連載
#3 #カミサマに満ちたセカイ
部活はサタンの誘惑…母の一言で捨てた自分 空っぽの私は漫画を描く
母親が突然、宗教団体に入信した。関西地方の女性(39)が、思春期を迎えた頃のことです。大好きな部活を辞めさせられ、ひたすら「教え」に従った中高時代。「宗教以外、私は空っぽ」。だからこそ、半生を整理したい。脱会後、そんな思いで手がけたエッセー漫画は、同じ2世信者に多くの気付きを与えています。なぜ人は、何かにすがろうとするのでしょうか? 第二の人生を歩み始めた、女性の言葉を手がかりに考えます。(withnews編集部・神戸郁人)
早速書店で購入し、目を通してみます。25年間、キリスト教系の宗教団体に入信していたこと。ゆっくりと、しかし確実に、暮らしが信仰一色に染まっていったこと。一人の女性が「宗教者」となり、やがて組織を離れるまでが、ユーモアも交え描かれていました。
読後感は、意外にも爽やかでした。「日本には、信教の自由がある。しかし、信じない自由もある」。後書きの一節が、その理由を示しているように思われます。
自分を縛りつけてきたものから、距離を取る。けれど、否定はしない。決して容易ではないはずです。
考えるほど、頭の中に疑問があふれ出てきました。なぜ漫画を描く気になったのか? 家族との関係は? 今、どんな思いを抱え生きているのだろう? 直接聞いてみたくて、私は取材を申し込みました。
「こんにちは! 東京から、わざわざご足労ありがとうございます」。事前に指定された、大阪府内のカフェに着くと、漫画の著者・たもさんが笑顔で迎えてくれます。
丁寧な話しぶり、そして短髪の活発そうな見た目が、印象的な人。そのたたずまいと、「カルト」という言葉が、なかなか結びつきません。正直、少しだけ戸惑いました。
そんな私の気持ちを察したのでしょうか。これまでの歩みについて、とつとつと、順を追って語り始めました。
4人きょうだいの次女。少女期、漫画に親しみました。お気に入りは『聖闘士聖矢』や『北斗の拳』。学校の授業中、プリントが配られるたび、余白や裏面に大好きなキャラクターを描いたといいます。
ほほえましいエピソードですが、真面目な性格の母は、快く思っていなかったそうです。戦闘シーンが登場するアニメは、視聴禁止。「でも、テレビ画面の前に陣取って、こっそり見ていました。母の気配を感じたら、パッとニュース番組に切り替えるんです」と頭をかきます。
その母から突然、「英語を習ってみない?」と声をかけられたのは、たもさんが10歳のときのことでした。言われるがまま、近所に住む母の知人宅を訪ねると、少し年上のお姉さんが歓迎してくれました。
手渡されたテキストには、英文とともに、見慣れないイラストが。はりつけにされた血だらけの男性。果物を持つ西洋風の男女……。宗教団体が重んじる、聖書物語との出会いでした。
団体のホームページによると、組織が生まれたのは19世紀末。その名は、キリスト教の最高神に由来します。その言葉を受け継ぐのが、信者である「証人」です。聖書の教えさえ守れば、「ハルマゲドン」と呼ばれる大災害後の世界で、永遠に生きられると説いています。
たもさんの母親は、当時通っていた洋裁教室を通じ、組織と出会いました。わが子の教育に役立つかもしれない-ー。そんな思いにとらわれ、信者である知人の元へ、たもさんを向かわせたのです。
この日を境に始まった、お姉さんとのやりとり。穏やかだった生活は、思わぬ方向へと変化していきます。
「エホバが真の神であるのは、なぜですか」
お姉さんは、いつも優しい口調で質問してきました。そのたびに、テキストや聖書をひもとき、根拠となる文句を探します。正解すれば、「すごいね!」とほめてくれる。うれしくて繰り返すうち、たもさんは自然と組織の考え方に染まっていきました。
中学生になると、宗教上の理由から行事に参加出来ないことなどが災いし、クラスで孤立するように。一方、母と信者の集会を訪れれば、同年代の仲間たちに囲まれました。そうした状況が、たもさんをますます深みにはまらせたといいます。
集会では、聖書の「正しい解釈」について、人前で発表する機会があります。元来あがり症のたもさんにとって、ハードルは高いものでした。悩んでいた1年生の春、学校の演劇部で、メンバーを募っていると知ったのです。
「偶然だったけれど、迷わず入りました。漫画好きな子もいて、どこからか入手したアニメの台本を読み合わせたり、おしゃべりしつつ、舞台装置を作って盛り上がったり。意外と演技力もあったようで、翌年の文化祭の演目では、大役を任されることになったんです」
ようやく見つけた居場所での晴れ舞台。中学2年の秋に開かれる本番に向け、準備にも熱が入りました。ところがある夜、稽古が長引き、組織の集会に遅刻してしまいました。後で母に呼び出され、こう言い放たれたそうです。
「やっぱり、サタン(神の敵)に誘惑されているじゃない。すぐに部活を辞めなさい!」
厳しい言葉に、反発を覚えなかったのでしょうか?
