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連載

#12 101歳からの手紙~満州事変と満州国~

「負けた後を考えなさい」戦地の私へ上官の言葉 101歳語る満州国

ノモンハンへ徒歩で向かう日本兵たち。同盟通信社撮影=1939年
ノモンハンへ徒歩で向かう日本兵たち。同盟通信社撮影=1939年

目次

101歳からの手紙
1931年9月18日、中国東北部の奉天駅近くで、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破される柳条湖事件が起きた。日本が泥沼の「15年戦争」に突き進むきっかけとなった満州事変。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日本人がいる。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。満州事変から90年の今、当時の内実を初めて語る。連載第11回は「ノモンハンの古年兵」。(編集=朝日新聞記者・三浦英之)
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「負けた後の生き方を考えなさい」

満州国総務庁に勤務していた私は当初、日本の兵役を免除されていた。しかし、戦局の悪化に伴って政府方針が変更され、1943年12月、ソ連国境にほど近いハイラルの部隊に配属されることになった。

私を可愛がってくれていた総務庁の参事官は入営前に私を呼び出し、「日本は負けるよ。負けた後の生き方を考えなさい」と言って、クラウゼビッツの「戦争論」を手渡してくれた。

配属されたハイラルの部隊は、草原の丘陵地帯に敵を呼び込み、トーチカ群から猛攻できるような陣を敷いていた。毎朝、「脱走兵は銃殺する」との訓示があり、「逃げてもオオカミに食われるだけだぞ」と脅かされた。

私たち初年兵は夜間演習で仮想敵軍となり、古年兵たちが潜むトーチカ陣地に向かって何度も匍匐(ほふく)前進をさせられた。

外は零下52度の厳寒で、周囲がキラキラと光って見えるのは、空気中の水分が凍って降ってくるからだと教えられた。

極寒のハイラルで凍った水運搬車=1940年
極寒のハイラルで凍った水運搬車=1940年 出典: 朝日新聞社

荒れていたノモンハンの古年兵たち

ノモンハン事件以来、この戦場に缶詰め状態にされている古年兵たちは、生活や気持ちが荒れに荒れていた。

夜の点呼後、蚕棚のような3段ベッドの上で花札に熱中し、「おい新兵、痰(たん)ツボ持って来い!」と呼び出しては、新兵が捧げ持った痰ツボに向かってベッドの上から小便をした。

建国大学在学中、両親がいる奉天に帰省した際、ノモンハン事件の戦利品が広場で展示されているのを見たことがあった。

ソ連軍のトラックは米国製のT型フオードをまねた旧式だったが、戦車は巨大で装甲が厚く、日本の戦車との違いに圧倒された。

説明をしてくれた日本軍将校たちは、ソ連軍の戦車はガソリンエンジンでスピードは速いものの、日本軍の火炎瓶攻撃で面白いようによく燃えた、と日本軍の勝利を絶賛していた。

その裏で、奉天の中国人たちは「関東軍は内モンゴルの草原で、ソ連軍の戦車部隊や野戦重砲で散々にやられた」とうわさしていた。

古年兵たちは「自分たちが日本に戻ったら、ノモンハンでの敗戦が国民にばれるので、帰してもらえないのだ」と不満を募らせていた。

ノモンハン事件で、草原地帯で警備につく日本兵たち=1939年
ノモンハン事件で、草原地帯で警備につく日本兵たち=1939年

日本内地の教育にへきえき

3カ月後、私は幹部候補生として、ハイラルから軍用貨車で約1週間かけて、熊本の陸軍予備士官学校に移動した。

予備士官学校では、教本の暗唱が日課で、型どおりの教育に嫌気がさした。

例えば「何々を必要」と答えなければいけないところを、「何々が必要」と答えれば不正解。常に満点の成績をとるのは朝鮮人の幹部候補生だったが、褒められるのは教室内だけで、外では決してリーダー役などは任されなかった。

満州での戦況を知る私は、気合と根性ばかりが強調される日本内地の指揮官教育にへきえきした。夜間演習の休憩中、教官に「無礼講だから何でも言え」と言われたので、思わず「日本は勝てますか?」と口を滑らせた。

「もちろん勝てる」と言われたので、「どうやって勝つのですか?」と問い返すと、「1人1殺、上陸してくる敵兵と刺し違えれば、必ず勝てる」とはね返された。

「そんなことをしたら、誰が陛下をお守りするのですか?」と私は口答えし、あやうく営倉(えいそう=軍の懲罰房)へ入れられるところだったが、同期全員が血判状を作って交渉してくれ、なんとか営倉入りを免れることができた。(※第12回「召集兵とねずみ花火」はこちらです)

先川祐次(さきかわ・ゆうじ) 1920年、中国大連市生まれ。旧満州の最高学府建国大学を卒業後、満州国総務庁に勤務。終戦後は西日本新聞に入社し、ワシントン支局長としてケネディ米大統領の取材にあたった。同社常務を経て、退社後は精華女子短期大学特任教授などを務めた。

 

満州事変から90年。その現場やその後建設された満州国を間近で見続けた日本人がいます。満州国総務庁の元官僚先川祐次さん、101歳。先川さんが当時の内実を初めて語る「101歳からの手紙~満州事変と満州国~」を随時配信します。

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