連載
#11 #カミサマに満ちたセカイ
「服の選び方わからない」2世信者の生きづらさは「異常」ですか?
「対岸の火事」で済ませてよいのでしょうか?
「カルト」という言葉から、どんな印象を受けるでしょうか? 異常な価値観に支配された、危険なグループ……。そういったイメージを抱くかもしれません。しかし私は、元信者たちの取材を続けるうちに、むしろ「ごく普通の人々の集まり」と思うようになりました。彼ら・彼女らの歩みを振り返りながら、決して人ごとではない、カルトがはらむ根深い問題について考えます。(withnews編集部・神戸郁人)
カルト集団と聞いて、地下鉄サリン事件(1995年)を起こした「オウム真理教」を思い浮かべる人もいるかもしれません。
公安調査庁によると、化学物質のサリンによって13人が亡くなり、負傷者は5800人以上に上りました。事件に関わったメンバーの中には、有名大学で学んだ後に入信した、という人が少なくありません。
真面目で賢く、社会的地位も得ながら、前例がないような大事件を起こす--。こうした事実は、社会に衝撃をもって受け止められました。教団関係者を取材してきたジャーナリストの江川紹子さんは、背景について次のようにつづっています。
「私は何のために生きているのか」。誰しもが一度は抱くであろう、根源的な問いに対し、明確な回答を与えてくれる。悩みのるつぼに投げ込まれたとき、そんな存在がいてくれれば、どれだけ心強いか。
こうした信者たちの胸の内は、私が話を聞いてきた人々の声と共通しています。
「2世信者」と呼ばれる人々は、自分の意思で入信した親(=1世信者)から、信仰を引き継いでいます。物心ついた頃から、教義に基づいて生きるよう求められてきた、というケースが少なくありません。
キリスト教系の教団の元2世信者の女性は、母親から組織に入るよう促されました。信心深さゆえに、その教育方針は厳しかったそうです。学生時代は部活動を禁じられ、友人が住む地域で「伝道」することもしばしばだったといいます。
自由を縛られる日々を越え、子どもを授かった女性。親の立場になってみて、母の気持ちにも理解できる部分がある、と思うようになったそうです。遠方から嫁ぎ、頼れる友人もいない。そうした中で、自分と自分のきょうだいを育ててきた母親の過去を踏まえ、こう語っています。
「従来の生き方を、唯一肯定してくれるものが、宗教だったのかもしれない」
日々の苦悩を忘れさせてくれる、より大きな「何か」にもたれ掛かりたい。いわば「寄る辺無さ」に駆られたとき、心の奥底に滑り込んでくるものこそがカルトなのかもしれない。私は当事者の話を聞くうち、そんな思いを強めていきました。
一方で、女性のように自我を抑え込まれた結果、精神の安定を欠いてしまう2世信者が少なくない、という現実は見逃せません。
臨床心理士の鈴木文月さんは、カルト脱会者が、以下のような心理的課題を抱えうると明らかにしています。
実際、私が関わった元2世信者たちも、一度は心の平穏さを失ったという人が大半でした。
「組織の集会に行く際、信者である親に服装を決められていたので、服の選び方がわからない」
「どれだけよいことをしても、『全て神様のおかげ』と言われ続けてきた結果、自分を認められなくなった」
こうした経験から、統合失調症や双極性障害を患い、苦しみ続けているケースもあります。
肉親と信頼関係を築けず、一人の人間として、十分な愛情が受けられない。そのことが、人生にもたらす困難の大きさを知るにつけ、私は立ちすくまずにいられません。
当事者の中には、今も信仰を授けてきた親たちに対し、かみ切れぬ思いを抱えている人がいます。
「よかれと思って組織に引き入れた、という親の心遣いもわかる。だからこそ、責めきれない」。ある2世信者の発言は、善意がときに家族の形を崩してしまうことを、端的に示していると言えます。
そういった課題を、「対岸の火事」と片付けることができるでしょうか? わが子への過剰な期待が、「ボタンの掛け違い」につながってしまう。そんな状況は、いわゆる「毒親」問題とも重なるものです。
カルトの思想に絡め取られるきっかけは、暮らしの中に転がっています。人間関係の悪化や、仕事の不振。そういった出来事に「ままならなさ」を感じたとき、何者かに自分自身を委ねたいと考えてしまうことは、誰にでもあり得るのです。
現れ方こそ極端かもしれません。しかしカルトにまつわる様々な事柄は、現代に巣くう「生きづらさ」を象徴しているのではないでしょうか。その本質を見据えることには、大きな意味があると思っています。
※配信当初の記事中、特定の宗教団体に対する不適切な表現があったため、表現を一部修正しています。