「『私が不完全なのが悪い。エホバこそ正しいんだ』と思ってしまった。牙を抜かれていたんでしょうね。抵抗出来ず、従いました」
たもさんが、寂しそうに笑います。
ところで、私には素朴な疑問がありました。きょうだい4人のうち、たもさんだけが母親に選ばれたのは、どうしてなのでしょうか?
問いかけてみると、たもさんはおもむろに、目の前のノートを開きました。取材に先立ち、考えを整理してきたのだそう。ページを埋める細かな文字列に、誠実な人柄がにじみます。
たもさんによると、信者の間では、組織に誘いやすい人の特徴を「三つのH」として表すといいます。すなわち、「Hungry(飢え)」「Honest(正直さ)」「Humble(謙遜)」の要素が強いほど、教えに親しみを覚えるのだと教えてくれました。
「私の場合、”Hungry”がすごかったんです。死後の世界に興味があり、『自分は消えてしまうのかな』と恐れていた」
「でも聖書には、不安への答えが全部書いてある。母は、私の頭の中を見通していたのかもしれません」
性格や境遇の違いも関わっていました。姉は自立心が強く、唯一の男子である弟は、厳格な父が入信を許さなかったそうです。妹は集会に通った時期もあったものの、ほどなく飽きてしまいます。たもさんだけが「素質」を持ち合わせていたのでした。
集会へ行くときも、聖書について学ぶ「研究」の時間も、常に母と一緒。父は母を殴ってまで脱会を促したものの、かえって態度をかたくなにさせるばかりでした。その光景を見て、たもさんは「私にしか母を守れない」と考えたといいます。
「あの頃、本当はエホバの証人じゃなくて、お母さんの証人になっていたのかな」
高校生のときには、集会への参加や伝道活動に専念するため、美大に進学する夢も諦めてしまいます。いつの間にか、組織での未来以外、考えられなくなっていました。
転機は20歳の時に訪れます。生まれて初めて、異性と付き合ったのです。
相手は組織のメンバーで、スポーツカーを乗り回し、オシャレなスーツも着こなす好青年。「この世(世俗)的」と組織が煙たがるカラオケで、美声を披露する様子も、何だか信者らしくありません。すぐ、恋に落ちました。
約5年後、結婚。さらに数年を経て息子にも恵まれました。小さな命と向き合う時間は、それまでにない幸福をもたらしてくれたといいます。
その息子が、4歳になった頃口にした一言を、たもさんは今も忘れられないそうです。「僕、集会に行きたくない!」
組織の集会には、家族3人で週2回ほど顔を出していました。1回につき約2時間、司会者の説法に耳を傾けなければなりません。そのことを母から「義務」と教わってきた立場からすれば、衝撃的でした。
「言っていいんだ、と。正直、うらやましかったです」。たもさんは、素直な気持ちを口にします。
納得できる理由もありました。育ち盛りの時期に、長時間じっとしているのはつらいもの。事実、息子と同年代の出席者の中には、耐えきれず泣き出す子がいました。
信者である親は、そういうとき、子どもを「授乳室」と呼ばれる部屋に連れて行きます。ホースやベルトでお尻をたたき「指導」するのです。聖書の記述に基づくとされる行為でした。
たもさんに、わが子に手をあげた経験はありません。それでも夫が口にした疑問は、心の奥底に突き刺さりました。
「あんなに嫌がっているのに、たたいてまで集会に行かせる。それが本当に宗教の行いなのかな?」
更に、人生の転機となる出来事が起こります。息子が、心臓の難病を患ったのです。肺につながる動脈が細くなり、全身を巡る血液の量が減少。自由に体を動かせなくなりました。
「すぐに輸血が必要です」。入院先の医師は、同意書へのサインを求めてきました。しかし組織の教えは、血を神から与えられたものと捉え、他の人に分けるのを禁じています。
信仰を取るか、わが子の人生を取るか。決断の時が迫っていました。
実はたもさんは、過去に2回の流産を経験しています。あるかも分からない「永遠の楽園」を望み息子を見捨てることは、親としてできませんでした。
結局、誰にも決意を告げず、一人で同意書に名前を書いたといいます。
「後から夫に伝えると、驚きつつも『そうすると思ったわ』と言ってくれて。本当、救われましたね」
血液製剤を使うと、息子の体調は徐々に回復。その後、退院し、再び一緒に暮らせるようになりました。
一方で、組織の実情を知る機会も得ました。
「子どもへの接し方などに関し、疑問を訴える元信者の手記や動画に触れたんです。不思議と腑(ふ)に落ちるみたいで。抱き続けてきた違和感の正体が、やっと分かったようでした」。たもさんは、そう振り返ります。
そして35歳のとき、夫と脱会を決めます。これまで、自由を感じたことなんかない--。母に初めて本心を打ち明け、集会にも顔を出さないと宣言しました。
