくのを目の当たりにして、「一体何が語れるのか」と立ちすくんでしまいました。その態度が無責任ではなかったかと、自問自答してきたのです。

一連の経緯を、筆者は懺悔(ざんげ)するような心持ちで伝えました。非難は免れ得まい……。そう覚悟していると、冠木さんから意外にも「今、このタイミングで話を聞き、共感してくれるだけでありがたい」と返ってきたのです。

「私たちは旧統一教会について色々と述べられます。でも例えば、大震災や自動車事故の被害者の方々を常に思いやるのは難しい。日常を生きているからです。それと一緒で、異なる立場にある人のために行動することは容易ではないと思います」

「ただ今回のインタビューのように、目の前の人物に胸の内を明かされたときには、ぜひ寄り添ってほしい。当事者を認識し、必要に応じて適切な形で支援につなげるなど、様々な方法で。これは社会全体に対するお願いでもあります」

この言葉に、筆者は胸のつかえがとれ、救われたような感覚を抱きました。そして2人の、あるいはこれまで取材に協力してくれた全ての2世の厚意に、自分なりに報いるには、やはり記事を出すことだと考えたのです。

宗教とは本来、心の痛みや弱さを受け止める営みと言えるでしょう。だからこそ、教えにすがること自体、否定されてはならないと筆者は考えます。改められるべきは、信心につけ込んで人々の胸底へと滑り込み、尊厳を踏みにじる行為です。

厚生労働省は、信仰を背景とした虐待への対応を巡るガイドラインを作成。昨年12月、全国の自治体に通知しました。宗教が関わる事案の相談に消極的にならないようにも求めており、2世の苦悩に向き合おうとする機運は高まっています。

「個人の幸せとは、誰かの不幸の上に打ちたてられるものであってはならない」。筆者は約3年前に配信した宗教2世関連の記事に、そう書きました。冠木さん・井田さんとのやり取りを通じて、この原点の重みを、再びかみ締めています。

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【連載・#カミサマに満ちたセカイ】
心の隙間を満たそうと、「カミサマ」に頼る人たちは少なくありません。インターネットやSNSが発達した現代において、その定義はどう広がっているのでしょうか。カルト、スピリチュアル、アイドル……。「寄る辺なさ」を抱く人々の受け皿として機能する、様々な"宗教"の姿に迫ります(記事一覧はこちら

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