捨て去ったはずの自分自身が、もう一度、産声を上げた瞬間でした。
漫画が世に出たのは、それから約2年後のことです。
「何の制限もない生き方をしよう。そう思ったとき、大好きな漫画が描きたくなりました。でも私の中には、宗教以外の引き出しがない。他が空っぽなんですよね。だったら、自分のこれまでについて描くしかないなって」
刊行後、同じ2世信者の読者を中心に、たくさんの感想が届きました。「私も大変な経験をした」「家族に読ませてみたい」。中には漫画がきっかけで、組織と決別した人も。予想をはるかに超える反響でした。
来年1月には、脱会後の暮らしぶりについて描いた、続編の出版も控えているといいます。
たもさん自身、まだ「生き直し」の途上にいます。たとえばパート先で、同僚の子どもが体調を崩したと聞けば、「おかずを持って行かなきゃ!」と気が急(せ)いてしまうそう。「信者時代のくせが抜けないんです。なかなか、他人との適切な付き合い方が分からなくて」と苦笑します。
あの日、母の一言で生き方が変わってしまった、たもさん。しかし、恨みの感情はないといいます。
23歳で結婚し、故郷の九州から関西へと移った母。友人もほとんどつくらず、ひたすら育児に専念する姿は、必死に見えたそうです。その生き方を肯定してくれる唯一のものが、宗教だったのかもしれないと、今は思っています。
一方で、こうも考えるそうです。「わが子のためにと、宗教をすすめてくれたのだと感じます。ただ、私は普通の子どもでいたかった。『救われる』必要は、なかったですね」。今は、時折連絡を取りつつ、親子の形を組み立て直しています。
そんな中、支えの一つとなっているのが、絵本の読み聞かせ活動です。知人に誘われ、4年ほど前に始めました。
小学生になった息子と、同年代の子がいる親たちとの共同作業。先輩ママに言われた「子どもに本の感想を聞いてはいけない」という言葉は、胸に響き続けています。
「絵本のメッセージを、子どもは自分なりに受け取る。『聖書から何を得た?』と問う、エホバのやり方とは全然違うんです」。何より大事なのは、わが子を信じることと学んだ経験なのだそうです。
宗教と家族の関わりを考え続けてきた、たもさん。未来に何を望むのでしょうか。最後に尋ねると、笑顔でこう答えてくれました。
「まずは息子に、早く反抗期を迎えて欲しい。自分らしくあるため、迷って悩むことって、人の権利だと思うから」
「そして、漫画を描き続けたいですね。どんな出来事があっても、ネタになる。全てを笑いに変えられる限り、私はきっと大丈夫。そう思っています」
心が、なぜか満たされない。自分の考え方を、誰かに認めて欲しい。数え切れない人が、ある種の「空虚さ」を抱えています。それは決して特殊なことではありません。
例えば、「オウム真理教」を巡る情勢は象徴的です。公安調査庁によると、主な後継団体の国内信者数は、1999年から2017年まで、1500人前後で推移しています。テロ事件を起こした教団の流れをくむ組織に、希望を見いだす人が、まだこんなにも存在するのです。
こうした事実を知ったとき、大学時代、講義で耳にした言葉を思い出しました。
「人間は、何らかの物語なくして生きられない。人生が無意味であるということに、耐えられないからだ」
もしかしたら宗教とは、最も体系化された「物語」と言えるのかもしれません。
信じる者は、救われる--。そのような言葉に頼りたく気持ちには、共感できる部分もあります。様々な困難に直面し、別の人生を歩みたいと思ったことは、私にも少なくないからです。
でも、と立ち止まります。親から「物語」を押しつけられ、傷つく人達がいる。自らの意思と無関係に、人生の方向性を歪ませられてしまうことの重みは、たもさんのエピソードが示す通りでしょう。
幸福を求める権利は、等しく認められなければなりません。わが子に充実した日々を送らせたいと、親が願うのも当然と言えます。しかしその結果、宗教教団の一員となり、生き方に悩む人がいることも事実です。
たもさんは実体験を発信する過程で、母親との関係性を、もがきながら見つめ直してきました。個人の幸せとは、誰かの不幸の上に打ちたてられるものであってはならない。そう考えさせられる取材でした。
心の隙間を満たそうと、「カミサマ」に頼る人たちは少なくありません。インターネットやSNSが発達した現代において、その定義はどう広がっているのでしょうか。カルト、スピリチュアル、アイドル……。「寄る辺なさ」を抱く人々の受け皿として機能する、様々な"宗教"の姿に迫ります。
※配信当初の記事中、特定の宗教団体に対する不適切な表現があったため、表現を一部修正しています。